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第29話

 日南梓は生みの親に裏切られたと知り、返す言葉が浮かばなかった。どうしてそんなことになったのか知りたいが、北野は説明する間もなく西園寺へ顔を向ける。

「西園寺さんもいてくれてよかった。すぐにここから出るよ」

「え?」

「出るって、どういうことだ?」

「とにかく『物語の墓場』から出ないといけないの。日南隆二は終幕管理局に保護されていて、わたしたちを裏切った。つまり、あっちはわたしたちを捕まえようとしてるに違いない」

 危機を感じて、ほぼ同時に日南と西園寺は立ち上がる。

「でも、どうやって出る? この世界の外には何があるんだ?」

 日南の問いに北野は難しい顔をした。

「あくまでもここはアカシックレコードの一部で、外に出たら別の想像の世界につながってるはず。でも、そこがどういう場所かまでは分からない」

 日南は西園寺と顔を見合わせた。疑問がありすぎて何からたずねようか迷う。

「そもそも、オレたちは物語の人間なんだろ? 外へ出られるのか?」

 北野は視線を足元へ向けながら言った。

「やってみないと分からない。前例がないから」

 それでは成功する可能性もどれくらいあるか分からない。分からないことだらけの中で、それをするメリットがあるのかどうか。

 日南と西園寺が黙り込んでしまうと、空気で察した北野が顔を上げる。

「でも、わたしにはあなたたちが必要なの! やっと見つけた仲間なの! あなたたちを失ったら、わたしはまた一からやり直さなくちゃならない!」

 切実な叫びに胸を打たれる日南だが、やはり聞いておくべきことがたくさんあると思った。

「分かった。今のオレはお前が作ったんだ。想像上の人物としては、作者に従うのが筋だ」

 北野の顔が驚きと感謝に染まる。

「日南さん……!」

「でも、その前に一つだけ教えてほしい」

 日南は北野の目をまっすぐに見つめた。

「お前たちはどういう組織だ? メンバーは何人いる?」

 北野がはっと小さく息を呑んだ。

「その質問、答えなくちゃダメ?」

 まるで怯えるように北野がたずね、日南は真剣な顔で返す。

「把握しておきたいんだ。現実世界の『幕開け人』のこと」

「……分かった」

 視線をそらした北野は消え入りそうな声で答えた。

「わたしを入れて三人だけだよ」

 日南はヘーゼル色の瞳をのぞき込むようにしてたずねる。

「嘘じゃないよな?」

「そんな、わたしは嘘なんて――」

 戸惑う彼女を確認してから、日南は歩き始めた。

「分かった、行こう」

 と、先に玄関へ向かう。北野を疑うつもりはないが、腑に落ちない点はいくつもある。しかし、自分たちを必要としていることだけは信じていいと思えた。

 後ろから北野と西園寺がついてくるのを気配で感じながら、日南はつけっぱなしになっていたダイニングキッチンの明かりを消した。


 エレベーターを待っている時だった。ふいに足元が大きく揺れた。

「きゃっ」

 悲鳴を上げる北野の腕をとっさにつかみつつ、日南は問う。

「地震か?」

「分からない。でも……」

 揺れは続いている。エレベーターが途中で停止してしまい、日南は西園寺へ言った。

「階段で下りよう」

「ああ」

 一度廊下へ戻り、外に続いている非常階段で一階を目指す。

 揺れはどんどん大きくなっているようだ。手すりにつかまっていないと足元がおぼつかず、一段降りるのにも慎重さが求められる。

 日南は北野の手をとり、できるだけ安全に先導した。

「大丈夫か? ゆっくりでいいぞ、落ち着いて」

「うん、ありがとう」

 口ではそう返す北野だが、すっかり怖がって怯えているのが分かる。白く細い手は小さく震えており、顔も青白かった。

 あと少しで一階へ着くというところで、ふいに北野が言った。

「もしかしたら『幕引き人』が、この世界そのものを壊し始めたのかも」

 最悪だ。

「くそっ」

 日南は舌打ちをした。

 先に一階へ下りた西園寺がきょろきょろと周囲を見回す。

「どっちに行けばいいんだ?」

 遅れて日南と北野は彼と合流し、北野が言う。

「外に出るには、世界の端を目指さなくちゃならないの。どこにあるかは分からないけど、とにかく急いで」

 日南と西園寺がうなずいた直後、揺れが唐突に止まった。ふらついた北野を支えつつ、日南は言う。

「建物の裏に回ろう。この状況じゃ交通機関は使えない。でも、駐車場にある車なら使えるはずだ」

「それだ!」

 と、西園寺が希望を得た顔をし、日南たちはさっそく駐車場へ向かって駆け出した。


 駐車場には数台の車があり、三人は近くにあった黒いセダンへ近づいた。

 運転席側のドアを開こうと手をかけるが開かない。

「やっぱダメか」

 鍵がかかっている。西園寺や北野も他のドアを開けようとしたり、窓をたたいてみたりするがびくともしなかった。

「あっちの車はどうだ?」

 と、日南が数メートル先にあるワゴン車へ目を向けた時だった。どこかで聞き覚えのある声が日南を呼んだ。

「日南梓、まだ生きてたのかよ」

 はっとして振り返ると、駐車場にやんちゃな顔つきの青年が足を踏み入れるところだった。

 アシンメトリーな髪を暗赤色にした青年の後ろで、茶髪をポニーテールにした女性が口を出す。

「田村くんは本当に馬鹿ね。生きてたんじゃなくて復活したのよ」

「土屋さん、細かいことはどうだっていいじゃないですか」

 と、なだめるように言ったのは、背が高くて眼鏡をかけた青年だ。

 日南は近づいてくる彼らをにらみ、北野と西園寺を守るように前へ立つ。

 三人の顔に見覚えはないが、暗赤色の青年に対してだけは既視感がある。あちらが名前を知っていることからしても、きっと以前にどこかで会っているに違いない。

「お前らが『幕引き人』か?」

 低い声で日南が問いかけると、彼らは足を止めた。

「ああ、そうだが?」

 田村と呼ばれた青年が肯定し、日南は少しでも時間を稼ごうとして返す。

「オレたちを消しに来たんだろう? 悪いが、見逃してくれないか?」

「はあ? んなわけねぇじゃん!」

 田村が馬鹿にするように笑いだし、土屋と呼ばれた女性が息をつく。眼鏡をかけた青年もまた、呆れたような表情だ。

 どこかで建物がくずれる音がした。その中に悲鳴のようなものもまざって聞こえてくる。物語の墓場が大勢の「幕引き人」たちによって荒らされていた。

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