拝啓皆々様、如何お過ごしでしょうか。
僕はバイトに勤しんでおります。
僕のバイト先は駅に近い所にある飲み屋街の比較的浅い所。個人経営の居酒屋です。
ややコミュ障気味ではありますが、人間しっかりと働く方が健全だと僕は思っております。それに仕事となれば案外できるもので、意外と社会に出ても大丈夫そうだという安心感も生まれました。
「澪君、三番卓さんね!」
「はい!」
青い作務衣に頭にタオルを巻いた大将が威勢の良い声を上げ、僕もそれに返す。最初はこれに慣れなかったけれど、今では気合いが入る気がする。
店内はワンフロアで、客からも作っている所が見えるスタイル。カウンター数席と座席が三席、テーブルが二席の見回せる程度の店だ。
「生いち、ウーロンハイいち、お湯割りいちです」
「おっ、悪いね」
お客さんの層は社会人が多く、中堅どころかな? という雰囲気の人が多い。ようはスーツを着た三十代後半以降の人が多い印象だ。
「澪君慣れたねぇ。バイト始めたばかりの頃が懐かしいよ」
「その節は大変ご迷惑をおかけしました」
注文をミスるなんてのは多かったな。恥ずかしい。
だが常連のおじさんは笑っていた。
「いやいや、成長を見るようでいいなと思ってね」
「ありがとうございます」
そんな会話をしている間にまた呼ばれて料理を運んで、レジを打って。人生初めてのバイト生活は比較的順調だった。
バイトは週に三~四回、シフト制。開店は六時で、そのから午前零時まで。途中三十分程の休憩があり、大将が作ってくれた賄いを食べさせてもらえる。
バイトは僕を含めて数人いる。その中に、同じ大学の一年先輩がいる。
「渡良瀬、昨日大騒ぎだったらしいな。大丈夫か?」
ちょうど客が引けた所で一緒に休憩に入った先輩と賄いを食べている時に、その話になった。
「そんなに噂になっているんですか?」
「凄いぞ。なんせ相手が加納先輩だろ? 女子が特にさ」
「巻き込まれて、ちょっと不憫だったので助け船を出しただけです。なんでもありませんよ」
その割にベッタリくっつかれているけれど。
なんていうか、人懐っこいというか……気に入ったらグイグイなんだろうな。
「……なぁ、相手の女子ってさ、こいつ?」
こそっと聞いてきた先輩がスマホを取りだし写真の一部をアップにする。
そこには明るい茶色の髪を綺麗に巻いた、目鼻立ちのぱっちりとした女性が映っていた。
「はい、この人です」
肯定すると、先輩は何故かもの凄く微妙な顔をした。
「どうしたんですか?」
「……その後、何もないか?」
「え?」
何も無い……とはいえない。加納先輩のマンションに侵入して、正気を疑う落書きをばらまいていたんだから。
ただこれは刑事である知明さんの手に委ねた。あまり言いふらす事でもない。
「どうしてですか?」
「……実はこいつ、同じ高校の同級生だったんだよ」
「え?」
それは……ちょっと違和感がある。それというのも僕は勝手にこの人を同級生だと思っていたから。
おそらく加納先輩の「新歓コンパで挨拶した」っていうのがあるからだ。
「一年じゃないんですか?」
「一年だよ。留年してるから」
「あぁ」
大学ではそんなに珍しい事ではない。受験の失敗ばかりではなく、他大を卒業した後で入ってくる人や、社会人を経験した後で入ってくる人もいるためだ。
まぁ、この微妙な差だと受験に失敗した可能性が高いが。
「この女、ヤバイよ」
低く、辺りに聞こえないような声で呟いた先輩がこちらを真剣に見た。
「何か、ありましたか?」
「高校二年の時に同じクラスでさ。んで、他でも人気だった先輩と付き合ってるって突然言い始めて」
なんだか構図が似ている。そういう妄想の激しい人なのか。
「それで?」
「先輩には長く付き合ってる彼女がいて、勿論周囲も彼女も本人もそんな事実はないって否定しててさ。本人だけが盛り上がって妄想語り出して凄く浮いてたんだけど……夏休みに事件起こして退学したんだ」
「事件?」
「先輩の家に襲撃かまして警察沙汰になったんだ」
その話にゾクリとする。構図が同じだ。
「親が金持ってるみたいで、示談にして学校は退学。寮制の地方の女学校に行ったって話し聞いてそれ以降忘れてたんだけど、大学で顔見て引いたよ。しかも一年って」
「そんな人が加納先輩に目をつけたんですか」
皆が憧れる人がターゲットで、激しい粘着とストーカー行為。激高するタイプで、そうなるとなりふり構わない感じがある。間違いなく危険な相手だけれど、今のところ何かしらの対策をお願い出来る強い要素がない。
直接危害なりが加えられないと具体的な対策がされないというのは、もどかしいものだ。
「お前も気をつけろよ」
「ありがとうございます。そうします」
まぁ、ある意味僕の方に来てくれた方が楽かもしれない。加納先輩はいざというときに固まって動けないタイプのようだから。
なんて思うのは、思い上がりなのかもしれない。
バイトも無事に終わって帰宅の途について久しく。僕は強い視線を感じている。
人の視線というのは分かる人には分かるもので、僕はある事情からそうしたことに敏感だ。
ジッと僕だけを見ている。でも距離は詰めてこない。案外上手く隠れてるみたいだけれど、これは経験値だろうか。
このままでは家をみつけられる。流石にそれは避けたくて、僕は駅前の賑やかな場所にあるコンビニに入った。
こういう時、コンビニは案外いい。一つに必ず店員がいる。客が店員に話しかけても不自然な事はないので、本当に危ない時には助けを求められる。
選ぶのは人の多い場所がいい。人の目が多数ある場所ではなかなか手など出せない。それに騒ぎになりやすく、助けてくれる人の分母も自然と多い。
そこで適当に本なを見てやり過ごすけれど、視線は店内にまでつきまとってきている。これは根比べになりそうだと思った所で声がかかった。
「澪君じゃないか。こんな所で会うなんて」
「知明さん?」
見れば帰宅途中だろう知明さんがいて、手にはおにぎりや飲み物がある。
これはアリだと思い、僕は知明さんに近付いた。
「お疲れ様です。刑事さんもこんな遅くまで大変ですね」
敢えて相手の職業を出した。そうするとパッと視線が消えて、僕は一度息を吐いた。
「どうした?」
「いえ。あの、もし良ければ一緒に行ってもいいですか?」
「あぁ」
首を傾げながらも了承してくれて、僕はようやくコンビニを出る事が出来た。
道すがら、僕は視線の事や先輩からの話をした。視線はついてきていない。
これらを聞いた知明さんは流石に唸った。
「予想以上にヤバめの相手だな」
「はい」
「それにしても判断が良くて助かる。彰にも教えてやりたい」
「先輩は硬直するタイプですよね」
あと、きっと過去に怖い事があったんだと思う。
「そうだな」
知明さんもそれ以上は言わなかった。
「そういう事ならこのまま俺の家に来るといい。今のところ平気そうだが、家バレの可能性は減らしたいだろ?」
「こんな夜分にご迷惑では」
「その夜分に一緒に帰ってるんだ、問題ないさ」
そう笑い飛ばしてくれるから、僕も素直に甘える事ができる。
「なぁ、澪君」
「はい」
「彰の事、宜しく頼むわ」
そう、しんみりと言った人の横顔は心配そうで、僕は「はい」と答えた。
敬具