目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第27話

 北野は日南から視線を外すようにして、辺りをゆっくりと歩き始めた。

「作者がもう一度想像すれば戻るけど、そもそも作者の頭の中からも消えちゃうから、完全に消えちゃったら難しいんだ。だからこそ、そうなる前にわたしたちが介入しなくちゃならない」

 悲しみをこらえるような横顔に日南は質問を重ねる。

「介入できても、その後に消される可能性もあるよな?」

「うん、あるね。『幕引き人』たちはわたしたちより圧倒的に数が多い。だからこそ、今は協力者を集めなくちゃいけないの」

「そうだな。オレたちだけじゃ勝ち目ないもんな」

 日南はふと振り返って二〇一号室を見上げた。まだ月野が帰って来る様子はなかった。


 しかし、それから何分待っても変化はなかった。月野どころか、誰一人として姿を見せない。アパートの前を人が通ることもなければ、車や自転車すら見えなかった。

「……日南さん、次に行こうか」

「ああ、かまわねぇが」

「何だかわたし、嫌な予感がしてきた」

 北野が焦っているような暗い表情で言い、日南は息をつく。

「たまたまどこかに出かけてるだけかもしれないだろ」

「でも、ここは静かすぎるよ。日南さんが言ってたとおり、なんか変だよ」

 彼女の言いたいことは言葉にせずとも分かった。日南の胸にもまた、嫌な予感めいたものが生じ始めていた。


 二人が次に訪れたのは高円寺だった。経年を感じさせる塀に設置された「青葉荘」という看板からはボロアパートを連想させるが、リフォームでもしたのだろう、建物は比較的綺麗だった。

「ここに住んでるのは鈴木颯太すずきそうたっていう脚本家で、部屋は一〇四号室」

 アパートの廊下を右手へ進み、中程にある扉の前に立つ。

「一〇四、鈴木……今度は会えるといいんだけど」

 不安そうにつぶやいてから北野はチャイムを押す。

 反応はなかった。扉越しに室内へ耳を澄ませるが、人がいる気配は感じられない。

 北野は日南と顔を見合わせてから、もう一度チャイムを押した。

 日南はこらえきれずにため息をつく。どうやら鈴木颯太も留守にしているようだ。

「昼間だからかな」

 と、北野が言い訳をするような口調でつぶやき、日南は周囲を観察する。

 先ほどの桜木ハイツと同様に、他の部屋だけでなく、アパートの隣近所すらも静けさに包まれている。

「どうしよう……でも、どうして……」

 不安から混乱する北野へ日南は冷静に返した。

「もう一軒だけ行ってみよう。そこでも会えなかったら、今度こそ考えるんだ。いいな?」

「うん、分かった」

 北野がうなずくのを見てから、日南は歩き出した。嫌な予感は胸の中で着々と育ちつつあった。


 三件目は渋谷のタワーマンションだった。

 オートロックのため、建物の入口でインターホンのボタンを押して、相手を呼び出さなければならないのだが。

「ダメだ、反応がない」

 北野がとうとう泣き出しそうな顔をし、日南も弱ってしまった。

「こんだけでかいマンションなのに、人がいねぇもんな。やっぱり変だ」

 ここもまた先の二軒と同じで静かだった。

「……でも、どういうことなんだろう?」

 北野は近くの壁へ背中をつけた。

「せっかく教えてもらった作家たちが、みんないないなんて……」

「だけどゆらいではいない。ってことは、作家たちが消されたってわけではなさそうだな」

「うん、そうかもしれない。だからこそおかしいんだけど」

 日南は顎に手をやって少しの間考え込む。

「情報が漏れた、ってことはないか?」

「え?」

「裏サイトで集めたって言ったよな。その裏サイトがあっちにバレて、作家たちがどこかに連れ去られたんじゃないか?」

 顔を上げた北野がはっとする。

「そんな、でも……」

「三軒行って誰もいねぇんだ。先回りされてるとしか思えない」

 日南が言いきると、北野はぎゅっと口を閉ざしてから言った。

「分かった。一度、現実世界に戻ってみる。日南さんは自分の部屋で待ってて」

 そして彼女は駆け出し、自動扉を通って外へ出て行った。


 執務室で嵯峨野は安堵の息をついた。椅子の背もたれに体を預け、束の間目を伏せる。

「ついに『幕開け人』の正体が分かったか」

「至急、解析を進めています。うまくいけば、芋づる式に情報が出てくるものと思われます」

 常に難しい顔をしている川辺部長も、この時ばかりは幾分か和らいだ表情をしていた。

 ようやくつかんだ敵の尻尾だ。終幕管理局にとって大きく前進した瞬間だった。

 嵯峨野はそんな川辺の顔を見て、ふと目を細めた。

「墓場はどうなっている? 計画は順調か?」

「もちろんです」

 川辺がしっかりとうなずき、嵯峨野も満足気に口角をつり上げる。

「それならいいのだが、彼には感謝しないとな」

 組織に有益な一歩をもたらしてくれた人物への感謝の念が、自然と言葉になって出ていた。


 自宅へまっすぐ帰宅した日南梓は、パソコンチェアに腰かけて考え込んでいた。

 おそらく作家たちは終幕管理局により、どこかに監禁されているに違いない。どうにかしてその場所を突き止められないだろうか。

 静寂の中、ひたすらに頭を働かせる。ダイニングキッチンにあるアナログ時計の秒針の立てる音までが、聞こえるほどの静けさだった。

 デスクに置いたスマートフォンがふいに鳴り出した。手を伸ばしながら画面を見ると、西園寺からだった。

 すぐに日南はボタンを押してスマートフォンを耳にあてる。相手の声が聞こえる前にたずねた。

「結論は出たか?」

「ああ、いや……まだなんだ。でも、日南の意見を聞きたくて」

 西園寺の返答に少しがっかりしつつ、日南は言う。

「意見も何もねぇよ。オレは『幕開け人』として、仕事をまっとうするまでだ」

「そうか。日南はあいかわらず、芯がぶれないな」

 彼の苦笑いが目に見えるようだった。

 元々ミーハー気質なせいだろう、西園寺は昔から、自我の強い日南に憧れているような節がある。

 このまま話をしていても、西園寺はきっとまだ結論を出せない。彼との長い付き合いからそう思い、ふと日南はひらめく。

「そういや、お前、編集者だったな?」

「ああ、そうだけど」

 と、西園寺がどこか怪訝に返す。日南は思いきって頼んでみた。

「お前の知ってる作家たちに連絡を取ってみてくれないか? もしかすると、つながらない可能性がある」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?