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第20話

 仕事を終えて独身者専用のアパートへ帰る。夕食は途中にある店で済ませており、部屋に着いた頃には風呂が自動でわいていた。

 何不自由のない暮らしと言えば聞こえはいいが、独身者に向けられる世間の目は冷たい。日南隆二ひなみりゅうじの毎日は灰色だった。

 二〇三〇年、人類は一部の選ばれた人間から優先的に宇宙へ移り住んでいた。スペースコロニーから段階的に火星へと引っ越していく計画が進行中だ。

 幸運なことに移住者の一人となった日南は、一年前からコロニー内の第二日本で暮らし始めた。地球とは違う環境に当初は不安を抱いたが、重力制御装置が作動しているため、実際に暮らしてみるとすぐに慣れた。

 食事はいまいちだったが、火星では畑が耕されている最中だ。早ければ数年のうちに、収穫物がスペースコロニーへ供給されるだろうとの見通しだ。

 仕事も地球にいた頃と大して変わりない。国ごとに居住スペースが分けられているため、言語の問題には無縁だった。

 唯一の懸念けねん点は四年前に制定された「創造禁止法」である。文学に限らず漫画や音楽、映画、絵画に彫刻など、あらゆるクリエイティブな活動が禁止された。無論、アカシックレコードの保持のためである。

 そのため、娯楽は昔の作品を楽しむだけとなり、アーティストと見なされたら逮捕される。自らが創造することだけでなく、誰の想像力を刺激してもならない。

 日南は浴槽につかりながら薄型のデバイスを操作していた。画面はホログラムでごく軽量の最新型だ。インターネットブラウザを開き、慣れた手つきでVPNを経由してからグレストを開く。

 正式名称を「graveyard of stories」、日本語に訳すと「物語の墓場」となる。どこの誰が管理しているのか知らないが、創造や想像を捨てられない人たちのための裏サイトだ。

 表には出せないクリエイティビティを発散する場所とも言い換えることができ、中には特定の作品を探すための掲示板もあった。タイトルを思い出せないがもう一度見たい、あの作品を作ったのは誰だったのか知りたいなど、情報を求める人が昼夜を問わず集まっている。

 その日、日南が目を留めたのは懐かしいタイトルだった。

「理不尽探偵という小説について情報を求めています。作者の名前は日南梓だったはずです。できれば作者と会って話がしたいです。些細なことでもかまいません、何か情報をお持ちの方はご連絡ください」

 思わず心臓が跳ねた。日南梓は昔使っていたペンネームだ。

 まさか「理不尽探偵」を覚えている人がいるとは思わなかった。しかも作者と会いたいなんて信じられない。

 そんな熱烈なファンがいた覚えはないが、何かきっかけがあって思い出してくれたのだろうか?

 しかし、日南はもう創作をやめた人間だ。「理不尽探偵」のことだって、今の今まで忘れていた。

「……会って話がしたい、か」

 しかし、作者として作品を覚えていてくれるのは嬉しい。たった一人でも読者がいたのかと思うと、感慨かんがい深くもある。

 悩んだ末に日南は書き込みをした人物へメッセージを送った。

「はじめまして、作者の日南です。私の作品を覚えていてくださり、嬉しく思います。ですが、お会いすることはできません。ありがとうございました」

 ただ感謝だけを伝えたかった。

 デバイスを浴槽のへりに置いて、日南はゆっくりと立ち上がった。


 返信があったのは風呂から上がって数分後だった。

「まさか作者の方から連絡がもらえるとは思わず、とてもびっくりしました。世の中の流れからしてもお話しにくいのは分かります。でも、どうしてもお伝えしたいことがあるんです。短い時間でかまいませんから、会っていただけないでしょうか?」

 差出人の名前はキタノとなっていた。これだけでは男性か女性か分からない。どちらでもない可能性だってある。

 日南はコンビニで買った缶ビールを開け、一口飲み込んでからデバイスを操作した。

「分かりました。お住まいはどちらでしょうか? 私は新東京エリア三区二十八番地です」

 送信してからふうと息をつく。

 創作をやめたのは正しかったと思う。ましてや、法律で禁止されるような時代だ。続けていたら日南は今、こうして宇宙には住んでいなかっただろう。

 五分ほどでまた返信が来た。

「こちらは新東京エリア四区です。明日の午後六時、一区中央の大鳥居前で待ち合わせでいかがでしょうか?」

 職場から一区中央までは二駅で行ける。相手の顔は分からないが、一度連絡を取り合っていれば、自動的にコネクトビーコンに相手の情報が登録される。実際に会えば、音で知らせてくれる仕組みだ。

「分かりました。お会いできるのを楽しみにしています」

 実に便利になったものだと皮肉に思いつつ、日南は返信を送ってから缶ビールに口をつけた。


 翌日、日南は定時で仕事を終えて一区中央駅に向かった。

 第二日本の中でも最初にできたエリアであり、今ではショッピングモールやレストラン、娯楽施設が軒をつらねたにぎやかな観光地となっている。

 入口に立つ大きな赤い鳥居のモニュメントはランドマークとして有名で、定番の待ち合わせ場所としても知られていた。

 日南が少し早めに到着すると、意外にもデバイスが鳴った。もう相手が近くにいるらしい。

 周囲を見回して、同じ音を発しているデバイスを探す。

 すると、背の高いすらりとした細身の人物が近づいてきた。

「日南さんですか?」

 はっとして日南は返す。

「あ、はい。キタノさん、ですね」

「はい。北野響きたのひびきと言います」

 にこりと微笑む顔は中性的な美人で、一見しただけでは男女どちらか分からない。ただし、声で分かった。

「日南隆二です。今日はよろしくお願いします」

「ええ、こちらこそ」

 デバイスの音がほぼ同時に鳴り止み、北野は言った。

「ここでは話がしにくいですから、場所を移しましょう」

「はい」

 歩き出した北野の隣に並ぶべきか否か、日南は迷った。

 身長は日南の方が高いものの、体はすっかりたるみ、元々地味な顔は年々不細工になっている。美人の隣に並ぶのはどうも気が引けた。

「どうかしましたか?」

 駅の方へと進みながら、北野が振り返った。

 日南はドキッとしつつ返す。

「い、いえ。何でもありません」

「そうですか? そういえば、下の名前は違うんですね」

 にこりと北野が穏やかに言い、日南はしぶしぶと横へ並んだ。言いたいことはすぐに分かった。

「ええ、梓はペンネームでして」

「そのペンネームをそのまま主人公に与えた、と。昔の作品にもそういうの、ありますよね」

「ええ、そうですね」

 頭の中にはいくつかの作家が浮かんだが、日南はあえてそれを口にしなかった。北野がどこまで知っているのか図りかねた。

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