拝啓皆々様、良き日をお過ごしですか?
僕の日常は、鈍色に戻りました。
あの日から、僕は先輩を避けている。
先輩は相変わらずで、お昼を一緒にしようと待っていたり、愛好会へのお誘いがあったりする。けれど僕はその全てから逃げた。背中を向けて、話しかけられても知らないフリをした。
連絡もくるけれど、既読スルーをしている。
朝宮は……そんな僕を見て何かを言いたそうにして、でも何も言わずにいなくなる。それでいい。多分こいつの顔こそ見たくない。
そうしたら元の生活がかなり戻ってきた。
大学に行って授業を受けて、家に戻って漫画や小説を読んで、お気に入りだった配信を見て。
全部が、前ほど面白いと思えなくても続けた。いつかこれが普通だって思えるように。
そんな日常が二週間ほど続いた頃に、僕は意外な人に捕まった。
「渡良瀬、少しいいか?」
「三原先輩?」
声をかけてきた人は苦笑している。それだけでなんとなく、用件は分かった。
僕は俯いて拒む素振りをしたけれど、この人は加納先輩ほど優しくはない。だから、逃がしてはくれなかった。
連れてこられた映画愛好会の部屋には誰もいなかった。てっきり加納先輩がいると思っていたのだ。
「なんか飲むか?」
「いえ、お構いなく」
座った僕の対面に三原先輩が座る。軽い尋問のような印象を僕は受けた。
「……加納と、何かあったか?」
前置きも不要と思ったのだろう。かなり単刀直入だ。けれど、変に気を遣われるよりもいいんだろう。
「何も」
「避けてるだろ? 加納の奴がかなり凹んでる」
「……元に、戻っただけですよ」
伝えたら、三原先輩は腕を組んで黙って聞いてくれた。
「僕は、空気みたいなものです。ずっと、そんなんです。だから加納先輩の側は明るすぎて……眩しすぎて辛くなった。それだけです」
「……本当にそれだけか?」
……本当の事なんて言って、何になるんだ。
「俺の目から見て、二人とも楽しそうだった。あんな事件があった後ですら変わらないから、俺はほっとしていたんだけどな」
「僕みたいな陰キャで根暗なオタクが、あの人の側にいられる訳ないですよ。そろそろ、疲れたんです」
自分の不明瞭な感情にも、愚かすぎる希望にも、与えられる場所にも疲れた。
だから、尻尾巻いて逃げるんだ。
何よりもう、加納先輩は知っただろう。僕の隠してきた事も。
「朝宮って奴が原因じゃないのか?」
「まったく違うって言えば、嘘ですけれど。切っ掛けでしかありません」
「渡良瀬」
「本当に、もう……いいんです」
顔を上げられないのは、真っ直ぐに向けられる視線に返せるものがないからだろう。今は凄く弱いから、強い気持ちに負けてしまう。
卑屈だろうな。本当に情けない。強くなんて生きられないよ。僕に出来る事は分かったような物言いをして、関わる事から逃げて、孤独だって自覚しながら、それでも浅く関わる程度で生きていく。
どうしたって、僕は僕自身をそんなに認めてやれない。
「……俺から見たお前は、けっこういい奴だよ」
「え?」
不意に掛けられた言葉に顔を上げると、三原先輩は真剣な顔をしていた。
「流されても、誰かを助けるっていうのは強くないとできない。自分をちゃんと持っている奴だって、俺は思っている」
「買いかぶりすぎです」
「少なくとも加納はそれに救われただろう。楽しそうなあいつを久しぶりに見た」
「珍しかったんですよ。あの人の周りにいるタイプじゃなかったから」
「渡良瀬」
「……僕には、見えないんです。あの人と長く関わる未来が。そのうち立ち消えてしまうって、分かるんです。でも僕は誰かとそんな時間を共有した事なんてないから、縋ってしまう。相手は迷惑だろうに、未練ばかりが残ってしまう。そんなの……嫌なんです」
そんな立派な人間じゃない。僕はどうしたって、ヒーローではない。
「加納先輩に伝えてください。ご迷惑をおかけしました。もう、大丈夫ですって」
それだけを伝えて立とうとした。
「そのくらい、自分で言ったらどうだ?」
「……会いたくないんです」
もう、関わるのをやめたいんです。
「……俺は、人の縁なんてのは些細な事で繋がると思っているし、誰が誰と関わって生きていっても、そこに資格だとかなんだとか、面倒な事は不要だと思っている。俺から見てお前達は十分友人だとも思うし、今後も一緒に居られる間柄だと思っている。渡良瀬、どうして拒むんだ」
そんなの、怖いからだよ。批判された事が無いからだよ。
「……小学生の頃、クラスでハブられた事があります」
「え?」
「理由は……本当の所はなかったんじゃないかって今なら思います。でも、当時の僕は忘れていません。無視されて、影でこそこそ言われました。暗いよね。居るのかどうか分かんない。影が薄いから居るの気づかなかった。そう、半年も言われ続けていたらこうなります。誰かと関わるのが、怖くなります」
それを、否定できる要素もなかったから。
三原先輩は驚いて……二の句が継げなかった。
僕は今度こそ部屋を出て、また居場所もなく彷徨った。
拒むくせに、誰かがいる場所にはいたい。一人でいいって言うくせに、不特定多数の誰かの中に紛れたい。関係の無い誰かの声を聞くだけでいいんだ。この雑踏の中に溶けて、背景の一部になって、それでも集団の一部にはなれていて。それで、いいんだ。
不意にスマホが鳴る。見て……知らないふりをした。
『会いたい』
たった一言あるメッセージを、僕は見ない事にした。
敬具