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サクッとオラオラアゲアゲ万葉集
サクッとオラオラアゲアゲ万葉集
深海インク
文芸・その他雑文・エッセイ
2024年11月10日
公開日
28.7万字
連載中
万葉集からランダムに1首を選んで、熱く語る!ちょっと元気になる!

*一話読み切り
*どこから読んでもオーケー
*目次は、更新日時が新しい順です。

テメェの「今」を燃やせ!万葉のシャウトがデジタル滓(かす)をブッ飛ばす!

おい、テメェら! 画面ばっか見て、死んだみてぇな目ぇしてんじゃねーぞ!


今、この瞬間、オレたちが生きてるこの世界で、マジで一番ヤバくて、一番大事なテーマ、何だと思う? AI? 環境問題? 戦争? ンなもんも確かにデカい。デカいけどよ、それ全部ひっくるめて、根っこにある、もっと切実で、もっと個人的で、それでいて全人類共通の「震源地」みたいなテーマがあんだよ。


それは…


「テメェ自身のリアルな『今、ココ』を取り戻すこと」だ!


どうだ、シンプルだろ? だがな、シンプルだからこそ、深くて、重い。


思い出してみろよ。最後に心から空を見上げたのはいつだ? 風の匂いを感じたのは? 隣にいる人間の、マジな笑顔や、ガチな涙を、スマホ越しじゃなく、その目で、その肌で感じたのは、一体いつだよ?!


便利になった? 情報が手に入る? 上等だよ! しかしな、その代償に、オレたちは何かクソみてぇに大事なモンを置き去りにしてんじゃねぇか? そう、五感で感じる「生」の現実感、リアルな体験の「熱量」だ!


ここで、何千年も昔の日本にいた、すげぇパワフルな姐さんの話をしとく。持統天皇ってんだ。国を動かすトップオブトップ。その人がよ、旅の途中で、紀州、今の和歌山県の南部(みなべ)ってとこで、ある歌を詠んだ。万葉集に刻まれた、魂のシャウトだ。聞けよ、これが1300年以上前のリアルな声だ!



南部の浦 潮な満ちそね 鹿島なる 釣りする海人を 見て帰り来む


みなべのうら しほなみちそね かしまなる つりするあまを みてかへりこむ



訳してみっか? 超絶シンプルに言うとこうだ。


「おい、そこの南部(みなべ)の海!頼むから潮、満ちてくんな! オレはよぉ、あの鹿島ってとこで釣りしてる漁師たちの姿を、もっと、もっと見ていたいんだ! それ見てから帰るからよ!」


どうよ? これ、ヤバくね?


考えてみろ。天皇だぜ? 国のトップ。クソ忙しいに決まってる。スケジュールなんて秒刻みかもしれねぇ。周りにはお付きの役人どもがウジャウジャいて、「陛下、そろそろお時間で…」とか急かすヤツもいただろう。それなのに、この人は言ったんだ。「待て!」と。「潮よ、満ちるな!」と。自然の摂理にさえ、「ちょっと待った!」をかけたかったんだよ。


なんでかって? 「釣りする海人(あま)」を見ていたいからだ。


特別なイベントじゃねぇ。超絶景でもねぇかもしんねぇ(いや、美しい景色だったろうけど)。ただ、そこで生きてる、働いてる漁師たちの姿。それも、遠くの鹿島(おそらく小さな島だろう)にいる漁師たちの姿を、「見ていたい」。じっくりと、この目に焼き付けたい。その「リアル」な営みに、心をガッチリ掴まれちまったんだ。


これこそが、オレが言いてぇ「今、ココを取り戻す」ってことの核心だ!


持統天皇が生きた時代、スマホもネットもねぇ。情報なんて、人から人へ、足で稼ぐしかねぇ。だからこそ、目の前にある「リアル」に対する感度、集中力がハンパなかったんだろうな。


彼女が「もっと見ていたい」と思ったのは、ただの風景じゃねぇ。そこで懸命に生きる人間の「生命力」そのものだったんじゃねぇか? 自然の中で、自然と対峙しながら、自分の力で糧を得る。そのシンプルで力強い「営み」。それ自体が、最高にクールで、アツいエンターテイメントだったんだ。彼女にとって。


翻って、今のオレたちはどうだ?


指先一つで、世界中の情報が手に入る。地球の裏側の絶景だって、高画質で見れる。有名人のゴシップも、事件の速報も、リアルタイムで流れ込んでくる。スゲェよな。確かにスゲェ。


けれどよ、その洪水みたいな情報の中で、オレたちの「心」はどこに向かってる?


いいね!の数か? フォロワーの数か? 再生回数か?


誰かが切り取って、加工して、見栄え良くパッケージした「虚像」を追いかけて、一喜一憂してねぇか?


スクロールする指は止まらず、次から次へと新しい刺激を求める。その結果、一つ一つの情報に対する「味わい」は? 深く感じる「重み」は? どんどん希薄になってんじゃねぇの?


まるで、デジタルという名の「潮」が、常にオレたちの心を搔き立て、急き立て、「次へ、次へ!」と押し流していくみてぇじゃねぇか。


ゆっくりと一つのことを味わう「時間」も、「心の余裕」も、そのデジタルな満ち潮に掻(か)っ攫(さら)われちまってる。


持統天皇は「潮な満ちそね!(潮よ、満ちるな!)」と願った。彼女は、目の前のリアルな体験を、もっと味わい尽くしたかったんだ。時間に、自然の摂理にさえ抗ってでも、自分の「見たい!」という衝動に正直だったんだ。


それに比べてオレたちはどうだ?


デジタルな潮の流れに、無抵抗に流されてねぇか?


「ちょっと待て!」って、自分の心にブレーキをかけることを忘れてねぇか?


誰かが用意した「釣りする海人」の動画や写真を見るだけじゃ、ダメなんだよ! もちろん、それもキッカケにはなる。だがしかし、本当に魂を揺さぶるのは、テメェ自身の目で、耳で、鼻で、肌で感じる「リアルな体験」なんだ!


近所の公園で、名も知らねぇ花が咲いてるのを見つける。

商店街のオヤジさんと、くだらねぇ世間話で笑い合う。

土砂降りの雨に打たれて、「クソッ!」って叫びながら走る。

好きなヤツと、ただ黙って夕陽が沈むのを見てる。


そういう、一見、なんてことない「今、ココ」の瞬間にこそ、キラキラした「生」の実感が詰まってんだよ! スマホの画面の中には、絶対に存在しない、テメェだけの「オリジナルな体験」なんだ。


持統天皇が見た「釣りする海人」は、彼女だけの宝物だ。オレたちには、その本物は見ることができねぇ。だがな、オレたちには、オレたちの「今、ココ」に、必ず「テメェだけの釣りする海人」がいるはずなんだ!


それは、通勤電車で見かける、必死に本を読んでる学生かもしれねぇ。

ベランダで一生懸命咲いてるミニトマトかもしれねぇ。

深夜のコンビニで、黙々と働く店員さんの背中かもしれねぇ。

公園でヨタヨタ歩く老夫婦の後ろ姿かもしれねぇ。


そういう、日常に転がってる、名もなき「リアル」に、ちゃんと目を向けてるか? 心を寄せてるか? そこに宿る「生命の輝き」を感じ取ろうとしてるか? もしかして、デジタルな情報に溺れて、「感じる力」そのものが、錆びついちまってんじゃねぇか?


オラオラ!アゲアゲ!って言うのは簡単だ。SNSでポジティブな言葉を並べるのも楽だ。だがな、本当の「アゲアゲ」は、上っ面なポジティブシンキングじゃねぇ。


リアルな現実とガチで向き合って、その中から、たとえ小さくても「輝き」や「面白さ」を自分の力で見つけ出す、その「力強さ」こそが本物だ!


そのためには、まず、意識的に「デジタルな潮」の流れを断ち切る勇気が必要だ。


スマホを置いて、顔を上げろ。

イヤホンを外して、周りの音に耳を澄ませ。

予定を詰め込みすぎず、「何もしない時間」を恐れるな。


持統天皇が「潮な満ちそね」と願ったように、オレたちも「情報な満ちそね!」「通知な鳴り響きそね!」って、心の中で、いや、時には声に出して叫んでみろ!


そして、目の前にある「リアル」に、全身全霊でダイブしてみろ!


それは、新しい趣味を始めることかもしれねぇ。

ずっと行きたかった場所に、実際に行ってみることかもしれねぇ。

苦手なヤツと、腹割って話してみることかもしれねぇ。

ただただ、ぼーっと空を眺めることかもしれねぇ。


何でもいい。大事なのは、「テメェ自身が、主体的に、五感で世界と関わる」ことだ。誰かが用意したパッケージじゃなく、テメェだけの「生の体験」を積み重ねていくこと。その体験の一つ一つが、テメェの魂を磨き、テメェだけの「物語」を紡いでいくんだ。その物語こそが、AIには絶対に創り出せない、テメェという人間の「価値」そのものなんだよ!


万葉集なんて、古臭い、自分には関係ねぇって思ってるヤツいるか? とんでもねぇ! そこには、現代のオレたちが失いかけてる、マジで大切な「魂の叫び」が詰まってんだ。


持統天皇の歌は、1300年の時を超えて、オレたちにこう問いかけてる。


「オイ、テメェ! テメェは今、何を見てる? 何を感じてる? テメェだけの『釣りする海人』は、ちゃんと見つけられてるか?」


この問いに、胸張って答えられるか?


答えられねぇなら、今すぐ動き出せ!


デジタルな満ち潮に抗って、テメェの足で、リアルな大地を踏みしめろ!

テメェの目で、リアルな世界を焼き付けろ!

テメェの心で、リアルな感情を味わい尽くせ!


これこそが、今、この瞬間、世界で最も重要で、最もアツくて、最も「やるべき」テーマなんだよ! 忘れんな! テメェの人生の主役は、テメェ自身だ! 画面の中の誰かじゃねぇ!


さあ、顔を上げろ! 立ち上がれ! テメェだけの「今、ココ」を、全力で燃やし尽くせ!


それが、このクソ面白くて、クソ面倒くさい世界を、最高に楽しむ唯一の方法だぜ! ウオォォォッ!!

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