拝啓皆々様、如何お過ごしですか?
世の中、体が資本と言いますがそれは本当ですね。
大学でのストーカー襲撃事件はそれなりに大きな騒ぎになり、女は警備と職員に取り押さえられた後で警察に引き渡された。
僕は少しふらついていたので近くのベンチに座って、別の職員が来て怪我を見て「救急車」と言われたので断固拒否しました。流石に恥ずかしい。
幸い意識もあるので荷物を三原先輩が持ってくれて、加納先輩も付き添ってタクシーで近くの総合病院へ。結果、上腕骨の骨折で緊急手術となりました。
上腕は太い骨が一本ではなく、細めの骨が二つで構成されているらしい。だからこそ捻るという動きができるそうだ。
僕の場合、受けた外側の骨一本が折れていて、更に倒れた時に地面についた関係で位置が少しずれていた。
この骨は治りにくく、普通に外側から正しい位置に戻して固定ではかなりの時間がかかるからと手術になったのだ。
全部が終わって固定されて、色々と書類があるからと言われて待たされている間に知明さんがきて難しい手続き等を全てしてくれた。
「すみません、色々とお手数をおかけしました」
「君は本当に動じないな。俺の方こそすまない。彰の大学で事件があったって聞いて状況聞いて、弁護士やら相手の親やらとにかく整えてきたんだが……まさか手術が必要な怪我をさせてしまうとは」
「あれはもう、知明さんがどうのという状況じゃありませんよ」
何せ何の予兆もなかったんだから。
「先輩はどうしていますか?」
ふと、姿が見えないなと思って辺りを見回した。診察室に入ってあれこれ説明されて処置されるまでは、確かに整形の待合にいたのに。
問うと、知明さんが息を吐いて教えてくれた。
「総合窓口のソファーにいるよ。側に三原君もついているから大丈夫」
「そうですか」
少し安心した。何せ僕と同じくらい顔色が悪かったから。
タクシーに乗っている間も凄く震えていた。ずっと「ごめん」と言い続けて、顔を見ているだけで自分を責めているって分かってしまった。
あの人の何が悪いんだ。僕が勝手に庇ったんだし、そうでなければあの人が大怪我をしていた。あんな物を思い切り振りかぶって、それが万が一無防備な頭に当たればどうなっていたか。折れたのは、頭の骨だったかもしれない。
「相手の親御さんとは直ぐに連絡がついた。治療費は勿論あちらが全額負担する事と、示談金も払うそうだが……どうする?」
「それでいいですよ」
多分僕がここで加害女性を傷害で訴えても、それほどのダメージにはならない。それに様子も尋常ではなかったから、心神耗弱と取られかねない。それならこちらは必要な措置を警察なりからしてもらい、相手の親にも子の監視をしてもらう約定を貰っておくほうが得だ。
「いいのか?」
「いいですよ。そのかわり、僕と先輩に対する接近禁止命令と、相手の親からの監督と監視の証文を取りたいので」
「接近禁止については俺の方でやる。相手の親からの証文は代理弁護士を立てて交わしてもらおう。手続きは俺の方でしておく」
「何から何まですみません」
「それは俺のセリフなんだけれどな」
更に大きな溜息をついた人がどっと老け込んで見える。この人も真面目に刑事してるのに、気の毒な話だ。
総合窓口に行くと項垂れて……僕よりずっと弱った様子の先輩と、その先輩に付きそう三原先輩がいた。
「渡良瀬」
「ミオ君!」
三原先輩の声にパッと顔を上げた先輩が真っ青のまま少しふらついて駆けてきて、僕を見てぐちゃぐちゃな顔をする。それでもイケメンはイケメンって凄いなー。なんて、不謹慎だけど僕は思ってしまった。
「ごめん。腕」
「あぁ、大丈夫です。幸い利き腕でもないので」
「だからって!」
「ここは病院なのでお静かにお願いします」
言ったら、先輩は苦しそうな顔をする。そしてそっと近付いて、無言のまま僕を腕の中にしまい込んだ。
震えてるな。怖い思いさせたんだろうな。僕は瞬間的にこのくらいの覚悟はしたし、ある意味予想通りだったから今も落ち着いている。でもこの精神状態は僕の方が異常で、普通は傷つけられるって凄く怖い事で……それが自分のせいで他人がってなると更に怖いものなんだな。
咄嗟に左腕を動かそうとして……不便だなって思った。だから無事な右腕で、先輩の背中をポンポンと叩いた。
「大丈夫です。治ります」
「そういうことじゃないよ」
「……ですよね」
治るんだから大丈夫って、思う僕はやっぱり他人の気持ちを汲み取るのが苦手だ。
お会計なんかは事前に知明さんが話を通してくれていて終わっていた。
今は知明さんの車で三原先輩を送り届けた帰り。外はすっかり暗くなっていた。
「澪君、君のご両親にも連絡をしたいから後で教えて欲しい」
「あぁ、はい。そうですよね……」
言いながら、自分がまだ未成年である事を思い出し、途端に怖くなった。それというのも母ならまだいいが、怪我をしたとなれば父と兄にも話がいく。その場合、もの凄く怒られる。
「……不可避だよな」
「ん?」
「……父が怖いんです」
「ほぉ?」
意外そうな声が知明さんから漏れる。
「君にも怖いものがあったのか」
「ありますよ」
少しムッとして言ったら笑われた。
まぁ、これも仕方がない。他人に傷つけられて手術までしてこの落ち着きようなんだから。
「父は警察官なんです。昔に友人を庇ったときにも酷く怒られ、護身術を死ぬほど叩き込まれたのに現状これですから。また説教です」
「警察官だったのか!」
これに知明さんは驚いて……肩を落とした。まぁ、地方の警官とはいえ先輩。年功序列も重んじられる組織では気の重い事だろう。
「あの、僕のほうから」
「いや、それは彰の保護者として駄目だ。俺の方から連絡をいれるから、後で教えてくれ。あと、親御さんがこちらに来るなりするだろうが、それまでは家で生活してくれ」
「すみません」
「こちらこそだよ」
そんな話をしている間にマンションに到着した。その間ずっと、先輩は俯いて何も言わないままだった。
この日は流石に疲れて誰も夕飯を作るとは言えず、ピザを頼む事になった。幸い右手は元気なので、ゆっくり食べれば大丈夫。
その間に知明さんは僕の実家に電話をして……通話中のスマホを耳に当てられて「もしもし」と言った途端に『アホたれがぁぁぁぁ!』という、耳がキーンとなりそうな声で怒鳴られた。鼓膜まで破けたらどうするつもりだ、アホ親父。
でもその後で『まったく、心配かけるな』と言われて僕も「ごめん」と素直に謝った。
数日で母が暫く来てくれる事になった。諸々の手続きなどの為だ。
「すまないが、俺は署に戻る。色々と進捗があったら教えるから」
慌ただしく出て行った人を見送った僕達の間にある空気は……予想通り重たかった。
「ミオ君」
「はい」
沈んだ声がする。見ると先輩は正に憔悴した顔をして、床に膝をついて座って僕を見ている。
その表情から、きっと碌な事考えてないな……とは思った。
「責任、取るからね」
「は?」
なんの?
思わずポカン。その間にも見る間に涙が浮かぶ。この人二十歳過ぎて涙脆いな!
「俺のせいで大怪我させたんだから、責任取る」
「あの、責任ってどうやって? お金とか言ったら僕怒りますよ」
「……ミオ君のお世話する。それでも足りないと思うから、その後も」
「……」
ちょっと怒りが湧いたのは、多分間違いじゃない。
僕は先輩を睨み付けた。
「必要ありません」
「でも」
「貴方は被害者なんですよ!」
声を大きく言ったら、先輩は怯えた顔をした。それでも引く気はない。
「いいですか、貴方は何も悪くはない。巻き込んだと言いますが、僕も僕の意志で巻き込まれてやったんです。その時点でお互い様です」
「でも!」
「最悪貴方が死んでいた可能性すら否定出来ない事で、どうして貴方が加害者のような立ち位置にいるんです! こんなに明確な加害者がいる事件で、どうして貴方が全ての責任を負うような気持ちになっているんです!」
貴方は悪くない。だから負い目なんて負わなくていいんだよ。
苦しそうな顔をする人の痛みを、感じてあげられたらいいのに。そうしたが傷をなめ合う事もできただろうに。何が苦しいのか、分かるのに。
「謝らないでください。僕は、楽しかったんですから」
「え?」
「楽しかったですよ、巻き込まれて。一緒に過ごす時間も、会話も。明るい所なんて好きじゃないって言いながら、誘われるのが楽しかったんです。でもこんなに謝られたら……責任なんて重いものを背負われたらもう、楽しくなくなってしまうじゃないですか」
この関係は、この日常はお互いに対等に話せていたからこそだと思う。
僕は傷よりも、この新しい日常が消えてしまう方が嫌だ。
驚いた顔の先輩の頬を僕は拭う。無事な右手で、ぐちゃぐちゃな顔を。
「ごめんよりも、欲しい言葉があります。何か分かりますか?」
「…………ありがとう?」
「はい、よくできました」
頭を撫でると困惑した顔をする。それに、僕は微笑んだ。
「僕も、ありがとうございます。庇って貰って、嬉しかったです」
「あんなのは!」
「怖かったのに、そうしてくれて嬉しかったんです。だから、ありがとうですよ」
「……どう、いたしまして」
ほんのりと赤くなった人は可愛くて、僕も久しぶりに素直に笑える。
願わくば明日からはいつも通りでお願いします、先輩。
敬具