「どういうことだ?」
日南梓が
「アカシックレコードが破裂寸前なんだ。人間の想像したことも一つ残らず記憶されているせい。だから価値のない想像を消去するために、終幕管理局や『幕引き人』たちができたんだよ」
「価値のない想像……」
無性に腹が立った。
「もしかして、勝手に消して回ってるっていうのか?」
「うん、そうだよ。わたしはそれが許せない。たしかに彼らが消しているのは、日の目を見なかった物語たちだけど、一方的に価値がないと判断するのはおかしいと思う」
日南はやや声を低くして返す。
「ああ、オレも同感だ」
ここが物語の世界であることに疑いはない。しかし、だからといって消されていい物語があるとは思えない。
北野は一つうなずいてから話を続けた。
「だからわたしたちは彼らに対抗して、物語を消すのをやめさせたいと考えてる。それで、あなたの作者に協力を求めたんだけど……」
ふと表情を暗くして彼女は言った。
「『創造禁止法』に違反するわけにはいかないって、断られちゃったの。でもわたしには、どうしてもあなたが必要だった」
おもむろに視線を上げて、北野が日南をまっすぐに見る。
「だから彼に『理不尽探偵』の権利を譲ってもらったんだ」
日南はわずかに眉間へしわを寄せつつ聞き返した。
「権利?」
「分かりやすく言うと、わたしが続きを考えることになったの。つまり、今の日南さんはわたしが想像した存在で、前の記憶をあまり引き継げていないのはそのせいなんだ」
「つまり、二次創作みたいなものか?」
「そういうこと」
と、うなずいてから彼女は少し首をかしげた。
「わたしが知る限りの設定を詰め込んだけど、くわしいところまでは分からなかった。それと、新たに『幕開け人』であるという設定も付け足しちゃった。わたしの都合がいいように作り変えちゃったの。ごめんね、日南さん」
どこか寂しげに微笑む北野を見て、日南は腑に落ちた。
先ほど彼女が言っていた「生まれ変わってもらった」というのは、このことだ。それによって自分に何が起きているのかも、ようやく把握することができた。
「どうにも頭がすっきりしねぇのはそういうわけか」
記憶が
作家であるという自覚はあるが、どんな話を書いていたか思い出せない。探偵業にしても直近のものしか思い出せず、自分のことなのによく分からない。
しかし、北野の話をすんなりと受け入れている自分もいた。
「そういや、依頼人が消えたんだったな。あの後どうなった?」
日南の問いに彼女は悲しそうな表情を見せた。
「残念だけど消されちゃった。もう依頼人が帰ってくることはないよ」
「マジかよ……」
久しぶりの依頼だったというのに、まさかの依頼人消失により立ち消えになるなんて、これほど後味が悪いものもない。
すると、北野が不安げに日南を見た。
「大丈夫? またわたしと一緒に『幕開け人』、やってくれる?」
「ああ、もちろんだ」
日南は苛立ちを「幕引き人」へぶつけることにした。
いずれにせよ、物語を勝手に消すのは許しがたい行為なのだ。日南が「幕開け人」として動くのは当然のことだった。
北野はほっとしたように頬をゆるめた。
「よかった。あらためてよろしくね、日南さん」
朝食を済ませた後、日南梓は北野とともに西園寺のマンションを訪ねた。
「おー、いらっしゃい。どうぞ上がって」
と、ゆるい部屋着姿の西園寺が笑顔で二人を迎え入れる。今日は休日だった。
「お邪魔します」
北野が先に中へ入っていき、日南は後に続く。
西園寺の部屋に来るのは久しぶりだった。彼の身長が百八十三センチもあるためか、天井が少し高めな分だけ広々としているように感じられる。しかし、床やテーブルには書きかけの資料やメモが無造作に置かれ、生活感あふれる光景が広がっていた。
「西園寺さんの部屋、汚いなぁ」
くすくすと笑いながら北野が言うと、西園寺が苦笑する。
「悪かったな。片付けるの苦手なんだよ」
「じゃあ、日南さんに片付けてもらえば?」
北野の軽口を耳にした瞬間、日南の脳裏に一瞬、記憶の断片が浮かんだ。半ば無意識に西園寺と顔を見合わせる。
「オレ、昔やってなかったか?」
「いやいや、そんなことまではさすがに……」
言いかけて西園寺も首をひねる。どうやら彼も同じように、説明できない感覚に戸惑っている様子だ。
すると北野が意外そうに言った。
「二人ってそんなに仲良しだったの?」
仲良しと言われると返答に困るが、否定もできない。
「まあ、大学時代からの付き合いだしなぁ」
西園寺がそう言って冷蔵庫を開け、サイダーのペットボトルを取り出した。
「かれこれ八年になるもんな」
と、日南は床を適当に片付けて座る場所を作った。北野も日南にならって腰を下ろす。
不揃いのグラスを三つ持ってきた西園寺が、テーブルへそれらを置いてサイダーを注ぎながら言う。
「で、何か話があったんだったな」
「うん、そうなの」
それぞれの前にグラスを置いてから、西園寺も床へ座った。
「何の話だ?」
北野はサイダーを少し飲み、落ち着いた声で話し始める。
「西園寺さん、わたしたちが『幕開け人』なのは知ってるでしょう?」
「ああ、『幕引き人』に対抗しているとかいう話だよな」
「うん、そう。今の西園寺さんもわたしが想像した存在で、本来の二人はもう『幕引き人』に消されちゃってるんだ」
北野がわずかに目を伏せる。
西園寺は悲しそうな顔をすると、何故か日南を見つめた。
「ちょっとよく分からないけど、そうなんだな」
「ああ、そうらしい」
日南はうなずき、サイダーを口に含む。新鮮な炭酸が舌を刺激した。
「西園寺さんのことはあんまりよく分からなかったから、前とはだいぶ設定が違ってるかもしれない。だから、ごめんなさい」
北野が謝ると西園寺は少しだけ笑った。
「いや、別にいいよ。俺に謝られてもどうしようもないしさ」
「……うん、そうだね」
にこりと北野は笑みを返し、話を戻した。
「それで続きなんだけど、最初の日南さんが消されてからここ、物語の墓場に大勢の『幕引き人』が派遣されたの。わたしはその間、現実世界でほとぼりが冷めるのを待ってた」
彼女は現実世界の住人だ。現実主義でオカルトが苦手な日南だが、それについては不思議に思うことなく受け入れている。
「一週間くらいで人数が半分くらいになったんだけど、それでもまだ『幕引き人』の数は多かった。それからまた一週間経って、やっとほとぼりが冷めて落ち着いてきたから、わたしは行動を開始した」