頭を撫でていた手で、涙を優しく拭ってくれた。ほらまた甘えてる。
「あ? えっと俺が素直になったらおまえにすごく、負担をかけてしまうんじゃないかと思って」
「タケシ先生の素直なキモチって、どんな?」
「その……傍にいてほしいとか抱きしめてほしいとか、俺だけを見ていてほしいとか……できることなら歩を、俺の家に閉じ込めてしまえたらな、と」
ぽつりぽつりと告げていく言葉に、歩は瞳を細めて嬉しそうな表情を浮かべてから、触れるだけのキスをした。
「俺を家に閉じ込めて、なにをするんだよ?」
またまたイジワルな言葉の応戦に、きゅっと下唇を噛む。まったく面倒くさいヤツ。
「なっ、なにって別に。今日大学でおまえのモテ具合を見ていたら、なんとなくそう思ったんだ。俺の歩を、そんな目で見てほしくなくて、その……」
「そんな目、か。ふん、いい気味」
なぜか喉で低く笑いながら、体を抱き起こされた。歩のセリフの意味がわからず、呆然とするしかない。
「いい気味って、いったい……」
「わかってねぇんだよな、タケシ先生は。俺はいつも、同じような想いを抱えてるっていうのにさ」
起こしてくれた体を引き寄せて、ぎゅっと強く抱きしめられる。そのあたたかさに安心して、身をゆだねるしかない。
「……同じ、想い?」
「そうだよ。軽井沢の病院でひっきりなしに、若い看護師が来ていただろ。どうしてだと思う?」
時間が経っていたことだったが、妙な違和感があったので、よく覚えていた。
「どうしてって術後のおまえの様子を、きちんと管理するためだろ」
「ナースステーションにいる看護師全員が、俺の管理するために押しかけるのって、おかしくないか?」
歩は呆れながら言い放ち、俺の頭に顎を乗せる。
「確かにな。だけどおまえの家はお金持ちで煩そうだから、なにかあったらいけないとか、医者から命令が下っていたりして?」
頭の上に顎を乗せられているので、表情はわからなかったが、なんとなく微妙な雰囲気が伝わってきた。
「歩、俺が間違ったことを言ったなら、すぐに訂正してくれ。そんな態度をされたら、辛くなってくる」
歩の態度にイライラして文句を言うと、俺の頭から顎を外して対峙する。注がれる視線が冷たいこと、この上ない。
「タケシ先生さ、自分がカッコイイこと、全然わかってないよな」
「は? どこが?」
「あーもー、全然わかってないっ! すっげぇムカつく!」
言うなり俺の両頬をつねり上げ、容赦なく引っ張った。
「いらいぞ、あにすんら。ばはいぬ」(痛いぞ、なにするんだ。バカ犬)
「こんなに変形させても、カッコイイとかなんでなんだよ。そして何気に可愛い」
つねっていた手を止めて、頬を撫でたと思ったら、いきなり顔を頬擦りしてきた。
――コイツ、ワケがわからない。
「さっきからおまえは、なにをやっているんだ。意味がわからん」
「わかってないのは、タケシ先生のほうだよ。看護師たちが来てた理由は、カッコイイ開業医のタケシ先生を、わざわざ見に来ていたからなんだって」
「なんだそれ?」
「罪な男だよなぁ。マジで……白くて甘い砂糖に群がる、アリどもを排除するのに、俺がどんだけ苦労しているかを、全然知らないんだから」
歩はほかにも文句を言いながら、俺の体をこれでもかとぎゅっとしてくれる。
「歩、砂糖は基本的に白いものだろ?」
歩の告げたセリフに首を傾げた。黒砂糖や三温糖のように、色のついた物があるけど、わざわざそれを口にするのが、どこかおかしかったから。
「白衣は白いものだろ」
(もしかして、砂糖って俺のことだったのか? 群がられているような気は、全然しないのだけれど)
「はははっ! 変な気苦労ばかりしていると老けてしまうぞ。甘いのは歩だけなのに」
体に回してる右腕を上げて、歩の頭を撫でてやった。
「……ウソばっかり言いやがって。すぐに殴ってくるクセに」
「今は撫でてやっているのに?」
「そんなっ、子供騙しに騙されない」
ちょっとだけ困ったような、それでいてテレたような歩の声色が、俺のしていることが充分に利いていることを示していた。
ここは、期待に応えてやらなければならないだろうな。まったく面倒くさいヤツ――。
「そうか、撫でるだけじゃ満足しないのなら、これはどうだ?」
耳元で囁いて、ふーっと吐息をかけてやる。俺の体に回された腕の力が一瞬解かれ、身動きが可能になったので、歩の首に腕をかけて自分に引き寄せ、そっと唇を重ねた。
すこしだけ荒れた唇の表面を舌でなぞってから、中にするりと入り込む。待ってましたとばかりに絡みつこうとする歩の舌を、うまいこと自分の口の中に誘導し、吸ってやりながら舌先を甘噛みしてやった。
「んっ……っ、ンンっ!」
薄目を開けて目の前にある顔を見ると、眉間にシワを寄せてキモチよさそうな表情を浮かべている。
それに満足しながら、もう一度責めるべく顔の角度を変えたら、いきなりベンチに向かって体を押し倒されてしまった。
「わっ!?」
予期せぬ行動に声をあげると、目の前の歩は荒い呼吸をしながら、俺を見下ろす。その目の怖いこと、この上ない。
「俺を翻弄させた罪は大きいぜ、タケシ先生……覚悟しろよ」
いやぁ、ヤバイ。どうやら特大のアメを投げつけてしまったようだ。普段甘いことなんてしないものだから、匙加減がさっぱりわからないんだよな。
外での大っぴらな行為は、ここまで。これ以上は、人目のつかないところでしなければならないだろう。申しわけないがここは飼い主として、しっかり手綱を握らねば!
かくて迫ってきた歩の顔に目がけて、無言でパンチを食らわせた俺。
――この恋は、そこまで甘くないのである。