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やりすぎた――反省してもとき既に遅し……。
いくら恥ずかしかったからって、横っ面を思いっきりクリーンヒットさせる恋人は、俺くらいしかいないんじゃなかろうか。
痛めた頬を撫でながら、怒って先に帰ってしまった歩。せっかく仲直りできたのに、俺はなにをやってんだろ。
ガックリと肩を落してベンチから腰をあげ、俯きながら階段に向かって歩いて行くと、目に映る細身のシルエット。
ゆっくり視線をあげて、シルエットの正体を見つめた。
「……歩?」
口を尖らせて、明らかに怒ってますという表情を浮かべているのに、左手を差し出してくれる。
(差し出しているのは、なぜか左手人差し指なんだが……。これって地面に指を差してるワケじゃないよな?)
まじまじと地面を見て確認してみたが、なにも落ちてるものはない。
「タケシ先生、んっ……」
歩は不機嫌な声色で、人差し指を俺に向かって伸ばした。どうしようかと思いながら、恐々と右手で指先を掴んでみる。爪先をちょっと摘んだ感じ。
すると、それを合図に歩き出した。微妙な感じで摘んだまま、トボトボと後ろを歩く俺。
――なんなんだ、この絵面。おかしすぎるだろ。指先1本に連れられるっていったい。普通なら洋服の裾なんかを掴んで、嬉しそうに歩くものじゃないのか!?
目の前にある大きな背中と、繋がれてる指先をチラチラ見比べながら、ゆっくりと階段を下りる。
どうして俺たちは高台から帰るときって、いつもケンカばかりしているんだろうか。朝焼けや夜景を見てる最中は、いい雰囲気なのに。
だけどいつもなら俺を置いて、ひとりで帰ってしまう歩が待っていてくれた。怒ってはいるけど手を差し伸べて、俺と一緒に帰っている。正確には、左手人差し指だけど。
それだけでも、嬉しさが胸の中に湧きあがってきたのに、残念なことにそれを伝える術がないから、一生懸命考えてみた。
(そうだな。せめて少しでもいいから、接触している部分を増やしてやろう)
ちょっとずつ摘んでいるところを開拓すべく、親指と人差し指を使って、じりじり移動させ、手のひらで包むことに成功。歩の指をぎゅっと握りしめてやる。そしたら親指の腹を使って、俺の手の甲をスリスリと撫でてくれた。その感じがなんだか、犬が喜んでしっぽを振ってるみたいに見えた。
たったそれだけのことなのに、俺のキモチが伝わったみたいで、すごく嬉しくて堪らない。会話がなくてもちょっとした仕草で、こんなふうにキモチを伝えることができるんだな。
変な手の繋ぎ方だけど、まるでそれが俺たちの関係みたいでおかしくなり、思わず口元が緩んでしまった。
「なぁ、タケシ先生」
「なんだ?」
繋がれた手元ばかり見ていた俺は、歩の声に顔をあげると、少しだけ目元を赤らめた視線とぶつかった。
「そんなだらしない顔、他のヤツに見せんなよ」
言いながら握りしめている人差し指を俺の手のひらから抜き去って、きちんと恋人繋ぎで握り直す。
「ほらまた変な顔してる。こんなことくらいで、いちいち反応すんなよ」
「し、しょうがないだろ。だって……嬉しいんだから、さ」
素直にならねばと思い、なんとか告げた言葉だったのに、歩はゲッというマイナスの表情を浮かべた。
「なーんか調子狂うな、なにか企んでる?」
握りしめている手を引き寄せて、まじまじと顔を見つめる。
「おまえこそ、なにか企んでるんじゃないのか? いつもなら高台でケンカしたら、俺のことを置いてひとりで帰って行くクセに、さっき待っていただろう。らしくないぞ」
見つめる視線に負けないように睨んでやると、少しだけ困った顔をする。
「やっ、だって。その……少しでも一緒にいたいって思ったから。待ってみた、ような感じ……」
歩のことを殴った俺なのに、一緒にいたいなんて――どうしよう……胸がひどく疼いてしまうじゃないか。
「歩……待っていてくれてありがと。嬉しかった。すごく……」
恥ずかしくて俯きながら告げてしまった、大事なセリフ。しかも嬉しいという言葉の連呼に、芸がないなと内心、苦笑するしかない。
頬がひどく熱をもつ。きっとさっきよりも、だらしない顔をしているだろう。
歩から放たれる視線に耐え切れず、そっぽを向いて、緩んでいるであろう口元を引き締めてみた。
「知ってる。指先からちゃんと伝わってきたから。早く帰ろう、そんな顔されてると、ガマンできなくなるし……」
「ああ……」
さっきよりもぎゅっと、お互いの手を握りしめ、足早に自宅へ向かう。
言葉にしなくても伝わる想いがあることに、やっと気がついた夜。なにかが起こる予感がした。