機械越しに西園寺の驚きが聞こえる。
「まさか、それって消されたってことか?」
「いや、そうじゃない」
日南梓は冷静に返した。
「けど、北野と一緒に会いに行った三人が全員、いなかったんだ」
「いなかった?」
「会えなかったんだよ。おそらくやつらに先回りされたんだ。作家たちはどこかに監禁されているに違いない」
しばらくの沈黙があり、西園寺が声を大きくした。
「そ、それは大変だ! 分かった、また後で連絡する!」
「ああ、頼んだ」
西園寺の方から通話が切られ、日南はスマートフォンを耳から離す。何気なく窓の外へ視線をやって、小さくため息をついた。
扉の外で他の職員と話をしていた千葉は、室内に戻りながら声をかけた。
「ついに『幕開け人』の情報がつかめたそうです」
椅子に座っていた日南隆二がほっとして頬をゆるめる。
「それはよかった」
「ええ。やはり日南さんが話してくださった通りでした」
千葉はそう返しながら向かいの椅子へ腰かけた。
「じゃあ、やっぱりあの子が……」
と、わずかに表情を暗くする日南へ千葉は問う。
「よかったんですか、裏切ってしまって」
日南はすぐに答えなかった。まだ心のどこかで葛藤があるのだろう。
日南隆二が北野を裏切ったのは、終幕管理局で保護されてから十日が経つ頃だった。居酒屋で酔いつぶれていたというのはアリバイ工作のための嘘であり、実際は「幕開け人」と会っていたと証言したのだ。
千葉は観察するように日南を見つめ、彼の言葉を待った。
息をついてから、日南はゆっくりと語り始めた。
「よかったかどうかは、正直に言って分からない。少なからず、罪悪感だってある。でも、ずっと誰にも話さず黙っていたら、俺も犯罪者の仲間になってしまう」
千葉は黙って彼の話を聞いていた。
「それはそれで心苦しいものがあったし、何が今一番大切かってことを考えたら……いらないかなって、思えたんだ」
日南が顔を上げて千葉を見る。
「そう思えるようになったのは、千葉くんの話を聞いたからだ。惑星インフィナム、アカシックレコードを守ることが、地球の……人類のためなんだ、って」
千葉は静かに返した。
「それで、捨てたんですね」
「うん。そもそも俺は、権利をあげると言ってしまった時点で『理不尽探偵』を捨てていたんだ。好きにしていいと言ってしまった。俺にはもう『理不尽探偵』に対する未練なんてなかった」
殺風景な部屋で日南は自嘲の笑みを浮かべる。
「あれは八年も前に書いてた話だし、当時、小説投稿サイトで公開してたけど、全然読者がいなかった。一人か二人はいたかもしれないけど、感想をくれるわけでもない。自分の作品がおもしろいかどうか、客観的な判断がつかなくて何も分からなかった」
日南とは十歳以上年が離れているため、千葉には分からない時代の話だ。
「今思うと、タイトルが悪かったかもしれない。理不尽なことをする探偵ではなくて、ただ口癖が『理不尽だ』っていうだけの探偵なんだ。そういう意味では、読者をがっかりさせた可能性もある」
ふと千葉は思考回路を働かせた。
「たしかに、タイトルから受けるイメージってありますよね。しかも受け取り方は人によって違うし、読んでみないと分からないのはよくなかったかもしれません」
日南が意外そうに千葉を見て、少しだけ嬉しそうにする。
「そう、そうなんだよ。君のような人に読んでもらいたかったな。それで感想をくれていたら、何かが違ったかもしれない」
日南の本音がぽろりとこぼれ落ち、千葉は気づいてしまった。
「……それを、未練というのでは?」
千葉の指摘に日南ははっとして口を閉ざすと、黙ってうなずいた。心の中にまだ未練が残っていたようだ。それこそが彼の物語に対する愛情の深さでもある。
十秒ほどの沈黙があった後、千葉のデバイスが唐突に音を鳴らす。ボタンを押して確認した千葉は、すぐさま腰を上げた。
「計画の終わりが近づいているようです。呼び出されたので行ってきます」
日南が顔を上げ、背中を向けた千葉へ言う。
「俺は後悔してないよ。未練があるのは否定できないけど、本当にもういいんだ。今は千葉くんたちを応援したいから、遠慮なく消してきてくれ」
千葉は足を止めると、振り返ってうなずいた。
「ええ、そうします。ありがとう、日南さん」
そして扉を開き、足早に廊下へと出ていく。
残された日南はため息をつき、しばらく扉を見つめていた。
「本当に誰とも連絡がつかない。どうなってるんだよ、日南!」
やってきて早々に叫ぶ西園寺へ日南梓は冷静に返す。
「どうもこうも、やっぱりどこかに監禁されてるんだろう。オレたちにできることはない」
と、背中を向けて部屋へ戻る。
西園寺が後をついてきながら言った。
「本当か? 監禁されてるなら、場所を突き止めて助け出すことだって」
「馬鹿言うな!」
日南は思わず声を荒らげた。
「『幕引き人』は何十人もいるんだぞ!? 助けに行ったら、オレたちが消されるだけだ!」
日南の剣幕にはっとして、西園寺は泣き出しそうな顔をする。
「俺たちが、消される……」
西園寺の声はかすれ、震えていた。自分たちが置かれている状況の厳しさを、ようやく理解し始めたのだろう。
「しかも北野の話だと、すでにオレたちは一度消されてるんだ。せっかく復活したのに、また消されてたまるかよ」
吐き捨てる日南へ西園寺は力なくうなずいた。
「そうだな……死にに行くような真似、できないよな」
「分かったなら大人しくしてろ」
「うん」
ダイニングキッチンの半ばで立ち止まる彼を置いて、日南は仕事部屋へ入った。
椅子に腰を落ち着けて、何をするでもなく起動させていたパソコンをながめる。
西園寺がそろそろとやってきて、日南のベッドへ座った。
「これからどうするんだ?」
「分からない。北野が戻ってこないとどうにもならない」
日南にはそう返すしかなかった。自分一人で判断していい事態ではない。
西園寺が小さく「そうか」と、相槌を打つ。
二人は同時に沈黙した。まるで嵐の前の静けさのように、辺りは異様なほど静まり返っていた。
窓の外にはうっすらと黄色みを帯びた空が広がっている。もうじき夕暮れだ。明かりはつけていなかったため、室内は徐々に薄暗くなってくる。
玄関の方から音がして、二人は同時に振り返った。北野が扉を開けてまっすぐにこちらへやってきた。
「遅くなってごめんね」
と、まず謝ってから日南へ言う。
「やっぱりそうだった。わたしたち、日南隆二に裏切られたの」