西園寺も日南も黙って北野の話を聞いていた。
「現実世界では『創造禁止法』というのがあって、クリエイティブな活動が一切禁止されてるの。でもインターネットに、ひそかに創作活動を続ける人や、過去の作品を探す人たちが集まっている『graveyard of stories』という裏サイトがあるんだ。わたしたちはそこで協力者を集めることにした」
「どうやって?」
たずねたのは日南だった。
北野はちらりと彼に視線をやってから答える。
「あなたの想像した作家キャラを教えてください、って書き込んだんだ」
日南ははっとした。自分がまさしくそれだということに気づいたからだ。
北野はそんな彼を少し気にするようにしながら言う。
「日南さんが作家として物語を愛し、守ろうとしてくれたことから、他にも同じように同意して、協力してくれる人がいるかもしれないって考えたの」
その時のことを日南はまだはっきりとは思い出せない。しかし、物語を守りたいという思いはたしかに胸の中にあった。
「なるほど。それで?」
西園寺がうながし、北野は続ける。
「すでに何十人ものキャラクターが集まった。わたしたちはこれから、手分けして彼らに会いに行って説得するの。一人でも多く『幕開け人』になってもらえれば、今度はきっと『幕引き人』に勝てる」
彼女の口調には確固とした決意が見え、日南はうなずいた。
「反撃開始ってわけか。いいじゃねぇか、さっそく始めようぜ」
「ありがとう、日南さん」
北野がどこか嬉しそうに頬をゆるめるが、西園寺は不安げに言った。
「それ、俺もやらなきゃダメなのか?」
日南は黙って様子を見、西園寺へ顔を向けた北野が半ば困ったように言う。
「うーん、無理強いはしないつもりだけど……西園寺さん、
西園寺は困惑をあらわに眉尻を下げた。
「そうだけど、仕事とプライベートは分けたいんだ。もちろん北野ちゃんの言うことは分かるし、協力もしてあげたいけど、悪用するわけにもいかないっていうかさ」
サラリーマンとしての彼がそう言わせているらしい。ただでさえ真面目な男だ、仕方のないことではある。
日南は彼の考えを理解し、ため息をついた。
「西園寺は気が小さい男だからな。どうせいつもみたいに、じっくり考えてから結論を出したいんだろ?」
「うん、できれば時間がほしい」
申し訳なさそうに西園寺が返し、北野は言った。
「分かった。それなら、今すぐに返事はしなくていいよ。結論が出るまで、待ってるから」
「ありがとう、北野ちゃん」
ほっとしたように西園寺が表情をゆるめ、北野と日南はさっそく行動を開始することにした。
西園寺の部屋を後にして、駅へ向かいながら北野が言った。
「まずは三鷹にいる
先を行く
「そいつはどういうやつなんだ?」
「たしか絵本作家だったかな。すごく優しいお話を書くんだって聞いた」
と、北野はどこかわくわくした様子で答える。
「優しい、か」
絵本作家という職業からすれば、ありがちな設定だ。日南は心の中でそう思いながらも顔には出さずに返す。
「まあ、行ってみればどんなやつだか分かるよな」
「うん、そうだね」
北野は嬉しそうにうなずくと、ふと思い出したようにたずねた。
「そういえば、三鷹ってどうやって行くの?」
と、日南を振り返る。
日南はすぐに答えた。
「ここが中野だから、中央総武線で一本だな」
「あ、そうなんだ。けっこう近い?」
「いや、六駅くらいだったはずだ。ちょっと遠いな」
「ふーん、そうなんだ」
と、北野は納得したように首を振った。どうやら彼女は地理に
なんとなく妙な気がしたものの、日南は深く考えるのはやめて彼女を追った。
三鷹駅から徒歩十分ほどの距離に、月野弥月が住んでいるというアパートはあった。
「桜木ハイツ、ここだね。部屋は二〇一号室」
北野がさびた鉄階段を上がっていく。日南は何気なく周囲を観察しながら後をついて行った。
建てられてから数十年は経っていそうな古びたアパートだ。外壁は風雨により変色して、薄汚れたクリーム色になっている。
廊下を奥まで進み、二人は扉の前に立つ。
「二〇一、月野。よし」
部屋番号と表札を確認してから、北野はチャイムを押した。ピンポンというありがちな音が聞こえた。
しかし、返事はなかった。
北野がもう一度ボタンを押す。耳を澄ませて待ってみたが、応答がない。
「留守なのかな?」
と、北野が首をかしげながら日南を見る。
「うーん、いないならしょうがねぇな。少し待ってみるか?」
「そうだね」
「裏から見てみるのはどうだ? 部屋の様子、見えねぇかな」
「ああ、それいいね。窓の方に回ってみよう」
階段を下りて建物の裏手へと移動する。
バルコニーと呼ぶには躊躇するような、小さなスペースが見えた。どの部屋にも物干し竿が設置されているが、洗濯物はどこにも干されていない。
二〇一号室の窓を見上げ、日南は言った。
「カーテンが開いてるな」
「中の様子までは、ちょっと見えないね」
北野がつま先で立ちながら返し、日南はうなずいた。
「ああ、残念だがな。それにしてもこのアパート、他には誰も住んでないのか?」
「え?」
「どの部屋にも洗濯物が干されていない。アパートの周辺もやけに静かだ」
言われて初めて気づいたのか、北野は周辺をきょろきょろと見回す。
「たしかに、全然人がいないね」
アパートの正面へと戻りながら彼女は言う。
「でも、ここは作者さんの想像の中の三鷹だから、静かな町っていうイメージなのかもしれない」
「だとしても、変な気がするけどな」
日南はどうしても違和感が拭えなかった。しかし、具体的な言葉として表せない。
「うーん、だけど建物はちゃんと存在してるんだよね。ゆらいでる感じもしないし……」
と、北野が考え込む様子を見せ、ふと日南はたずねた。
「その、ゆらいでるってどういう意味なんだ?」
「えっと……わたしたち限定の感覚でね、安定していれば、現実世界と同じように物に触れるんだけど、そうじゃない場合をゆらいでるって言うの」
北野は階段の手すりに触ってみせた。軽く拳を作ってたたけば、コンコンと音が鳴る。
「つまり、物語が消えかけていれば、そこにある物には触れなくて、感触が曖昧になるってこと。時間とともにくずれていって、登場人物たちも一緒に消えちゃうんだよ」
「消えた物語はどうなるんだ? 戻らないのか?」