終幕管理局局長の
以前から「幕開け人」なる者の存在は把握していたが、物語の墓場に出現するとは思わなかった。しかも「幕引き人」を新たに増員した矢先のことである。
研修を担当する監督官の一人が早々に異変に気づいたため、比較的早く指示を出せたのは幸いだ。しかし、虚構の中の人物が「幕開け人」になるのは想定外だった。
もしもまたこんなことがあったら……と、考えるだけで気が
その時、扉がすっと開いて対策部の責任者が執務室へ入ってきた。後ろにはやんちゃな顔つきの青年を連れている。
「局長、『幕開け人』になった人物の消去が完了しました」
虚構世界管理部の部長も務める
「
「はい」
彼はちょうど手が空いていた「幕引き人」であり、虚構世界の住人を消すのに
「消去の際に何か気づいたことはなかったか?」
「うーん、事前に聞いてたのとはけっこう情報が違ってました。設定を
嵯峨野は確かめるようにたずねた。
「ゆらいでいたのか?」
「ええ、そんな感じです」
平然とした顔で報告する田村には罪悪感というものが一切ない。「幕引き人」としては適性が高いとも言えるが、人間的にどこか欠けている印象があるのもたしかだ。
嵯峨野は田村から視線を外すと川辺を見た。
「現実世界の『幕開け人』については、どうなっている?」
「はい。警察と協力して捜査を進めていますが、まだこれといった情報は入ってきておりません」
「そうか。墓場の監視は?」
「先ほど、人員を増やして派遣したところです。本来の業務に支障が出ないよう調整を重ねたために、やや時間がかかってしまいました」
「派遣した人数は?」
「三十六名です」
嵯峨野はその数字をどう判断したらいいか考えあぐねた。
一つの装置につき使用可能人数は三名までとされている。最大で百九十五名の「幕引き人」を虚構世界へ送れるが、実際にすべてを同時に起動するのは負担が大きい。虚構世界はアカシックレコードの内部であり、繊細に扱わなければならないのだ。
そうした事情も踏まえての三十六名だと推察されるが、それにしても少なくはないか。もう少し増やすよう指示を出すべきだろうか。
嵯峨野は少し考えてから、ため息をついた。とりあえずは川辺部長を信じることにする。
「分かった。新しい情報が入り次第、すぐに報告を頼む」
「かしこまりました」
川辺と田村が頭を下げ、静かに部屋を立ち去る。
「これ以上、何も起こらないといいのだが」
重々しくつぶやきながら、嵯峨野は国へ報告をするべく小型デバイスを手に取った。
西園寺は道の途中で立ち尽くしていた。
手にしたスマートフォンの画面に表示されているのは、キタノなる人物からのメッセージだ。日南梓の死について知らせる文章だった。
ショックで頭が真っ白になる。何も考えられず、手が震えた。もう片方の手で押さえるようにスマホを持ち、慎重にスクロールする。
「しばらくここを離れるから、返信してもらっても返事は返せない。でも必ず戻るから、それまで西園寺さんは大人しく、いつもの日常を送るようにしてね。もしも目立つ行動をしたら、日南さんみたいに消されかねないから気をつけて」
自分まで「幕引き人」に消されるのは嫌だ。それだけは避けねばならない。
西園寺は涙をこらえてスマートフォンをポケットへしまうと、深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせた。
「泣いてる場合じゃない」
自分へ言い聞かせ、悲しみを心の底に押し隠す。そして前を向き、何もなかった顔をして歩き始めた。
業務課六組のオフィスは静かだった。
自動扉が開き、千葉はちらりとそちらを見る。戻って来たのは田村
「よう、航太。何してんだ?」
と、明るく声をかけてくる。
千葉は後ろに立つ彼の気配を感じつつ、視線を画面に向けたまま答えた。
「解析だ。そっちはもう終わったのか?」
「ああ、あとは待機してろって」
退屈そうに言って田村は反対側へ向かうと、壁際に設置されたソファへいつものように寝転ぶ。
千葉が作業に集中していると、田村がふいにたずねた。
「っていうか、他のみんなは?」
「墓場の監視に行った」
「土屋さんまで? オレたち、仕事できねぇじゃん」
基本的に「幕引き人」は三人一組のチームで動く。全員が虚構の住人を消去する術を持つのは当然として、それぞれの個性や能力を発揮しながら仕事を進めていた。
「だから待機を命じられてるんだろう。僕だって大事な仕事を任されてるんだ」
少し呆れまじりに返す千葉へ、田村はまたたずねた。
「大事な仕事って?」
「お前の消してきた日南梓の作者を探してる」
田村は納得したように「ああ」と、相槌を打ってから心配そうに返した。
「痕跡、残ってるか? オレが見てきた感じ、けっこうゆらいでたけど」
虚構の住人の作者を探すのは容易ではない。虚構世界の情報を見るにはまず解読が必要であり、正しく読める人間は限られている。そのうちの一人が千葉だった。
「難しくてもやるしかない。汚名返上のチャンスだからな」
と、千葉はため息まじりに言う。
「……それもそうか」
田村はそう言うと、ようやく口を閉じた。
背後が静かになったのを察して、千葉は小さく息をつく。
虚構世界で消去された情報はすぐにデータとなって送られてくるシステムになっている。しかし、作者につながる情報があるとは限らない。一つ一つの情報を精査し、スペースコロニー内の居住者に該当者がいないか検索するしかなく、万が一該当者がいなければそれまでだ。
千葉は少々のプレッシャーを肩に感じながらも、冷静に情報の解読を進めていった。