日南隆二は目を丸くして千葉を見た。
「作家を?」
「ええ。自分にはできないと思っていましたし、おもしろい小説を読むたびに、出会えたことに感謝していました。だから、日南さんがどうして書くのをやめてしまったのか、個人的な興味から知りたいと思うんです」
日南が苦い顔をして目をそらす。
「よくある話だよ。どれだけ書き続けても、何度賞に出しても、結果が出なかった。自分なりに努力したつもりだけど、まったくダメだったんだ」
彼は努力に裏切られてきた人らしい。千葉は自身と正反対の育ち方をしてきた彼に、ますます興味を抱いた。
「それで?」
「……うん。ある時、気づいてしまったんだ」
あいかわらず殺風景な室内で、日南隆二は遠い目をして語る。
「小説を書く時間を、他のことに使えばよかった。資格を取ったり、外国語の勉強をしたり。そうすれば、もっとマシな人生が送れたんじゃないかって」
日南の声には、自嘲ともあきらめともつかない複雑な感情がにじんでいた。単なる後悔ではなく、これまでの人生で何度も繰り返し考えては葛藤し、その度に精神をすりつぶしてきたのだろう。
「俺は叶わない夢を追いかけて人生を無駄にしたんだ。だからもう、やめた。というより、書くのが馬鹿らしくなって、書けなくなった」
重々しくため息をつく日南へ、千葉は慎重にたずねる。
「未練はないんですか?」
「……さあ、どうだろう。ないと言ったら嘘になるような気がするけど、自分でもよく分からないよ。それに禁止される時代だし、やめてよかったと思う気持ちの方が強いかな」
返答に迷った千葉は、ふと窓の方へ顔を向ける。
「残酷なのは分かっています。価値のない想像だと、勝手に判断して消して回る……そんな『幕引き人』は、業が深いとすら思います。でも、そうしないと守れないものがある」
悩んだ末にこの道を選んだ千葉だが、アカシックレコードを実際に目の前にしていなければ「幕引き人」にはなっていなかっただろう。情報であふれた惑星はそれほど、とても苦しそうに見えた。
日南はしばらく口を閉じて考え込んでいたが、ふと目を上げて千葉を見た。
「惑星インフィナム、だっけ。どういう感じの星なの?」
顔の向きを戻して千葉は首をひねる。
「どういう、と言われると説明しにくいんですが……どうやら、情報を構成する原子が長い時間をかけて物質化し、それらが固まったものが堆積することで惑星の地表を覆っていて」
「ああ、そういう難しい話はちょっと」
と、日南が苦笑いをし、千葉ははっとして眉を下げた。つい悪い癖が出てしまったようだ。
「すみません。えーと、分かりやすく言うとですね……」
千葉はできるだけ言葉をかみくだいて分かりやすくしながら、自分の持っている知識を彼へ与えることに苦心した。
遠くから音がする。意識した瞬間に音は近づいて鮮明になり、引き寄せられるように目を覚ます。
「……ああ」
朝だ。見慣れた天井に見慣れた室内。いつもの自分の部屋だった。
日南梓はまとわりつく眠気に抗えず、ベッドの上で寝返りを打ってからはっとした。
台所の方から音がする。誰かがいる。自分は一人暮らしだったはずなのに。
慌てて体を起こし、おそるおそるベッドから出た。そっと扉へ近づき、音を立てないようにして小さく開ける。台所に立つ背中を見て、日南は急にほっとした。
すると彼女が振り返ってにこりと笑う。
「待ってたんだよ、日南さん」
「ああ、そうだったか。悪い」
寝間着のままダイニングキッチンへ入り、椅子に座ったところで疑問が頭をもたげる。
「あれ? 誰だ、お前」
「やっぱり忘れちゃってたか。大丈夫、すぐに説明するから」
中性的なショートヘアで、すらりと背の高い女性だ。顔立ちは整っていて美しいが、どことなく性別を感じさせない雰囲気がある。
トーストが出来上がり、彼女が皿にそれを置く。日南がいつも使っているマーガリンがすでにテーブルの上にあった。
彼女が小鉢に入ったサラダを持ってきて日南の前に置く。それからインスタントのコーヒーを淹れてくれた。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう」
何度見ても日南は彼女のことを思い出せない。しかし、この場に彼女がいることに違和感を覚えてはいなかった。あるのは妙な空白だ。
不思議な感覚をもてあましながら、日南はトーストにマーガリンを塗る。
彼女が向かいの席に腰を下ろして言った。
「わたしは北野響。探偵である日南梓さんの元に、押しかけ助手としてやってきた設定なの」
「……設定?」
日南が首をかしげると、北野はサラダへドレッシングをかけながら言う。
「今のあなたはね、ちょっと事情があって生まれ変わってもらったんだ」
「意味が分からないんだが?」
と、日南が北野をにらむと、彼女は少し寂しげにため息をついてから話し始めた。
「あのね、日南さんは物語の墓場にいるの。あなたは探偵であると同時に『幕開け人』として『幕引き人』に対抗する立場の人。それで、わたしがそれを助ける役。
行方不明になった娘を探してほしいっていう依頼が、前にあったでしょう? あれに関わっていたのが『幕引き人』で、彼らは物語を消すのが仕事なの。でも、作家でもある日南さんはそれが許せなかった。だから『幕開け人』になった」
言葉で説明されても分からないはずなのに、日南は受け入れていた。何だかそんな気がしてきたからだ。
「でも、あなたは『幕引き人』によって殺されてしまった。わたしは現実世界に戻って、あなたの生みの親に会ってきたの」
「オレの親?」
「作者だよ。あなたが主人公を務める『理不尽探偵』の作者で、日南隆二さんって言うの」
「日南……」
自分を作った者が同じ名字を持っていたことに、少なからず日南は驚いた。だが、すぐに思い直す。作者は自分に自己投影していたのかもしれない。日南梓もまた、小説に同名のキャラクターを主役として登場させている。
「わたしたちは事情を話して協力を求めた。もう一度『理不尽探偵』を書いてもらうように、って。でも現実世界では『創造禁止法』というのがあって、一切の創作活動が禁止されているの」