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第25話

「どういうことだ?」

 日南梓が怪訝けげんに眉を寄せると、彼女はヘーゼル色の瞳にわずかな影を落とした。

「アカシックレコードが破裂寸前なんだ。人間の想像したことも一つ残らず記憶されているせい。だから価値のない想像を消去するために、終幕管理局や『幕引き人』たちができたんだよ」

「価値のない想像……」

 無性に腹が立った。

「もしかして、勝手に消して回ってるっていうのか?」

「うん、そうだよ。わたしはそれが許せない。たしかに彼らが消しているのは、日の目を見なかった物語たちだけど、一方的に価値がないと判断するのはおかしいと思う」

 日南はやや声を低くして返す。

「ああ、オレも同感だ」

 ここが物語の世界であることに疑いはない。しかし、だからといって消されていい物語があるとは思えない。

 北野は一つうなずいてから話を続けた。

「だからわたしたちは彼らに対抗して、物語を消すのをやめさせたいと考えてる。それで、あなたの作者に協力を求めたんだけど……」

 ふと表情を暗くして彼女は言った。

「『創造禁止法』に違反するわけにはいかないって、断られちゃったの。でもわたしには、どうしてもあなたが必要だった」

 おもむろに視線を上げて、北野が日南をまっすぐに見る。

「だから彼に『理不尽探偵』の権利を譲ってもらったんだ」

 日南はわずかに眉間へしわを寄せつつ聞き返した。

「権利?」

「分かりやすく言うと、わたしが続きを考えることになったの。つまり、今の日南さんはわたしが想像した存在で、前の記憶をあまり引き継げていないのはそのせいなんだ」

「つまり、二次創作みたいなものか?」

「そういうこと」

 と、うなずいてから彼女は少し首をかしげた。

「わたしが知る限りの設定を詰め込んだけど、くわしいところまでは分からなかった。それと、新たに『幕開け人』であるという設定も付け足しちゃった。わたしの都合がいいように作り変えちゃったの。ごめんね、日南さん」

 どこか寂しげに微笑む北野を見て、日南は腑に落ちた。

 先ほど彼女が言っていた「生まれ変わってもらった」というのは、このことだ。それによって自分に何が起きているのかも、ようやく把握することができた。

「どうにも頭がすっきりしねぇのはそういうわけか」

 記憶が混濁こんだくしている感覚だった。彼女のことを知っている自分と、知らない自分がいる。

 作家であるという自覚はあるが、どんな話を書いていたか思い出せない。探偵業にしても直近のものしか思い出せず、自分のことなのによく分からない。

 しかし、北野の話をすんなりと受け入れている自分もいた。

「そういや、依頼人が消えたんだったな。あの後どうなった?」

 日南の問いに彼女は悲しそうな表情を見せた。

「残念だけど消されちゃった。もう依頼人が帰ってくることはないよ」

「マジかよ……」

 久しぶりの依頼だったというのに、まさかの依頼人消失により立ち消えになるなんて、これほど後味が悪いものもない。

 すると、北野が不安げに日南を見た。

「大丈夫? またわたしと一緒に『幕開け人』、やってくれる?」

「ああ、もちろんだ」

 日南は苛立ちを「幕引き人」へぶつけることにした。

 いずれにせよ、物語を勝手に消すのは許しがたい行為なのだ。日南が「幕開け人」として動くのは当然のことだった。

 北野はほっとしたように頬をゆるめた。

「よかった。あらためてよろしくね、日南さん」


 朝食を済ませた後、日南梓は北野とともに西園寺のマンションを訪ねた。

「おー、いらっしゃい。どうぞ上がって」

 と、ゆるい部屋着姿の西園寺が笑顔で二人を迎え入れる。今日は休日だった。

「お邪魔します」

 北野が先に中へ入っていき、日南は後に続く。

 西園寺の部屋に来るのは久しぶりだった。彼の身長が百八十三センチもあるためか、天井が少し高めな分だけ広々としているように感じられる。しかし、床やテーブルには書きかけの資料やメモが無造作に置かれ、生活感あふれる光景が広がっていた。

「西園寺さんの部屋、汚いなぁ」

 くすくすと笑いながら北野が言うと、西園寺が苦笑する。

「悪かったな。片付けるの苦手なんだよ」

「じゃあ、日南さんに片付けてもらえば?」

 北野の軽口を耳にした瞬間、日南の脳裏に一瞬、記憶の断片が浮かんだ。半ば無意識に西園寺と顔を見合わせる。

「オレ、昔やってなかったか?」

「いやいや、そんなことまではさすがに……」

 言いかけて西園寺も首をひねる。どうやら彼も同じように、説明できない感覚に戸惑っている様子だ。

 すると北野が意外そうに言った。

「二人ってそんなに仲良しだったの?」

 仲良しと言われると返答に困るが、否定もできない。

「まあ、大学時代からの付き合いだしなぁ」

 西園寺がそう言って冷蔵庫を開け、サイダーのペットボトルを取り出した。

「かれこれ八年になるもんな」

 と、日南は床を適当に片付けて座る場所を作った。北野も日南にならって腰を下ろす。

 不揃いのグラスを三つ持ってきた西園寺が、テーブルへそれらを置いてサイダーを注ぎながら言う。

「で、何か話があったんだったな」

「うん、そうなの」

 それぞれの前にグラスを置いてから、西園寺も床へ座った。

「何の話だ?」

 北野はサイダーを少し飲み、落ち着いた声で話し始める。

「西園寺さん、わたしたちが『幕開け人』なのは知ってるでしょう?」

「ああ、『幕引き人』に対抗しているとかいう話だよな」

「うん、そう。今の西園寺さんもわたしが想像した存在で、本来の二人はもう『幕引き人』に消されちゃってるんだ」

 北野がわずかに目を伏せる。

 西園寺は悲しそうな顔をすると、何故か日南を見つめた。

「ちょっとよく分からないけど、そうなんだな」

「ああ、そうらしい」

 日南はうなずき、サイダーを口に含む。新鮮な炭酸が舌を刺激した。

「西園寺さんのことはあんまりよく分からなかったから、前とはだいぶ設定が違ってるかもしれない。だから、ごめんなさい」

 北野が謝ると西園寺は少しだけ笑った。

「いや、別にいいよ。俺に謝られてもどうしようもないしさ」

「……うん、そうだね」

 にこりと北野は笑みを返し、話を戻した。

「それで続きなんだけど、最初の日南さんが消されてからここ、物語の墓場に大勢の『幕引き人』が派遣されたの。わたしはその間、現実世界でほとぼりが冷めるのを待ってた」

 彼女は現実世界の住人だ。現実主義でオカルトが苦手な日南だが、それについては不思議に思うことなく受け入れている。

「一週間くらいで人数が半分くらいになったんだけど、それでもまだ『幕引き人』の数は多かった。それからまた一週間経って、やっとほとぼりが冷めて落ち着いてきたから、わたしは行動を開始した」

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