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第16話 後悔先に立たず

 拝啓皆々様、如何お過ごしですか?

 僕は現在、後悔の只中にいます。


 事件から数週間、事態はほぼ収束した。

 母と知明さんの立ち会いで加害者側との示談等が無事に完了し、警察からは接近禁止命令と加害女性への指導の指示が下った。それとは別件で監督するようにという証文が交わされ、違反した場合の罰則等も弁護士立ち会いで交わされて受理された。

 これらを済ませた所で母は実家に戻り、僕は一人暮らし再開となったのである。


 無事に大学へも通うようになったが、休んでいた間の課題等は鬼だ。まぁ、学校内で起こった事件だった事もあり、こちらが完全な被害者である事から出席日数などは免除されたが。

 それでもレポートに提出課題が溜まり、しばらくは大変だった。何せパソコンを打つにも片手だ。

 そして先輩が甲斐甲斐しく世話してくれるようになった。


 事件後、俺と先輩との関係は“彼氏”ではなく“ストーカーを欺くための偽装彼氏”だったと噂を流してもらった。それ切っ掛けで友人にはなったが、という補足もつけて。

 注目度の高い先輩だからこれで十分広まっている。おかげで女子からの視線は緩和された。


「ふぅ……」


 帰宅して息を吐いて、買ってきたカップ麺にお湯を注いで待っている間にスマホが鳴った。特定のアプリから、DMのお知らせだった。


『you鈴さん、最近配信なしで寂しいぃ』


 それは、僕の裏チャンネルを見てくれている人からだった。

 そういえば大学入ってしばらく、落ち着くまでは配信を休むって言っておいたっけ。

 そろそろ二ヶ月たった。いい加減、ちょっとは顔を出さないとか。


 チャット画面を出すと意外と常連が来ていてメッセージを残してくれていた。


『そろそろ新生活始まって二ヶ月くらい? 戻って来ないのかな?』

『凄く好きだから戻って欲しいけれど』

『これを機に引退とか?』

『うわぁ(泣)』


 こんなのを見ると、僕はこっちの世界の人間なんだなって仄暗い安心感がある。


『you鈴:皆様すみません。思わぬトラブルで戻って来るのが遅れました』


 そう入れると、途端に場が賑わった。


『わぁぁ! You鈴さんきた!』

『トラブル? 何かあったの?』

『you鈴:怪我をして片腕が使えないんです』

『え!!』


 賑わう声が聞こえそうで笑える。タイマーが鳴ってカップ麺を啜りながら、僕は尚もそこに返信をした。


『怪我って?』

『you鈴:骨折です。朝までゲームして、うっかり駅の階段踏み外しました』

『うわぁ、大変そう』


 まぁ、実際は違うけれど。でもこの世界で本当の事を話す人なんていない。


『じゃあ、暫く配信はなしか……過去の配信で抜きまくってたけど、そろそろ新しいおかずが欲しかったけれど』


 そんなリプを見て、僕の中でも僅かな熱が生まれた。


 これは所謂エロ動画配信アプリだ。ただ、他と少し違って課金ができない。

 配信主のページにチャットルームがあり、基本そこでしかやりとりはない。DMもアプリに届き、僕には届いたという通知だけ。

 課金ができないから見る側も配信する側も、ただ単に見たい、見せたいという気持ちだけ。なお、オフで会おう等は直ぐにアプリ運営側に見つかって凍結される。

 僕はそこに裏垢で登録し、自慰行為を配信しているのだ。


 最初は、鬱屈とした欲求を吐き出せるものを探していた。

 後はほんの少しの好奇心だった。


 顔なんて知らないし、男か女かすら知らない。サイトでは首から上は自動でモザイクがかかるようになっているし、音声も変えてくれる。だからこそだった。

 ちなみに僕は配信を始めて半年。新卒で苦労してる普通の社会人だと名乗っている。新生活というのは元の会社を辞めて新しい会社へ就職するって言ったのだ。まさかアダルトアプリで高校生とは言えない。そういうものも含めて裏垢である。


『you鈴:……配信、少しだけならしようかな』


 呟いたら、色んな人が『嬉しい!』『見たい!』と返ってくる。僕の貧相な体でも興奮する人がいるんだって思うと……僕も認めて貰えている気がした。


 手早く食べて布団周りを片付けて、スマホをスタンドに立てて画角を調整。そして、いつも付けているお祭りで買った狐の面をつけた。

 アプリで顔にモザイクはかかるけれど、こういうのは知識と技術を持った人なら外す事ができる。それを考えて、物理でも予防をしているのだ。


 これらを済ませ、アプリの配信用スイッチを入れると自動で動画モードになって繋がる。僕はベッドに座って、声だけの挨拶をした。


「皆さんお久しぶりです。腕はこの通りなので拙いですが」


 僕の声に見ている人から『可哀想』『痛々しい』『無理しないで』と声がかかる。それを見て、僕は小さく笑った。


 とはいえ壁が厚いわけじゃないので声は抑えめにして。右手で着ている服の裾をたくし上げて咥える事でミュートした。

 そうして自分の体に自分で触れる。僅かな気持ちよさと見られている興奮がゾクリと体を震わせる。


「ふぅ……」


 息が漏れて、徐々に感覚が戻ってくる。

 けれど不意に過ぎるのは、加納先輩の顔だった。


「っ」


 別に、そんな気持ちがあって触れられたわけじゃない。体を洗う介助をしてくれただけだ。ただの親切心であって、他の感情なんてない。

 分かっているけれど……僕は少し意識をしていた。

 体を洗ってくれる、スポンジが触れるだけの肌が多少敏感になるくらいには、その動きと手の感触を追っていた。


「うっ」


 駄目だ、集中できない。ずっとチラついていて……これではまるで僕が先輩の事が好きみたいだ。

 ……好き、なのかもしれない。ただ、認めないだけで。


「っ!」


 思うと体が熱い。心臓が音を立てている。興奮しているのか反応が早い。

 嫌だ、近づき過ぎた。関わりすぎてしまった。


「ふぅ……」


 浮かんでは消えて、また浮かぶ人の顔を、声を振りほどけない。一人で生きていくなんて強がって生きてきたのに、こんな所で弱くならないでくれ。

 分かってるだろ? 僕のような陰キャオタクの腐男子は需要がない。しかも男が好きなんて余計にだろ。もっさいし、性格だって可愛くないし、根も暗くて良いところなんてない。卑屈に自分の好きな世界で生きていくのが精々なんだ。


 それでも、心に居座って離れない人の影を追ってしまうんだ。


「っ!」


 いつもよりずっと早かった。その言い訳は出来る。怪我でずっと出来なかったから。

 でも本当の理由を自覚しているんだ。


 僕は、先輩をおかずにした。


◇◆◇


 配信は暫く止めようと決めた。それは僕の今の状況が最悪だから。

 この血迷った妄想をどうにかしなければ心安らかにはなれない。僕は生ものはやらない質なんだ。


 授業が終わって、のろのろと荷物を片付けている。片腕でも出来るけれど時間がかかるのは難点だ。


 そうして最後まで教室に残っている僕の肩を、誰かが叩いた。


「なぁ、渡良瀬ってお前?」

「?」


 呼ばれて振り向いた先には、おおよそ住む世界の違う人がいた。


 明るい染めた感じの金髪に大きな猫目、八重歯が似合う男子だ。年齢的には同学年だろうか。


「はい」

「ふーん。普通じゃん」

「そうですけれど」


 何故絡まれたのか分からない。疑問に思って見ていると、彼はニッカと笑う。


「なぁ、お前今フリー?」

「それは、どういう意味ですか?」

「うわ、硬い返し。彼女とかいないの?」

「居ると思いますか?」


 ちょっとムッとして言うと、彼は驚いた顔をする。そんなにモブの反抗に驚いたか。


「案外気が強いんだな。いや、悪気ないって。だってさ、あんなイケメンの彼氏してたなら慣れてんのかと」

「巻き込まれモブですけれど」

「あぁ、いや……悪かったって」


 申し訳なさそうな顔をされているけれど、そもそもあんたは誰なんだ。


 ノソノソ片付けている僕を見て、彼は隣にきて手を貸してくれた。テキパキノートやらプリントやらを重ねてくれる。


「……ありがとうございます」

「いいって。不便そうだし」

「あの?」

「あぁ、俺? 同じく文学部一年の朝宮海李あさみやかいり。よろしく」

「……よろしく」


 何を宜しくされたのか分からないが、一応返した。

 そんな僕を見て、朝宮はニッと笑った。


「なぁ、渡良瀬。今フリーなら俺と付き合わない?」

「ですから、何にですか?」

「え? マジで伝わってない? 交際しましょうって言ってるんだけど」

「………………はぁ?」


 意味が分からない。あと、これは最近のスタイルなのか? 某先輩を思い出す。

 何にしても今回、僕にその気はないし義理もない。また、切迫した状況などもない。


「すいませんが、そういうのは間に合っています」


 そう言って席を立とうとした僕の目の前に朝宮のスマホが出される。そしてそこに映っている画像を見て、僕は死ぬほど驚いて……後悔した。


「これ、お前だよな?」


 それは確かに昨日の配信だった。

 朝宮はニッと笑う。


「これ、なんですか?」

「とぼけるの?」

「身に覚えがありませんので」


 そう言って普通に席を立った僕の内心は焦りと不安と後悔で一杯になる。バレると思わなかった。あんなものをこんな身近で見ている人がいると思わなかった。


 後悔は先に立たない。僕は今、浅はかな自分の行いと考えを後悔している。


敬具


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