なにも考えたくない。正直、この家にいることも苦痛に感じてしまう。部屋のあちこちに太郎の存在があって、どんな会話を交わしたのかを、鮮明に思い出してしまうから。
些細な内容や、怒ってばかりいた俺の言葉に反抗する感じで、バカにするような態度をとり、口答えをしていたアイツ。
(――なんでこんなに、胸が押しつぶされそうなくらいに、すごくつらいんだよ。そこまで好きじゃ、なかったはずなのに)
「桃瀬に比べたら、太郎に対する好きなんて、そんな――」
ちょっと待て。ちょっとの好きが、どうしてこんなに、色濃くなっているんだ?
桃瀬の好きと比べたからこそ、その理由がいとも簡単にわかってしまった。まるで俺の心に烙印を押すかのような、それは鮮やかな――。
「信じられない。こんなことになるなんて……」
いなくなってからも、こんなに翻弄されるとは、思ってもみなかった。
重たい体を引きずり、近くのコンビニまで歩く。そして、大量の酒を購入して自宅に引きこもり、真昼間から煽るように、ガブガブと呑みまくった。
どれくらい時間が経ったのだろう。いつもなら、下の病院で働いてる時間なので、不真面目な今の行動では、時間感覚が麻痺していた。
ピンポンと自宅のインターフォンが鳴ったけど、誰にも逢いたくなかったので、無視を貫かせてもらう。誰とも話をしたくないし、関わりたくなかった。
この痛みも三日後には、少しマシになっているのだろうか? まるで病人状態の今の自分。立ち直れる気力が、まったく感じられない。
「勝手にお邪魔するぞ、周防いるか?」
聞き慣れた声が、いきなり聞こえたかと思ったら、桃瀬が恋人を引き連れて、颯爽とリビングに登場する。
(落ち込みすぎて、鍵をかけ忘れてしまったのか。こんな情けないトコ、桃瀬に見られたくなかったのに、タイミングが悪い)
内心イラッとしながら、ソファの上からふたりを見つめてやる。
「なにしに来たの? せっかくのお休みを使って、昼間から呑んだくれてさ、ひとりで楽しんでいたのに」
「呑んだくれてって、おまえ、それはどう見たって呑み過ぎだろ。こんなに散らかして」
持ち前のオカン機能を、ここぞとばかりに発揮した桃瀬が、そこら辺に落ちてる空き缶を、手早く片付けていく。
「あの周防さん、こんばんは。お邪魔してます」
てきぱきと動く桃瀬の傍で、小さくなりながら、気遣うように挨拶をした涼一くん。
「ふたり揃って、なにしに来たの。まさかの恋人自慢?」
「そんなワケないだろ。村上さんから、俺のスマホに連絡が入ったんだ。病気を理由に休院するにしては、おまえの様子がおかしいって言ってな。太郎はどうした?」
「……知らない。いつの間にか出て行った」
(今の俺に、アイツのことを聞いてくるなんて……)
相変わらずの無神経さに、ぶわっと怒りが急上昇する。手に持ってるビールを目の前で煽るように、ガブガブ呑んでみせた。
「おいっ、周防!?」
「待って、郁也さんっ!」
苛立った桃瀬が、俺に掴みかかろうとした手を、涼一くんが寸前で制した。無言で見つめ合って、首を横に振った涼一くんに、困った顔した桃瀬が小さく頷く。
――恋人ならではの、以心伝心ってヤツか。
そのバカップルぶりに呆れ果て、そっぽを向いた俺に、いきなり抱きついた涼一くん。
「まったく。君に抱きつかれたのは、これで二度目だね。今度は桃瀬の目の前でって、なにを考えてるの?」
嘲笑いながら言ってやると、体に回した腕に、ぎゅっと力をこめる。
「周防さん、すっごくつらいんですよね。それを隠すために、必死になって演技しているのがわかります」
「……つらくなんてないさ。どうしてそう思うの?」
「僕、考えたんです。郁也さんが出て行って、ずっと帰ってこなかったらって。それは元の生活……ひとり暮らしに戻るってことなんだけど、ただ戻るだけじゃないんだって」
(――ただ戻るだけじゃない?)
その言葉に、首を傾げながら涼一くんを見ると、眉根をぎゅっと寄せて、とても悲しそうな表情を、目の前でありありと浮かべた。
「一緒にいることに慣れているから、ひとりでいることがいつも以上に、孤独に感じられるんです。朝の挨拶から誰かを見送る、いってらっしゃいの挨拶や、ふたりでいるときの会話だったり、美味しい物を一緒に食べることとか、そういう些細なことすべてが、なくなっちゃうんです。それってとてもつらいし、寂しく思うでしょ?」
「周防おまえは、どう思うんだ? 俺は涼一も周防もいなくなったら、絶対に寂しくなるって思うぞ」
桃瀬……誰もおまえの意見なんて、聞いてないんだよ。おまえの想いを知ったところで、俺が素直に口を割ると考えたのか。ホントいつも、空気が読めないんだから。
桃瀬のお節介な優しさのせいで、自然と涙腺が緩む。目の前にいる涼一くんの顔が、ぐにゃりと涙で歪んだ。