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寄物陳思の万葉歌について国会答弁風に解説してみる、と、まあ、そういうふうに解釈できる訳でございます

おい、兄弟姉妹!準備はいいか?今日語るのは、古(いにしえ)の万葉集のラブソングだぜ!


「は?万葉集?古文とかマジ卍ダルいし」とか思ってるそこのテメェ!ちょっと待ちな!


万葉集ってのは、言わば1300年前の「エモい」が詰まったタイムカプセルみてぇなもんだ。


で、今回の歌は、「寄物陳思(きぶつちんし)」ってジャンルで、「モノに託して想いを述べる」っつー、今でいうとこの「匂わせ投稿」みてーな感じだな、うん。


今回、スポットライトを当てるのは、このイカした一首だ!



手作りを 空ゆ引き越し 遠みこそ 目言離るらめ 絶ゆと隔てや

てづくりを そらゆひきこし とほみこそ めことかるらめ たゆとへだてや



…まあ、いきなりコレ見せられても「は?」ってなるよな。


だが安心しろ!これから俺様が、コイツのヤバさを徹底的に解剖してやる。


さあ、心のエンジン、フルスロットルでブン回していくぞ!ついてこれるヤツだけ、ついてこい!



(ここから、なぜか国会答弁風解説スタート)



えー、まず、冒頭の「手作りを」という部分でございますが、これは、いわゆる「手作り」という、手を使って何かを制作するという行為、そのものを指し示すものでございます。


この「手作り」という語が、ここでは、単なる物理的な作業の結果としての「制作物」という文脈を超えまして、より広範な、いわば、心、あるいは精神、魂といった、不可視の領域における、ある種の…情熱、とでも申しましょうか、そういうものを内包している、と、そのように解釈することも可能である、と、まあ、そういうふうに、考えられるわけでございます。


次に、「空ゆ引き越し」という部分についてでございますが、この「空ゆ」というのは、文字通り、大空、天空、天界、と、そういう、広大な空間、まあ、一般的には、人間の手が容易に届かないような、そういった場所を指している、と、まあ、普通は、そのように理解されるわけでございます。


そして、「引き越し」という部分でございますが、これは、「引く」という動作、すなわち、何かを、ある地点から別の地点へと移動させる、あるいは、牽引する、という、そういう、能動的な、力強い動きを表現している、と、そう解釈できるわけでございます。


さらに、「遠みこそ」という箇所でございます。これは、「遠い」という、距離的な隔たりを示す形容詞「遠し」に、「こそ」という強意の係助詞が付加されたものであります。


この「こそ」の付加によりまして、単なる距離的な隔たりというだけでなく、そこに、ある種の、心情的な隔絶、あるいは、容易には克服しがたい、精神的な距離感、とでも申しましょうか、そういうものが強調されている、というふうに、解釈できる、その可能性は否定できない、と、そういうことでございます。


続きまして、「目言離るらめ」というフレーズについて、ご説明申し上げます。


まず、「目言」という部分ですが、これは、文字通りの「目」と「言」という、二つの言葉を組み合わせた表現でございます。


一般的には、「目」は視覚を、「言」は言葉を、それぞれ司る器官、あるいは、機能として理解されるわけでございますが、ここでは、その両者が一体となって、何らかのコミュニケーション、あるいは、意思疎通、あるいは、相互理解、そういったものを、象徴的に表現している、という風に、解釈できる可能性も排除できないのではないか、と、そう、考えられるわけであります。


「離るらめ」という部分でございますが、「離る」は、分離する、離れる、といった意味を持つ動詞であり、「らめ」は、推量、あるいは、婉曲、といった意味合いを付加する助動詞「らし」の已然形に、さらに、強意の係助詞「め」が接続したものでございます。


このことから、「目言離るらめ」全体としては、視覚と言葉によるコミュニケーションが、何らかの理由により、途絶えてしまうのではないか、あるいは、すでに途絶えてしまっているのではないか、という、不安、あるいは、懸念、そういったものを表現している、というふうに解釈できる、ということも、できるわけです。


最後に、「絶ゆと隔てや」という部分でございますが、これは、「絶ゆ」という、関係が断絶する、あるいは、連絡が途絶える、といった意味合いの動詞に、接続助詞「と」が接続し、さらに、「隔てや」という、隔たりを強調する表現が続いている、と、そういう構造になっているわけでございます。


この部分全体といたしましては、人間関係、特に、男女間の関係、恋人同士の関係、そういったものが、完全に終わってしまうのではないか、という、非常に強い危機感、あるいは、絶望感、そういったものを表現している、と、まあ、そのように、解釈することができるのではないか、と、その可能性は否定できないわけであります。


そしてですね、総合的に、俯瞰的に、この歌全体を見渡しますと、この歌は、遠距離恋愛、あるいは、何らかの事情により、会うことが困難な状況にある男女間の、切ない心情を、非常に、巧みな比喩表現、そして、独特の言葉遣い、そして、洗練された修辞技法を駆使して表現している、と、そういうふうに、結論付けることができるのではないか、と、そのように、まあ、考えられるわけでございます。


さらに、詳細に、この和歌を解釈するにあたって、忘れてはならない点について申し上げたいと思います。えー、「手作り」という表現には、物質的なものだけではなく、非物質的なものも含まれる、ということを先ほど申し上げましたが、それは、例えば、二人の間に築き上げられた信頼関係や、共に過ごした時間の中で育まれた愛情、そういったものも「手作り」という言葉で表現されている、と、そういう可能性を、完全に排除することはできない、と、まあ、そういうわけでございます。


「空ゆ引き越し」の部分ですが、これは、単に空間的な距離を示すだけでなく、時間の隔たり、つまり、過去から現在、あるいは現在から未来へと続く、長い時間の流れ、そういうものを、象徴的に表現している、と、そういう解釈も成り立つ可能性もある、ということを、指摘しておかなければならない、と、そう、考えております。



(語り口調、オラオラアゲアゲに戻る)



…ってな感じで、なぜかいきなり延々と小難しい話を聞かされたわけだが、要するに、何が言いてぇかっつーとよぉ…


この歌、マジでエモくね?って話なんだよ!わかるかい!?


手作りのプレゼントを、遠い空を越えて持ってきたのに、距離が遠すぎて、目も合わせられない、言葉も交わせない。もう、この関係も終わりなのかな…?みたいな。


1300年前のヤツが、遠距離恋愛で病んでるわけよ!現代の俺たちと、やってること、ほぼ一緒じゃねーか!


SNSもLINEもねぇ時代に、この切なさ、この絶望感…マジ卍パねぇ!これぞ、時空を超えたリアル!


だからよぉ、兄弟姉妹たち!古文とかマジ卍だりぃとか言わずに、ちょっと万葉集、読んでみろって!


そこにゃあ、俺たちの魂を揺さぶる、熱いメッセージが、ゴロゴロ転がってるぜ!


万葉集、マジでアツいぜ!以上!

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