目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第20話 終わった事

 拝啓皆々様、良き日をお過ごしですか?

 僕の日常は、鈍色に戻りました。


 あの日から、僕は先輩を避けている。

 先輩は相変わらずで、お昼を一緒にしようと待っていたり、愛好会へのお誘いがあったりする。けれど僕はその全てから逃げた。背中を向けて、話しかけられても知らないフリをした。

 連絡もくるけれど、既読スルーをしている。


 朝宮は……そんな僕を見て何かを言いたそうにして、でも何も言わずにいなくなる。それでいい。多分こいつの顔こそ見たくない。


 そうしたら元の生活がかなり戻ってきた。

 大学に行って授業を受けて、家に戻って漫画や小説を読んで、お気に入りだった配信を見て。

 全部が、前ほど面白いと思えなくても続けた。いつかこれが普通だって思えるように。


 そんな日常が二週間ほど続いた頃に、僕は意外な人に捕まった。


「渡良瀬、少しいいか?」

「三原先輩?」


 声をかけてきた人は苦笑している。それだけでなんとなく、用件は分かった。

 僕は俯いて拒む素振りをしたけれど、この人は加納先輩ほど優しくはない。だから、逃がしてはくれなかった。


 連れてこられた映画愛好会の部屋には誰もいなかった。てっきり加納先輩がいると思っていたのだ。


「なんか飲むか?」

「いえ、お構いなく」


 座った僕の対面に三原先輩が座る。軽い尋問のような印象を僕は受けた。


「……加納と、何かあったか?」


 前置きも不要と思ったのだろう。かなり単刀直入だ。けれど、変に気を遣われるよりもいいんだろう。


「何も」

「避けてるだろ? 加納の奴がかなり凹んでる」

「……元に、戻っただけですよ」


 伝えたら、三原先輩は腕を組んで黙って聞いてくれた。


「僕は、空気みたいなものです。ずっと、そんなんです。だから加納先輩の側は明るすぎて……眩しすぎて辛くなった。それだけです」

「……本当にそれだけか?」


 ……本当の事なんて言って、何になるんだ。


「俺の目から見て、二人とも楽しそうだった。あんな事件があった後ですら変わらないから、俺はほっとしていたんだけどな」

「僕みたいな陰キャで根暗なオタクが、あの人の側にいられる訳ないですよ。そろそろ、疲れたんです」


 自分の不明瞭な感情にも、愚かすぎる希望にも、与えられる場所にも疲れた。

 だから、尻尾巻いて逃げるんだ。

 何よりもう、加納先輩は知っただろう。僕の隠してきた事も。


「朝宮って奴が原因じゃないのか?」

「まったく違うって言えば、嘘ですけれど。切っ掛けでしかありません」

「渡良瀬」

「本当に、もう……いいんです」


 顔を上げられないのは、真っ直ぐに向けられる視線に返せるものがないからだろう。今は凄く弱いから、強い気持ちに負けてしまう。

 卑屈だろうな。本当に情けない。強くなんて生きられないよ。僕に出来る事は分かったような物言いをして、関わる事から逃げて、孤独だって自覚しながら、それでも浅く関わる程度で生きていく。

 どうしたって、僕は僕自身をそんなに認めてやれない。


「……俺から見たお前は、けっこういい奴だよ」

「え?」


 不意に掛けられた言葉に顔を上げると、三原先輩は真剣な顔をしていた。


「流されても、誰かを助けるっていうのは強くないとできない。自分をちゃんと持っている奴だって、俺は思っている」

「買いかぶりすぎです」

「少なくとも加納はそれに救われただろう。楽しそうなあいつを久しぶりに見た」

「珍しかったんですよ。あの人の周りにいるタイプじゃなかったから」

「渡良瀬」

「……僕には、見えないんです。あの人と長く関わる未来が。そのうち立ち消えてしまうって、分かるんです。でも僕は誰かとそんな時間を共有した事なんてないから、縋ってしまう。相手は迷惑だろうに、未練ばかりが残ってしまう。そんなの……嫌なんです」


 そんな立派な人間じゃない。僕はどうしたって、ヒーローではない。


「加納先輩に伝えてください。ご迷惑をおかけしました。もう、大丈夫ですって」


 それだけを伝えて立とうとした。


「そのくらい、自分で言ったらどうだ?」

「……会いたくないんです」


 もう、関わるのをやめたいんです。


「……俺は、人の縁なんてのは些細な事で繋がると思っているし、誰が誰と関わって生きていっても、そこに資格だとかなんだとか、面倒な事は不要だと思っている。俺から見てお前達は十分友人だとも思うし、今後も一緒に居られる間柄だと思っている。渡良瀬、どうして拒むんだ」


 そんなの、怖いからだよ。批判された事が無いからだよ。


「……小学生の頃、クラスでハブられた事があります」

「え?」

「理由は……本当の所はなかったんじゃないかって今なら思います。でも、当時の僕は忘れていません。無視されて、影でこそこそ言われました。暗いよね。居るのかどうか分かんない。影が薄いから居るの気づかなかった。そう、半年も言われ続けていたらこうなります。誰かと関わるのが、怖くなります」


 それを、否定できる要素もなかったから。


 三原先輩は驚いて……二の句が継げなかった。

 僕は今度こそ部屋を出て、また居場所もなく彷徨った。

 拒むくせに、誰かがいる場所にはいたい。一人でいいって言うくせに、不特定多数の誰かの中に紛れたい。関係の無い誰かの声を聞くだけでいいんだ。この雑踏の中に溶けて、背景の一部になって、それでも集団の一部にはなれていて。それで、いいんだ。


 不意にスマホが鳴る。見て……知らないふりをした。


『会いたい』


 たった一言あるメッセージを、僕は見ない事にした。


敬具


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?