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第21話

 日南が連れてこられたのは、四区にある寂れた居酒屋だった。薄暗い路地のさらに奥、ほとんど人の気配がない場所だ。

「えっと……」

 日南は言葉を詰まらせ、足を止めた。看板は出ているが中へ入るにはためらわれる。

 扉を開けた北野が振り返り、言った。

「申し訳ないんですけど、法に触れる話なんです」

 まずいと思った。せっかくこれまで大人しく暮らしてきたのに、法に触れるのはまずい。

「すみません。やっぱり俺、帰ります」

 と、日南がきびすを返そうとすると腕をつかまれた。

「ダメです。逃がしません」

「えっ、何で!?」

 驚き困惑する日南を、強い力で北野は店内へと引き入れる。

 自分たち以外に客の姿はなかった。店員もカウンターに一人いるばかりで、営業しているのかどうか怪しいほどだ。

 北野は躊躇なく店内を奥へと進んでいく。

「さあ、こっちへ来てください」

 店の奥には、カーテンで仕切られた小さな個室があった。北野はカーテンを開けると、日南をさらに奥へと引き入れた。薄暗い照明が誰もいない室内をぼんやりと照らしている。

「座ってください」

 うながされるまま日南は椅子へ腰を下ろし、北野が対面に座る。

「単刀直入に言いますね。『理不尽探偵』をもう一度、書いてください」

「はあ!?」

 いきなり犯罪をしろと言われて、日南は首を左右へ振る。

「無理です、無理無理!」

 しかし北野は真剣な顔をして言った。

「日南梓を復活させてもらわないと困るんです」

「そ、そう言われても……」

 日南は視線を外して体を縮こまらせる。

「分かりました。事情をすべてお話します」

 そう言って北野は一つ深呼吸をした。

「実は、あなたの想像した『理不尽探偵』の日南梓が、物語の墓場で殺されたんです」

「墓場って、グレストの?」

「いえ、違います。アカシックレコード内にある一部地域に、物語の墓場と呼ばれる場所があるんです。そこは日の目を見なかった物語や、途中で忘れ去られて放置された物語など、いわゆる価値のない想像が渾然こんぜん一体となって存在しているんです」

 まるで別世界の話をされているような感覚だった。日南は目を丸くし、北野の言葉を繰り返した。

「価値のない想像?」

「ええ。それを終幕管理局の『幕引き人』たちが消して回っているんです」

 途端にピンときた。「創造禁止法」が制定されるきっかけとなったのが、アカシックレコードにおける新事実の発見だった。

「たしか、容量が決まってるとかいう」

「そうです。でも、勝手に価値がないと判断されて消されるのって、ムカつきませんか?」

 北野が怒りを含んだ口調で言い、日南は黙ってうつむいた。

「わたしたちは彼らに対抗するために行動をしているんです。それが『幕開け人』であり、主に物語を再生させる活動をしています」

「……レジスタンス、というわけだ」

 日南は苦い顔で北野をちらりと見た。北野は真剣な目でうなずいた。

「そう思ってもらってかまいません」

 大変な人物と知り合ってしまった。協力しないとどんな目に遭わされるか分からない。かといって、これまでの平穏な暮らしを捨てるわけにもいかない。

 かまわずに北野は話を続けた。

「わたしは物語の墓場で日南梓と会いました。探偵であり小説家でもある彼は、事情を知った上で協力してくれました」

「……」

「ですが、『幕引き人』に見つかって消されてしまったんです。彼の友人である西園寺も、主人公を失ったことで物語とともに消えかけています」

 日南梓の助手として作ったキャラだ。普段は出版社で働くサラリーマンだが、日南にいつも絶妙なヒントを与える。彼らのやりとりを書くのはとても楽しかった。

 妙に懐かしく思うと同時に、あまり具体的な内容が浮かばないことに気づく。

 すると北野が指摘するように言った。

「あなたの中でも消えかけているはずです」

 どうやらそういうことらしいなと、日南は内心で苦く思った。

 北野はなおも真剣に続けた。

「でも、今ならまだ間に合う。もう一度想像して、彼らの物語を作り出してくれれば、彼らは復活できるんです」

「……それじゃあ、聞くけど」

 日南はぎこちなく苦笑いをしながらたずねた。

「それって本当なのか? そもそも物語の中だとか、アカシックレコードがどうとかいう話からして信じられない」

「実際に法律で禁止されているのに?」

「ああ、そうだよ。アカシックレコードなんてオカルトじゃないか。実際に存在してるわけがないのに、人類は何を見つけてそうだと断定したんだ?」

 北野の表情が一瞬だけゆがんだ。すぐに真剣な顔に戻って言い返す。

「宇宙に移り住むことが決まったのは、宇宙で暮らす種族たちとの出会いがあったからでしょう? 天の川銀河のすべてが記録されているって教えられた惑星がアカシックレコードで、ニュースにもなった。日南さんだって見ているはず」

「そ、そうだけど……でも俺は、信じてないんだ。いくらここが宇宙でも、想像することが禁止されていても、目に見えないものが実在しているわけがないんだ」

 日南もまたオカルト否定派だった。もっとも、近年はオカルトで信じられてきたことが次々と存在を確認されている。今や否定派は圧倒的マイノリティだ。

 ふっと息を吐くと、北野は静かな声で言った。

「じゃあ、入ってみますか?」

「え?」

「物語の中、日南梓のいた世界に入ってみますか?」

 北野の誘いに日南は迷い、葛藤かっとうした。装置は終幕管理局にしか存在しないはずだ。仕組みがどうなっているのかもよく知らない。しかし――。

「違法だろう?」

「ええ、まあ」

「バレたら逮捕される」

「コロニーから永久追放されるかもしれませんね」

 地球へ帰ることも出来ず、永遠に宇宙空間をさまよい続けるのはむごい。しかし、それほどの重罪であることも事実だ。

「……そんな危険なことを、どうして」

 日南の苦しげな問いに、北野は切なく微笑んだ。

「紅茶とお菓子と物語が好きなんです」


「『幕開け人』となった日南梓の作者を特定しました。新東京エリア三区に住む日南隆二という男なのですが、警察が自宅へ向かったところ、いませんでした」

 川辺部長が苦々しく報告し、嵯峨野はため息をつく。

「いないというのはどういうことだ?」

「どうやら、帰宅していない様子です。独身者専用アパートで暮らしており、普段であれば帰宅しているはずの時間でした。現在、捜査官がアパートの前で張り込んでいます」

 目付きを鋭くさせながら嵯峨野は問う。

「『幕開け人』に先回りされたという可能性は?」

 川辺が一瞬たじろいだように見えた。視線をわずかに下げ、かすかに声を震わせながら答える。

「その可能性は、高いかと……」

 つまり自分たちは後手に回っていたのだ。

「頼りにならんやつらめ」

 低くつぶやき、嵯峨野は顔も知らない「幕開け人」への憎しみを募らせた。

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