早朝に帰路へついた日南隆二は、アパートの前で見知らぬ男に声をかけられた。
「すみません、日南隆二さんですか?」
ドキッとしつつ日南は返す。
「ええ、俺が日南ですが……」
男はスーツ姿であり、どうやら刑事らしいと見て取れた。近くに隠れていたもう一人の男が顔を出してこちらへやってくる。
日南が緊張から唾を飲むと、声をかけてきた男がたずねた。
「失礼ですが、今までどこにおられましたか?」
「え?」
「昨夜、帰宅されませんでしたよね?」
やはり刑事だ。日南は戸惑いながらも答えを返した。
「えっと、それがお恥ずかしい話なのですが、居酒屋で酔いつぶれてしまいまして」
間髪を入れずに男が問う。
「どこの居酒屋です?」
「えーと、四区にある……ああ、そうだ。レシートがあるので見せますよ」
日南は震えそうになる指でデバイスを操作すると、居酒屋のデジタルレシートを表示させた。
刑事たちが画面をのぞき込み、じっくりと観察する。店名や注文内容および値段の記載されたごく普通のレシートであり、会計を行った時刻まできちんと記されている。
もう一人の男がたずねた。
「ちなみにお一人で、ですか?」
「いえいえ、マッチングアプリで知り合った方と一緒に行きました。といっても、あんまりにも相手が美人だったので緊張して、つい飲みすぎてしまって……」
苦笑いをする日南にうなずきつつ、最初の男が次の質問をする。
「その方のお名前を聞かせていただいてもよろしいですか?」
日南は二人の男を交互に見てから言った。
「それはかまいませんが、もしかしてこれ、事情聴取ってやつだったりします?」
刑事たちは軽く目配せをし、観念した様子で返した。
「申し訳ありませんが、署までご同行願えますか? もちろん任意です」
「……分かりました」
日南は気が重くなりながらも首を縦に振った。
仮眠室で一晩過ごした嵯峨野は、拭いきれない眠気をそのままに部屋を出た。
執務室へ向かう途中、慌てた様子の川辺部長と鉢合わせる。
「局長、日南隆二が見つかりました!」
嵯峨野はとっさに理解が追いつかず、その場に立ち止まると無言でまばたきを繰り返す。徐々に言葉の意味が脳へと浸透し、聞き返した。
「何だって?」
遅れて反応した嵯峨野へ、川辺は焦りを隠さず繰り返す。
「ですから、作者が見つかったんです。警察が任意同行し、現在は署の方で事情聴取をしています」
口の中で「任意同行」とつぶやき、はっとした。
「『幕開け人』との関連は?」
「まだ分かりませんが、日南は居酒屋で酔ってつぶれていただけのようです。アリバイの裏付けを進めていますが、どうやら本当のようでして」
「そうか」
嵯峨野はほっと胸を撫で下ろした。昨夜は後手に回ったかと悔しく思ったが、そうではなかったらしい。まだ打つ手があると分かれば、さっさと事を進めるのみだ。
再び歩き始めながら嵯峨野は指示を出した。
「すぐにそいつをこちらに送ってくれ。『幕開け人』から保護するためだと説明して、警察を説得しろ」
川辺は後をついてきながら返す。
「分かりました」
日南隆二が「幕開け人」と関係していないことが分かれば、警察には留めておけない。しかし、今後接触するおそれがあるとするならば、終幕管理局で保護するのがもっともいい形だ。虚構でありながら「幕開け人」となった日南梓を復活させないためにも、すぐ近くで監視する必要がある。
すっかり眠気が吹き飛んだ嵯峨野は続けてたずねる。
「ところで、墓場の方はどうだ? 『幕開け人』は現れたか?」
「いえ、一向に現れません。新たに虚構が再生された痕跡もなく、すでに引き上げたようです」
「何の手がかりもなしか」
「はい」
エレベーターへ乗り込み、嵯峨野は腕組みをして考え込む。
「となると、保護するのではなく泳がせるべきか」
続いて乗り込んだ川辺はボタンを押して扉を閉じ、箱が動き出したところで心配そうな目を嵯峨野へ向ける。
「お言葉ですが、
嵯峨野はため息をついた。
「それならどうすればいい? いつまた『幕開け人』が現れるか分からないんだぞ。見逃すわけにはいかない」
「お気持ちはよく分かりますが……」
その後に続く言葉は出てこず、川辺は視線をそらす。エレベーター内に重い沈黙が居座った。
時間を無駄にしている場合ではないと考え直し、嵯峨野は言った。
「ひとまず保護だ。それから考えよう」
「かしこまりました」
直後、執務室のあるフロアに到着し、嵯峨野はまっすぐ廊下を進む。横目に見た窓の外には、人工的な無彩色の景色が広がっていた。
午後三時を過ぎた頃、三階にある会議室の一つを千葉は訪れていた。
「失礼します」
と、声をかけてから中へ入る。
まず目に入ったのはぼさぼさの髪をした中年男の姿だ。背中を丸めて椅子にぼんやりと座っていた。
少し遅れて彼がこちらを見る。千葉はできるだけ穏やかな表情で、机を挟んだ対面へと移動した。
「日南隆二さんですね。これからあなたのお世話をさせていただく、千葉航太と申します」
「あ、よろしくお願いします」
おずおずと日南が頭を下げ、千葉は椅子を引いて腰を下ろす。次に、手にした薄型パソコンを机に置き、起動させながら言う。
「お世話と言っても話し相手のようなものです。また、ここで保護されている間は何かと不便や問題もあるでしょうから、そうした時に頼っていただければと思います」
「はい、分かりました」
パソコンをいくつか操作し、千葉はあらためて日南を見る。身長は高そうだが、年齢のせいかさえない容姿だ。表情も心なしかしょぼくれていて陰気である。
考えてみれば、警察での長時間にわたる事情聴取の後だ。自宅へ帰らせてもらえず、そのまま警察署から保護という名目で終幕管理局へ連れて来られたのだから、疲れていてもおかしくはなかった。
千葉は気を取り直して口を開く。
「これからいくつか確認させていただきますので、ご協力ください」
「はい」
「日南隆二さん、現在は機械製造会社で事務をやってらっしゃるんでしたね」
「ええ、そうです」
「年齢は三十四歳、生年月日は一九九五年九月十五日。ああ、あと二ヶ月でお誕生日ですね」
「はい」
日南の表情はあまり変わらず、慣れない様子だ。
きっと部屋がよくないのだろう。元々会議室だった部屋に仮眠用の簡易ベッドが運び込まれているだけで、他にあるのは椅子と机のみである。彼が持っていたデバイスも取り上げられていた。