おい、聞いてるか!? 最近の若いモンは初任給がハンパねえって話、マジで耳に入ってきてるよな?月30万、いや、中には40万とかって話もあって、まじかよ!って感じじゃん?正直、羨ましいっていう気持ちはゼロとは言わないぜ?いや、むしろ「ぐぬぬ…」って内心叫んでるってのが本音。
でもよ、そんな俺たち世代にゃ、ちょっと気になることもあるわけ。初任給ガチ上げとか、一見すげえイケイケで、まさに「令和の覇者」みたいな話だけど、全員がそうかって言ったら、多分違うんだよな。
春雨の しくしく降るに 高円の 山の桜は いかにかあるらむ
はるさめの しくしくふるに たかまとの やまのさくらは いかにかあるらむ
唐突だけど、これは万葉集の歌なんだ。河邊東人(かわべのあずまひと)って人が、春雨の降る中、高円山(奈良にあるんだぜ!)の桜がどうなっているだろうかって、心配している歌。天気予報みたいだよな?って、そんなことは置いといて、この歌には、俺たちの今の不安とちょっと似たものが隠されてるって話。
例えば、初任給が上がったって言っても、業界によって、あるいは会社によって、全然違うっていう話、あるじゃん? なんかこう、雨雲みたいな、どよ~んとした空模様を感じないか? 一方で、他の桜(=高給取りの若者)は、春雨に濡れながらも、華やかに咲き誇っているのかもしれない。俺たちはその桜を眺めながら、「あいつらはいいよな…」って、ちょっと妬ましく思ったりして。高円山を見上げる河邊東人みたいにさ。
でも、それはただの始まりに過ぎないかもしれないって、俺は思ってる。
「月30万超世代」ってやつも、いつかは年を取る。そして、あのバブル世代みたいに、後々「あいつら、いい時代だったよなー」なんて揶揄されるかもしれない。今でこそ、高給取りは羨望の的だけど、それもいつまで続くか分からないんだよな。
「桜は散る」っていうけどさ、金だっていつか散るもんだ。とくに、これから本格化するかもしれないインフレの中じゃ、貯めとくってだけじゃ、全然意味がない。
じゃあ、どうすればいいんだって話だ。
もちろん、俺だって初任給は高ければ高いほど良い。今の時代、生きていくのは本当に大変だし、金がないと、選択肢はどんどん狭まっていく。遊ぶ金も欲しいし、好きなもんも買いたい。
でもさ、金だけ追っかけても、結局は空虚に終わるんじゃないかって気がするんだ。
例えば、高給な仕事ってのは、その分、競争も厳しいってことだ。同期はライバルだし、常に成果を求められるプレッシャーもあるだろう。毎日満員電車に揺られ、残業に次ぐ残業。休みの日も、スマホから通知が飛んできて、仕事のことを考えたり。そんな生活してたら、精神的にも病んでくる可能性だってある。
俺の知り合いにも、仕事でバリバリ成果出して、一見順風満帆に見えるやつがいるんだけど、常に焦燥感に苛まれてるっていうんだ。SNSでキラキラした生活を発信してるけど、本当はそんなんじゃないんだってさ。
つまり、高給取りだからって、必ずしも幸せとは限らないってことなんだよ。むしろ、そのプレッシャーの中で、どれだけ自分の心のバランスを保てるかってのが、重要になってくると思う。
そう考えると、万葉集の歌の持つ意味合いが、ちょっと違って見えてくる。
春雨は、嫌なことの比喩かもしれない。うまくいかない仕事や、人間関係の悩み。
高円山の桜は、理想の自分かもしれない。輝いていて、誰からも羨望の眼差しを向けられるような存在。
河邊東人は、その桜を心配している。まるで自分の未来を案じるように。
大切なのは、高円山の桜がどうなったかということではなく、春雨の中でも、自分がどう在るかということなんじゃないだろうか?
ここで、さらに突っ込んだ話をしようぜ! 高給取りには、別の悩みもついてくる。それは、「社会保険料」の高さだ。給料が高ければ、その分、税金も保険料もガンガン持ってかれる。もうマジで容赦ない。
高給取りの人は、社会保険料として、高い金額を納めるわけだ。それって、将来の年金や医療保険として、主に高齢者層に還元されるわけだろ? まさに「世代間格差」なんて言われている時代で、なんとも皮肉な話だと思うんだよな。
俺たちみたいな「微妙な世代」は、将来、年金もらえるかどうかも分からない。いや、もらえることはもらえるんだけど、雀の涙ほどかもしれない。今のうちに蓄えておかないと、老後がマジでヤバい。一方で、社会保険料は、どんどん持っていかれる。
なんか、目の前のケーキを誰かに食べさせられているような気分だよな? 「美味しいだろ?」って言われながら、自分は何も食べられないっていう。
これ、すごく複雑な感情だよな。
高給取りの人には、「いいなあ」って思いつつも、その裏にある苦労を理解している部分もある。
年金がちゃんと機能すれば、高齢者層は豊かに暮らせるようになるかもしれない。それも、悪いことじゃない。
自分たちの負担が増えることへの不満もある。春雨のせいで、高円山の桜を素直に喜べない河邊東人のようにさ。
こんな時代だからこそ、もっと自分たちの生き方について、深く考えなきゃいけないと思うんだ。
まず、一番大事なのは、自分の「価値観」を明確にすることだと思う。
金は大事だけど、それだけがすべてじゃない。
どんな仕事がしたいのか?
どんな人間関係を築きたいのか?
どんなライフスタイルを送りたいのか?
自分が何を求めているのかを、しっかり見つめ直す必要がある。
その価値観に基づいて、仕事やキャリアを選んでいくべきなんだ。
例えば、
高給だけど、めちゃくちゃハードワークで、常にストレスまみれの仕事
給料はそこそこだけど、自分の興味のある分野で、ワークライフバランスがとれる仕事
どちらを選ぶかは、個人の価値観によって違うはずだ。
一度決めたからって、それが全てじゃない。状況は常に変わるし、自分自身の価値観も変わるかもしれない。
なので、定期的に自分の「羅針盤」を調整していく必要があるんだ。
もう一つ大事なのは、「自己投資」だ。
自分のスキルを高めたり、新しい知識を身につけたり、経験を積んだりすることは、将来の選択肢を広げることになる。
例えば、
語学力を磨いて、グローバルな仕事に挑戦する
プログラミングスキルを習得して、IT系の仕事に転職する
起業して、自分のビジネスを始める
自己投資は、将来への「保険」になる。たとえ今の仕事がうまくいかなくても、新しい道を開拓する力になる。
最後に、俺が思うのは、「仲間」の存在の大切さだ。
一人で頑張るのもいいけど、仲間がいれば、困難な状況も乗り越えられる。
悩みや不安を共有したり、互いに励まし合ったり、時には一緒に遊びまくったり。
人間関係ってのは、すごく面倒なこともあるけど、本当に支えになるものだよな。
「月30万超世代」の人たちは、将来的に、少なからずストレスを抱える可能性があると思う。それは、社会の歪みや競争激化、価値観の多様化などが原因だと思う。だからこそ、支え合える仲間たちの存在は、めちゃくちゃ大事だと思うんだ。
河邊東人が春雨の中、高円山の桜を心配したように、俺たちも将来のこと、社会のことを心配する。
その心配を力に変えて、自分たちの未来を切り開いていくことができるはずだ。
もっと前を向こうぜ!
初任給の額だけを見て、羨ましがったり、妬んだりするんじゃなくて、自分自身がどうありたいのかを、しっかりと見つめる。
自分の価値観を大切にし、自己投資を怠らず、仲間たちと支え合いながら、それぞれの道を歩んでいく。
それが、令和を生き抜く俺たちに必要なことなんじゃないか?
最後に、もう一度、万葉集の歌を引用させてくれ。
春雨の しくしく降るに 高円の 山の桜は いかにかあるらむ
この歌は、不安と希望を内包している。
春雨のように、困難は必ず訪れる。
高円山の桜のように、美しいものも必ず存在する。
桜の美しさを感じられる心こそが、俺たちが本当に大切にすべきものなんだと思う。
自分たちの足で、未来へと歩き出そう。
高給だろうが、そうでなかろうが、俺たちは俺たちの道を切り開いていくんだ!