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第35話

「ごめん、日南。あと少しで読み終わるから」

 昼食の席で西園寺が両手を合わせて謝った。

 日南梓は呆れた顔を返すばかりだ。

「本当に読み終わるんだろうな?」

「ああ、本当だ。でも……本音を言うと、他の作品を読み返したい衝動にかられている」

 苦笑いをした西園寺に、日南はわざとらしくため息をついた。

「オレの方の準備はできてるんだぞ。いつまで待たせるつもりだよ」

「ごめんって。今日中に絶対読み終わる。だから明日、明日から始めよう」

「信じるぞ。いいんだな?」

「ああ、信じてくれ。俺が日南を裏切ったことがあるか?」

 と、西園寺が身を乗り出し、日南は冷たく返した。

「わりとある気がする」

「ごめん!」

 西園寺は椅子を立つと、食卓のすぐ横で土下座をした。

「本当にごめんなさい!」

 日南は冷めた目で見下ろしていたが、ふっと表情をゆるめた。

「冗談だよ。けど、待ってるのは本当なんだから、明日こそ小説の相談に乗ってくれよな」

 そっと頭を上げた西園寺は、ほっとしたように笑みを浮かべた。

「ああ、約束する。明日、必ず相談に乗るよ」


 夜になると以前ほどの暑さはなく、夏の終わりが近づいていることを肌で実感した。

 日南隆二は緊張の面持ちで仲間たちの様子をうかがう。

「決行は明日、午後六時」

 渡が真剣な声音で言い、千葉を見た。

「実行役は千葉くんに任せる」

「ああ、分かった」

 覚悟の決まった表情で千葉がうなずき、渡は次に東風谷へ視線をやった。

「観測者は純人だ。時間が来たら、それぞれの核を検索して情報を伝える」

「順番は日南さん、田村くん、渡だよね?」

「うん、それでかまわない」

 そして渡は日南を見る。

「日南さん、一坂さんにはすでに伝達済みなんですよね?」

「ああ、ちゃんと話してあるよ。量子システムのこととか、どうやって記憶の核を取り戻すのかも、理解してもらっている」

「それなら問題はありませんね」

「明日は仕事が終わったら、まっすぐ一坂さんのところへ行くつもりだ。もし不測の事態が起きたとしても、独身寮は敷地内にあるから、千葉くんのところへすぐに駆けつけられる」

「ええ、それがいいです。今のところ、成功するビジョンしか見えませんが、万が一に備えることも大事ですからね」

 渡は自信にあふれた顔でにやりと笑い、日南たちを見てからたずねた。

「質問は?」

 日南たちはそれぞれに「ない」と返した。

「それじゃあ、今日はこれで解散にしよう。みんなの健闘を祈る」

 渡の一声で場の緊迫感がゆるんだ。

 東風谷は「お疲れー」と、いつものように奥の部屋へ戻っていく。

 日南たちは口々に彼へ言葉を返しながら、各々の鞄を手に取った。

 先に出ていこうとした田村を、ふいに渡が引き止める。

「田村くん」

 足を止めて振り返った田村は、怪訝な顔をした。

「何だよ?」

 彼のそばまで寄ると、渡は告げた。

「君がいてくれて助かった。本当に感謝している」

「……そうか」

 と、田村は腑に落ちないような、どこかそわそわとした様子で返す。

 渡は表情を変えることなく言った。

「でも、君が人を殺そうと考えるような人間であることに、変わりはないとも思ってる」

 田村はぴくりと肩を揺らし、口を閉じてうつむいた。

「あと、ちゃんと日南さんに謝罪した?」

「っ……」

 様子を見ていた千葉が小さな声で「そういえば、まだしてなかったな」と、漏らす。

 日南は途端に落ち着かない気分になり、渡が言った。

「明日、世界がどうなってしまうかは分からない。けど、だからこそわだかまりは少ない方がいいと思うんだ。田村くん、君も大人なんだからできるよね?」

 田村は拳をぎゅっと握ると、おそるおそるといった様子で日南の方を向いた。一瞬だけ目が合い、互いにすぐそらす。

 口を開いたが言葉は出てこず、視線を泳がせた後で、ようやく田村は絞り出すように言った。

「ごめん、なさい……」

 日南は戸惑いながらもぎこちなく笑った。

「ごめんって言われても、受け入れられないよ」

 田村が目を丸くし、日南は間髪を入れずに続ける。

「たしかに田村くんはすごい人だし、協力してくれたのはありがたかった。けど、それは千葉くんと別れたくなかったからだろ?」

「……」

「俺のこと、本当はまだ嫌いなんだろうなっていうの、なんとなく感じるし。だから俺も、君とは友達になれないと思ってる」

 日南は息をつき、渡へ穏やかな表情を向ける。

「北野くん、俺のためにありがとう。明日に備えてしっかり休むんだぞ」

 日南が兄貴風を吹かせると、渡はきょとんとしつつ返した。

「あ、はい。日南さんも、どうか気をつけて」

「ありがとう。お疲れさま」

 さっさと玄関へ向かい、日南は靴を突っかけて外へ出た。ぬるい風が頬を撫でる。

 歩き始めながら日南は独りごちた。

「あーあ。仲良くなれると思ってたのになぁ」


 ヤツグたちへ、しばらく図書室で二人きりにしてくれと頼んだ。

 テーブルの上に黒のノートパソコンを開き、日南梓はキーボードへ両手を置いた。

 すぐ脇にはヤツグが淹れてくれたコーヒーがマグカップに入っている。

 向かいに座っているのは西園寺だ。図体に比例して声も大きいが、その実、気が弱く慎重派で、お人好しなところがある。オカルトが好きで好奇心が旺盛、ミーハーなところがあり、時折鋭いひらめきをする。

 そして彼は出版社に勤める編集者だが、日南梓の担当ではない。ただの大学の同級生であり、気のおけない友人だ。

 日南は文書作成ソフトを開き、白紙の画面を表示した。

「さて、だいぶ日が経っちまったから、何話してたか忘れちゃったな」

「いいよ、あらためて最初から考えよう」

 にこりと西園寺が笑い、日南も笑みを返す。

 日南梓、小説家。しかしながら出版した作品はいまだ一作のみ。お世辞にも有名とは言えない出版社のコンテストで新人賞を獲ったが、二作目の執筆は難航していた。また、兼業で探偵もやっており、依頼の件で行き詰まった時には、よく西園寺に相談を持ちかける。口癖は「理不尽だ」。

「まずは短編にするんだったな。想定文字数は三万くらいにしておくか」

 カタカタとキーボードをたたき、日南は文字を打ち込んでいく。

「ジャンルは?」

「何気ない日常を描きたいと思っていたが、壮大な話でもいいかもしれないな」

「いいね」

 と、西園寺はテーブルへ少し身を乗り出すと、笑顔で日南へたずねた。

「じゃあ、どんな物語にしようか?」

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