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第5話


 次に目を覚ますと、僕はいつもの部屋にいた。


 ――生きてる? ……そうか、僕は、また生き延びてしまったのか。まだあの子には会わせてもらえないのか……。


 まだ生きていることにがっくりしながら身を起こすと、すぐそばにおじさんがいた。


「……おう、レイ。起きたか」


 おじさんが来たってことは、訓練の時間だ。すぐに準備をしないと。


 立ち上がり、いつものように犬舎から出ようとすると、おじさんが静かに僕の背中を叩いた。


「レイ、大丈夫。おまえはな、もう訓練はしなくていいんだ」


 ――え?


「おまえはもう、穏やかに生きていいんだよ」


 ――そんな、どうして。僕はずっと、だれかを助けるために……。


 そう口にしようとして、足に上手く力が入らないことに気が付いた。


 ――あれ?


 歩こうとすると、力が抜けてしまう。そのままこてん、と転がった。


 ――どうしたんだろう……なんか、へんだ。


 頑張って踏ん張って、もう一度立ち上がって一歩を踏み出す。

 辛うじて歩くことはできるけれど、すぐに力が抜けてしまう。


 これでは、足場の悪い災害現場でなにもできない。


「無理するな、レイ。おまえはもう限界なんだ。この十年、よく頑張ったよ。そろそろ潮時だ」


 ――限界?


 おじさんの言葉に愕然とする。


 ――そんな……それじゃあ、僕はもうだれかを助けることはできないの? それなのに、生きなきゃいけないの? 目標もなく、生きなきゃいけないの……? そんなの……僕には無理だ。ひとの役に立てないなら、僕には生きる意味なんて……。


「そう落ち込むな。……そうだ。おまえに会いたいって言ってるひとがいるんだ。ちょっと待ってろよ」



 ***



 しばらくしておじさんが連れてきたのは、僕が助けたあの子だった。

 まひるちゃんに似た、小さな女の子。

 女の子のそばには、両親らしき男女が寄り添っている。


「どうも、三島みしまさん。この子がレイです。とても優秀なヤツで、これまであさひちゃん以外にもたくさんのひとを救ってきたんですよ」

「えぇ、存じております。本当に、レイくんのおかげでこの子は助かりました。ありがとうね、レイくん」


 大きな手が僕の頭を優しく撫でた。


 ――あたたかい。


「レイ。この方たちはな、おまえを引き取りたいって言ってるんだ」


 ――え?


 驚いておじさんを見ると、おじさんは優しく微笑んだ。


「レイ、これまでよく頑張ったな。今日これから行われる退官式をもって、おまえは警備犬を引退することになった。これからは、おまえを大切にしてくれる家族と穏やかな暮らしを楽しんでほしい」


 ――このひとたちと僕が、家族に……?


「こんにちは、レイくん。私たち、あなたの家族になりたいの」

「どうかな、レイくん」

「わんわん! あさひの家族!」


 ――家族? 僕に……また、家族ができるの?


 女の子が僕に抱きつく。


「わんわん、足痛い?」


 すぐ近くで、女の子の悲しそうな顔が見えた。


「あさひのせいで、わんわん死んじゃう?」


 ずきん、と心臓が疼く。


 ――そんな顔しないで。僕はぜんぜん大丈夫だから。


 そう言おうとしたとき。僕より早く、おじさんが言った。

「大丈夫」


 おじさんは女の子の前にしゃがみ込むと、ゆったりとした口調で言った。


「あさひちゃん。レイはな、あさひちゃんよりずっと小さな頃に大切な家族を失ったんだ。それからは、おじさんのところでずっと訓練をして、たくさんのひとを助け続けてきた。すごく優しくて、強い子なんだよ。だから、こんな傷へっちゃらなんだ」

「へっちゃらなのに、わんわんレスキュー辞めちゃうの?」

「違うよ。これからレイは、あさひちゃん専属の警備犬になるんだよ」


 ――え?


「あさひだけの?」


 女の子の顔に、パッと花が咲く。


「そう。レイにとって、あさひちゃんは大事な家族。あさひちゃんも、レイのこと大切にしてくれるか?」

「うん! わんわん、大好き! あさひのだいじだよ!」


 僕をぎゅっとする女の子の手は、とてもあたたかかくて、みずみずしくて……それでいて優しい匂いがする。

 まひるちゃんに抱き締められたときのことを思い出して、胸がぎゅっと苦しくなった。


「……そっか。ありがとう、レイをよろしくな」

「うんっ!! わんわん、だいじ! あさひのだいじ!」


 ――僕が、だいじ? こんな僕が……?


「ママー! わんわん、しっぽ振ってる!」

「よかったね。レイくん嬉しそう」

「パパ、ママ。あさひ、レイくんのお姉ちゃんになるよ」

「あらあら、レイくんのほうがずっと歳上なのに」


 ――そうだよ。僕のほうが、あさひちゃんよりずっとお兄さんなんだ。


「いいのー! あさひがお姉ちゃんなの!」


 ――そっか。君にとって僕は弟なんだね。いいよいいよ、弟でもお兄ちゃんでもなんでもいい。それで君が笑顔になれるなら、僕はなににでもなるよ。だから君は、ずっと笑っていてよ。


「レイくん。君はこれからうちの子だ」

「よろしくね、レイくん」

「それでは、レイをよろしくお願いします」


 おじさんの瞳は、なぜだかきらきらと光っていた。


「こちらこそ、一生大切にします」


 退官式を終え、退職金代わりの高級ジャーキーを大量にもらったあと。

 あさひちゃん家族とともに、僕は長く暮らしたおじさんのもとを去ることになった。


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