――夏休みが明け、登校初日。
色褪せたアスファルトを踏み締めて、僕は約一ヶ月ぶりの高校の門をくぐった。
「おはよー、
「あ、おはよ。
僕は上履きを履きながら、隣に立った男子に挨拶を返す。
僕の名前は蓮見
「なぁ蓮見〜。夏休みの課題ぜんぶ終わった?」
「まぁ、一応な」
「数学の範囲、めっちゃむずくなかった?」
「まぁ、たしかに簡単ではなかったけど」
でも、言うほどではなかったような。と、心のなかで思いつつ、僕は高野に目を向ける。
「高野は?」
「いやぁ、それが俺、ぜんぜん分かんなくてさぁ! マジで今日の実力テストヤバいかもって焦ったわ!」
と、どこかわざとらしく高野は言った。
その直後。
『……って言っておこ。テストの点数悪かったらかっこ悪いしな』
突然、どろりとした声が耳の奥に響いた。咄嗟に耳を押さえると、高野が不思議そうな顔をして僕を見た。
「どしたの?」
「あ……いや、なんでもない」
慌てて笑みを浮かべ、なんでもないふりをする。
「……まぁ、僕もあんまりやってないから実際焦ってるんだよね」
「だよなぁ。もう諦めだわ」
高野が大きなため息をついた直後、再び声が響いた。
『とはいえ蓮見よりはいい点取りたいな。こいつ、案外バカだし』
「…………」
あぁ、もうダメだ。息が苦しい。
「あー……そういえば僕、今朝先生に呼び出されてるんだった」
「え、そうなの?」
力任せにバタンと下駄箱を閉め、
「ごめん、先行くわ」と、言い終わる前に高野に背を向けた。
「お、おう……じゃあな」
「うん」
『……相変わらず掴みどころねぇやつ』
背中に高野の心の声を浴びながら、僕は逃げるように、小走りで教室とは反対側に向かった。
学生たちの
トイレに逃げ込み、鍵を閉めてから、僕はようやく息を吐く。頭がズキズキとして、思わずこめかみを押さえた。
「はぁ……朝から疲れる」
早く卒業したいなぁ。まだ、入学したばかりだけど。
***
僕には、だれにも話したことのない秘密がある。
それは――心の声を聞くことができるということ。
もちろんそれは、僕が自ら望んだことではない。中学二年くらいのとき、突然そういう体質になってしまったのだ。
教室にいても、電車の中でも、そして……家でも。必ずだれかの心の声が聞こえてくる。
それは大体気持ちのいいものではなくて、だれかの悪口だったり不満だったり、知りたくもない事実だったりする。
だれかの悪意を聞くというのは、思春期真っ只中の僕には耐え難いものだった。
親友だと思っていた友人の心の内。可愛いなと思っていたあの子の裏の顔。優しい先生の本音……。人を信用できなくなるには、十分過ぎるものだった。
簡単に言えば、絶望したのだ。人の醜さに。
僕は、この不思議な能力を手に入れてからというもの、ほとんどクラスメイトと接しなくなった。
中学生のときはこの能力に戸惑い、人間不信で不登校気味になっていた。
けれど、高校生になった今、少しは成長したのか、クラスからあぶれない程度にはクラスメイトたちとまともな関係を築けるようになった。
とはいえ、わざわざ深入りしようとは思わないので、基本的に学校外でのイベントの誘いは断るが。
誘いを断るときには相手が気を悪くしないように言葉に気を付けながら、それなりの理由を盾に謝罪をする。
……の、だけれど。
僕には今、気になっている人がいる。
クラスメイトの
斜め前の席の彼女には、感情がない。……いや、というか、一度も声を聞いたことがないのだ。彼女自身の声も、心の声も、どちらも。
花野はクラスメイトと話をしないどころか、目もほとんど合わせない。
つまり、高校生になって半年が経つのに、彼女はこの学校生活の中で一度も心を動かしていないということだ。