ビデオ通話であっても会議は疲れる。国際会議となれば倍の疲労がたまる。
嵯峨野は接続が完全に切れたのを確認し、ため息をついた。
アカシックレコードの問題は深刻だ。各国で対策を練ってそれぞれに行動を起こしているが、中でも日本は群を抜いて想像力が豊かなため、毎回槍玉に挙げられる。
特に今回は「幕開け人」の件がある。各国から浴びせられた視線を思い出すだけで、嵯峨野は胸が悪くなるようだ。
これではいけないと気を取り直し、嵯峨野はデスクの上のデバイスを操作した。
「川辺くんを呼んでくれ」
すぐに秘書の返事があり、数分後には川辺部長が執務室へやってきた。
「お疲れさまです」と一礼する川辺に対し、嵯峨野は一瞬目を閉じ、疲労を悟られないよう真面目な表情を作った。
「先ほど会議が終わった。早急に共有しておくべき点があるから、よく聞いてくれ」
川辺が表情を引き締め、嵯峨野は言葉を続けた。
「欧米諸国では現在、『パラサイトドリーマー』と呼ばれる厄介者が現れているそうだ」
川辺の眉がわずかに動く。
「『幕開け人』のようなものですか?」
「いや、どうもそれとは異なるらしい。説明を聞いた限りでは、特に想像力が豊かな者たちをそう呼ぶらしいんだ。『幕開け人』は既存のものを再生させるのに対し、『パラサイトドリーマー』は新たに想像を生み出すという。ほとんど無尽蔵にな」
最後の言葉に川辺が驚いた顔を見せる。
「それはまた厄介な……」
「局所的に情報が増えるそうだから、見つけるのは容易らしい。だが、我が国でそんなことが起こればどうなってしまうか」
こらえきれずにため息をつく嵯峨野へ川辺は言った。
「今後はより注意して監視するよう、指示を出しておきます」
「ああ、頼む」
と、嵯峨野は返しながら、部下に頼りっぱなしであることを深く恥じた。せめて「幕開け人」の件だけでも、無事に解決しなければならない。
久しぶりにオフィスへ戻ってきた土屋
「あら、千葉くんは?」
ソファに寝転びポータブルゲーム機で遊んでいた田村は、目だけを向けて返す。
「日南隆二の世話役やってます」
「世話役? 聞いてないんだけど」
やや機嫌を損ねたように言いつつ、彼女は自分のデスクへ歩み寄った。
「オレが消去した日南梓の持ち主が日南隆二。そんで、そいつが今後『幕開け人』に接触するかもしれないから、先に保護したってわけ」
と、田村は寝返りを打って上半身を起こす。
パソコンを起動させながら土屋は椅子へ腰を下ろした。
「誰が決めたのよ、それ」
「知りませんよ。けど、日南隆二を見つけたのは航太です。一番情報を持ってるから世話役に任命されたって話です」
彼の言葉にうなずきつつ、土屋は自分が不在の間にたまった知らせへ目を通していく。
「世話役って言うより監視ね。それにしても、便利に使われ過ぎじゃない?」
「でも、これで汚名返上できましたよ」
「ああ……それはそうね」
土屋は少しほっとしたように表情をゆるめ、田村がふとたずねる。
「それより、もう墓場はいいんすか?」
「ええ、『幕開け人』が一向に現れないから人数を減らされたの。じきに研修も再開される予定よ。でも千葉くんがいないんじゃ、私たちはしばらく仕事にならないわね」
「そうっすね。けど、これで給料もらえるんだからラッキーです」
と、田村がにやりと笑う。
土屋は彼を横目ににらんでから、黙ってパソコン操作へ集中した。
日南梓を消去してから一週間が経過していた。物語の墓場における警戒は続いているが、異常事態どころか「幕開け人」の痕跡すら発見されていなかった。
コロニー内の空は今日も晴れていた。頭上を覆うのは人工的な空であり、雲一つない。
降雨装置の開発は進んでいるが実用化にはまだ遠く、安定して雨を降らせることができずにいた。また、そもそも水が極めて貴重な資源であるこの時代、気象現象を人工的に再現しようとする試みそのものに、反対意見を持つ人々も少なくなかった。
千葉は椅子に座ったまま、窓際に立つ日南隆二の背中を見ていた。東京の町並みを模した景色をながめている彼へ、ふとたずねてみる。
「どうしてやめちゃったんですか?」
「え?」
驚いたように振り返った日南へ、千葉は穏やかに問いかける。
「昔、小説を書いてらっしゃったんでしょう?」
日南はドキッとしたように肩を揺らし、視線を泳がせた。
「それは、まあ、こんな時代だし……」
曖昧な言葉で濁そうとする日南から視線を外し、千葉は少し考えてから告げた。
「実は僕、本を読むのが好きなんです」
「……『幕引き人』なのに?」
日南がおずおずと問いかけ、千葉はおもむろにまぶたを閉じる。
「僕が『幕引き人』になったのは、大学の天体物理学科で惑星の研究をしていたからです。教授が調査班の一人だったので、僕も同行させてもらいました」
実質的なアカシックレコードである惑星インフィナムでの経験は、言葉では言い表せない。難解かつ膨大な量の記憶があちらこちらにあり、目には見えるのに触ることができないという、とても不思議で忘れがたい体験だった。
「他国からも大勢調査員が派遣されていました。解読班だけでなく、惑星そのものを調査する人たちなどもいて、驚きと発見の連続でした」
日南がそっと椅子を引き、腰かけた。
「千葉くんはすごい人だったんだな」
「いえ」
千葉は小さく首を振り、スリープ状態にしてあるパソコンを見下ろす。
「そのうちに誰かが気づいたんです。この惑星は限界を迎えようとしている、このままでは破裂してしまうと」
「それで?」
「
初めてニュースで知った時の驚きや戸惑いが思い出され、千葉はため息をついた。
「正直に言って、最初は受け入れられませんでした。ですが、人間の想像があの惑星を圧迫しているのも事実です」
日南がうなずくように小さく首を動かす。彼もまた、千葉と同じように狭間で揺れ動いている人間だった。
しかし、千葉は言う。
「僕は悩んだ末に、これまでの人類を、地球で生きて発展してきた人間という種族を、守ることにしました」
日南が乾いた笑いを漏らした。
「はは、壮大だな」
自嘲とわずかな尊敬、劣等感と諦観。いくつもの感情が複雑に絡み合った表情だった。
息をついてから千葉はにわかに声をひそめる。
「ここだけの話ですが、僕は幼い頃、本を書ける人をとても尊敬していました」