おいおい、マジかよ。草壁皇子、マジで逝っちまったのかよ。皇子っつっても、あのスーパーセレブ、時の権力者、飛鳥を支配するVIP中のVIPだぜ? ありえねぇ。マジありえねぇ。
しかもだ。皇子を偲ぶ殯宮(もがりのみや)で詠まれた歌が、超エモくて、今聴いても胸にグサッとくるって話なんだ。詠み人は? そう、歌聖・柿本人麻呂! レジェンド降臨! あの万葉集のスーパースターが、魂込めて皇子に捧げたリリック、マジでチェックする価値ありだぜ。
その歌がコレだ!
嶋の宮まがりの池の放ち鳥
人目に恋ひて池に潜(かづ)かず
……どうだ? なんか、ジワるだろ?
一見シンプル。でも、奥深い。これが万葉集マジック! 今風に言うと「殯宮の池に放たれた鳥は、人々の視線を意識して、池に潜ろうとしない」ってことだ。
鳥…皇子。
人目…民衆の悲しみ、惜しむ気持ち。
池に潜(かづ)かず…死を受け入れられない皇子の心情。
鳥は、人々の悲しみに応えようとして、池に潜れない。つまり、あの世に行けない。皇子は、民衆の悲しみ、惜しむ気持ちに応えたい一心で、まだ現世に留まろうとしているんだ。わかるか? この胸が締め付けられるような感覚。
これ、マジ卍な名曲。しかも、この歌、ただの挽歌じゃねぇんだ。タイムリミットとの戦い、デッドラインとの戦い、つまり今この瞬間の葛藤を描いてるんだ! マジ卍! 今すぐYouTubeで「#草壁皇子 #挽歌 #柿本人麻呂」で検索! …いや、出てこないけどさ。
あのね、マジ卍に言わせてもらうけど、これ、現代社会にも通じるものがあると思うんだ。仕事とかさ、恋愛とかさ、人間関係とかさ。色んなプレッシャー、色んな期待。それに応えよう、応えようとして、自分の本当の気持ちが見えなくなっちゃうこと、あるよな?
俺もそう。上司からの無茶振り、納期ギリギリのプロジェクト、終わらない資料作成…。「もう無理ゲー!」って叫びたくなる時もある。でも、周りは「頑張れ!」「期待してるぞ!」ってプレッシャーかけてくる。で、結局、無理して頑張っちゃう。自分を押し殺して、期待に応えようとして…。まさに「人目に恋ひて池に潜かず」状態。マジ共感!
皇子だってそうだったのかもな。国のトップとして、民衆の期待を一身に背負って、プレッシャーも半端なかったはず。で、倒れちゃって…。なのに、まだ民衆の悲しみに心を痛めて、あの世に行けないでいる。想像するだけで、胸が苦しくなる。
現代の俺らだって、SNSとかで常に人に見られてる意識があるよな。インスタ映えとか、いいね!の数とか、フォロワー数とか。意識しすぎると、本当の自分を見失っちゃう危険性もある。でも、皇子のように、人目を気にしすぎるのも、悪くねぇと思うんだ。
だってさ、人目を気にするってことは、周りの人を大切に思ってるってことだろ? 期待に応えようとするってことは、責任感があるってことだろ? それって、素晴らしいことじゃん! 皇子だって、民衆を愛してたからこそ、あんなに苦しんだんだ。
だからさ、無理して頑張りすぎるのも、たまにはいいんじゃない? もちろん、自分の限界は知っておくべきだけど、たまには期待に応えて、自分を犠牲にしてみるのも、悪くないと思うんだ。
そして、この歌は、もう一つのタイムリミットも描いてる。それは、「死」という絶対的なタイムリミット。皇子はもうすぐあの世へ行かなきゃいけない。でも、まだ行けない。この切なさ、わかるか?
俺もいつか死ぬ。お前もいつか死ぬ。みんないつか死ぬ。それが人生のタイムリミット。だからこそ、今この瞬間を大切に生きなきゃいけない。後悔しないように、やりたいことをやって、好きな人と過ごして、精一杯生きなきゃいけない。皇子のように、人々に愛され、惜しまれるような人生を送りたい。
改めて、この歌を噛み締めてみよう。
嶋の宮まがりの池の放ち鳥
人目に恋ひて池に潜(かづ)かず
シンプルだけど、深い。短いけど、心に響く。まさに、万葉集の真骨頂!
皇子よ、安らかに眠れ。そして、俺らに、今を生きる勇気をくれ。
…ってな感じで、今回は草壁皇子の挽歌をリスペクトしつつ、現代社会にも通じるメッセージを読み解いてみた。どうだった? ちょっと熱くなっちまったけど、これが俺の本音だ。
これからも、万葉集の奥深さを探求し続けたいと思う。YO! チェック it out!