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第11話 嵐の前は静かだって事

 拝啓皆々様、突然ですが静かです。

 それはもう、今までが何だったのか分からない程に静かなのです。


 僕の尾行疑惑があってから二週間、驚く程に平穏な日常が戻っています。

 事件翌日に映画愛好会に入り、翌週には正式に加入し、他のメンバーとも挨拶を交わし連絡先も交換しました。

 女性はいなく、男性ばかり。撮る方ではなくまで見るのが好きな人達の集まり。月に数回中教室を借りて大きな画面にプロジェクターで映画を鑑賞するのが楽しみ。ジャンルもそれぞれだけれど、明らかなピンク映画は御法度。

 そういう、趣味と情報交換の真っ当な愛好会でした。


 先に伝えた通り、日常も戻ってきています。

 まぁ、未だに遠巻きな視線などは感じるのですがそこまで。直接文句を言われたり、逆に遠回しな嫌がらせを受けたりはしていません。

 僕の日常が変わったといえば、加納先輩が朝や昼食の時にいるようになった事くらいです。


「そういえば、今度見たい映画があるんだ」


 昼食の席でルンルンした先輩がそんな事を言ってくる。僕はそれに視線を向けて、差し出されたスマホ画面を見た。

 所謂恋愛物だ。高校の普通の女子と学校のアイドル的な男子の。


「好きですね、先輩」


 まぁ、似合いかなとも思う。それというのも先輩はピュアな恋愛物が好きだ。

 所謂青春恋愛系というのだろうか。二人で難題に挑んで乗り越えて結ばれたり、難しい状況を乗り越えたり。これからどうなるかはさておき、今ラブラブで素敵だねというものだ。

 三原先輩からは「お子様」と言われ、他のメンバーからは「加納らしい」と言われる。それに本人は反発するも、では他の人が持ってきたもう少し濃いめのやつだと途端に目を背ける。

 年齢の事を加味すると、少々性的耐性が低すぎるのでは? と思えてしまう。


「嫌い?」

「嫌いではありませんよ」

「遠回しな言い方だな」


 否定はしないが全面的に肯定もしない。そんな言い方に先輩は口を尖らせる。そんな顔も最近では見慣れてきた。


「何時ですか?」

「え?」

「行きたいのでしょ?」

「いいの!」

「いいですよ」


 それにその映画、少し可哀想系だったはず。ピュア先輩の事だから最後には泣いているだろう。その状態を広く女性の前で晒すとまた何が起こるか。

 何て言いながら、最近では先輩とのこうしたお出かけが楽しいと思えてきている僕がいる。それを、認めたくはないけれど。


「ミオ君、バイトのシフトは?」

「待ってください」


 バイトのシフト票を出して日程をすり合わせて。どうせならその後感想を言い合いたいという話にもなってレイトショーを選んで、終わったらそのまま緊急避難場所に流れるか、どちらかの家に行こうとなる。当然泊まりを前提にしてだ。


 この出会いに、僕は少し感謝をしている。鈍色予定だった大学生活に突然日が差して、今ではとても明るい中に強引に引っ張り出されている。自力では動かない僕を振り回す力のある人と一緒だから、何だかんだで毎日が楽しく思えるのだ。


「それじゃあ、今週の金曜日の午後八時のレイトショーだね」

「はい。でもまだチケット買わないでください。予定変更になる可能性もありますから」


 なんなら当日チケットでいい。駅前とはいえレイトショーは日中よりも人がいない。座席のえり好みはできないけれど入る事は出来るのだ。


 昼食も食べ終わって、先輩は三限があり、僕は所属している研究室で少し用事がある。六月に一度フィールドワークの実習を行う事になっていて、それの話し合いだ。

 僕としては将来教職に就くか、図書館の司書をしたいという思いがあって文学部に在籍している。その中でも日本史を専攻していて、教授もそこに強い教授についた。

 フィールドワークというと地道な足を使った調査がイメージだが、今回はもう少し分かりやすく。美術館の特別展に行くことになった。

 妖怪、幽霊などの掛け軸や浮世絵を集めたものだ。


 日時や集合場所を話し合い、予定に書き込んでから予備知識として教授の話を聞く。そうするうちに三限が終わるチャイムが鳴って、この日は解散となった。


 研究室棟を出て外を歩いていると、不意にスマホが鳴った。表示には『彰』とある。


『彰:これから予定ある? 祐吾も合流して三人で裏会場行かない?』


 これも最近増えたお誘いだ。


『澪:三原先輩、一緒じゃないんですか?』

『彰:提出課題で直したい場所があるらしい。今は正面通りのベンチ』

『澪:分かりました。そこに向かいます』


 スマホをポケットにしまって、僕はそこへと向かった。


 正面門から本校舎へは真っ直ぐ広い道が続き、街路樹と程よい間隔でベンチが並んでいる。ぱっと見、開けた景観である。


 三限が終わると帰る生徒も多く、道にはそれなりの人がいる。

 そのベンチの一つに先輩はいて、僕を見つけてぱっと立ち上がった。


「ミオ君、こっち!」


 なんて呼ばなくたって見えている。大げさな……でも嬉しそうな顔をするから嫌なわけじゃない。気持ちとしては「しょうがないな」みたいな感じで近付いていった僕は……そこに迫る真っ黒い服装の女を見て目を見開いた。


「先輩!」


 先輩の死角から近付いて来た女が持っていたのは黒っぽい短い棒だ。でも僕はそれが何か分かった。

 警棒だ。

 とにかく必死に走る僕に疑問そうにした先輩の斜め後ろから女が走ってくる。距離にして数十メートル、間に合うか分からない。周囲も異変に気づいていない。


 深くフードを被った女が短かった棒をボタンで伸ばし高く振りかぶったのと、僕の手が先輩を掴まえて引っ張り込んだのはほぼ同時。

 瞬間、女の濁った目が勝ち誇ったように笑ったのが見えた。


「ミオ君!」

「っ!」


 無傷は最初から期待しなかった。ただ、無防備でもない。振り下ろされた警棒を左腕で受けた僕の腕がミシッと音を立て激痛が走った。多分、折れたんじゃないかと思う。

 突然の事に周囲も、そして先輩も気づいて悲鳴が上がりぱっと人が除ける。その中で腕を庇う僕と、尚も襲いかかろうとする女がいる。


「だ……誰か人呼んで!」


 加納先輩の声にハッとした人が本校舎へと走り、数人がスマホを取り出す。それでも女は逃げず、再度警棒を振り上げた。

 流石にもう一度受けるつもりはない。痛みに冷や汗が浮かぶ中、僕は振り下ろされた警棒を持つ手首を無事な右手で握って引っ張り込んで倒して、そのまま捻り上げつつ背中にドンと体ごと乗った。


「先輩、武器取り上げて!」


 流石に片腕ではそこまで無理だ。滅茶苦茶に暴れる相手をこの手負いで何処まで押さえ込めるかも分からない。苦戦する僕を見て先輩は慌てて近付いて警棒を取り上げ遠くへと投げてしまう。

 けれどそれが限界だ。暴れまくる女がとうとう僕を振り払い立ち上がる。元々体重も無い上に片腕が使えないんじゃ長時間押さえ込むのはそもそも無理だ。

 無防備に払われ、咄嗟に左腕を付いた僕は痛みに耐えられずに地面に転がった。脳に響くような痛みがあったんだ。


「ミオ君!」


 助け起こす加納先輩は青い顔をしていて、僕は痛みに負けた。

 その間に女はポケットに手を突っ込んで何か……ハサミを取りだして走ってきていた。


「先輩、逃げっ!」


 このままじゃこの人が刺されかねない。逃げろって言おうとしたのに、何を思ったのか先輩は僕を抱き込んで女に背中を向けた。

 冷や汗が出た。後悔をした。庇われるなんて、考えていなかった。だから……。


 ギュッと強く目を瞑った先輩。上がった悲鳴。けれどその瞬間は来なかった。

 カラン! という硬質な音がした直後、悲鳴と罵倒が聞こえる。同時に別の人物の声も。


「離せぇぇ!」

「大人しくしろ! 加納、大丈夫か!」

「祐吾……?」


 声に僕も視線を向ける。加納先輩越しに状況が見えた。三原先輩が背後から女を取り押さえてくれている。

 その間に騒ぎを聞いた職員もきて、遠くから警備も来てくれて女は取り押さえられた。加納先輩をストーキングしていた例の女だった。


 ほっとして、そうしたら余計に痛みは増していく。受けた腕は熱を持って痛んで、腫れているのが分かる。確実折れただろう。


「ごめん……ごめん、ミオ君。俺……ごめん」


 ボロボロ泣いて僕の体を抱いている先輩をぼんやり見ながら、思うんだ。


 貴方のせいじゃないって。


敬具


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