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第19話

 終幕管理局局長の嵯峨野春雪さがのはるゆきは頭を悩ませていた。

 以前から「幕開け人」なる者の存在は把握していたが、物語の墓場に出現するとは思わなかった。しかも「幕引き人」を新たに増員した矢先のことである。

 研修を担当する監督官の一人が早々に異変に気づいたため、比較的早く指示を出せたのは幸いだ。しかし、虚構の中の人物が「幕開け人」になるのは想定外だった。

 もしもまたこんなことがあったら……と、考えるだけで気がふさぐ。だが、嫌な想像はすぐにやめて頭を振った。虚構の世界で具現化してしまわないようにだ。

 その時、扉がすっと開いて対策部の責任者が執務室へ入ってきた。後ろにはやんちゃな顔つきの青年を連れている。

「局長、『幕開け人』になった人物の消去が完了しました」

 虚構世界管理部の部長も務める川辺良一かわべりょういちが言い、嵯峨野は青年の方を見る。

田村たむらくんだったか。ご苦労だった」

「はい」

 彼はちょうど手が空いていた「幕引き人」であり、虚構世界の住人を消すのに躊躇ちゅうちょがないため仕事が早いことで知られていた。

「消去の際に何か気づいたことはなかったか?」

「うーん、事前に聞いてたのとはけっこう情報が違ってました。設定を逸脱いつだつしたせいなのか知りませんけど、手応えがなくてつまんなかったです」

 嵯峨野は確かめるようにたずねた。

「ゆらいでいたのか?」

「ええ、そんな感じです」

 平然とした顔で報告する田村には罪悪感というものが一切ない。「幕引き人」としては適性が高いとも言えるが、人間的にどこか欠けている印象があるのもたしかだ。

 嵯峨野は田村から視線を外すと川辺を見た。

「現実世界の『幕開け人』については、どうなっている?」

「はい。警察と協力して捜査を進めていますが、まだこれといった情報は入ってきておりません」

「そうか。墓場の監視は?」

「先ほど、人員を増やして派遣したところです。本来の業務に支障が出ないよう調整を重ねたために、やや時間がかかってしまいました」

「派遣した人数は?」

「三十六名です」

 嵯峨野はその数字をどう判断したらいいか考えあぐねた。

 一つの装置につき使用可能人数は三名までとされている。最大で百九十五名の「幕引き人」を虚構世界へ送れるが、実際にすべてを同時に起動するのは負担が大きい。虚構世界はアカシックレコードの内部であり、繊細に扱わなければならないのだ。

 そうした事情も踏まえての三十六名だと推察されるが、それにしても少なくはないか。もう少し増やすよう指示を出すべきだろうか。

 嵯峨野は少し考えてから、ため息をついた。とりあえずは川辺部長を信じることにする。

「分かった。新しい情報が入り次第、すぐに報告を頼む」

「かしこまりました」

 川辺と田村が頭を下げ、静かに部屋を立ち去る。

「これ以上、何も起こらないといいのだが」

 重々しくつぶやきながら、嵯峨野は国へ報告をするべく小型デバイスを手に取った。


 西園寺は道の途中で立ち尽くしていた。

 手にしたスマートフォンの画面に表示されているのは、キタノなる人物からのメッセージだ。日南梓の死について知らせる文章だった。

 ショックで頭が真っ白になる。何も考えられず、手が震えた。もう片方の手で押さえるようにスマホを持ち、慎重にスクロールする。

「しばらくここを離れるから、返信してもらっても返事は返せない。でも必ず戻るから、それまで西園寺さんは大人しく、いつもの日常を送るようにしてね。もしも目立つ行動をしたら、日南さんみたいに消されかねないから気をつけて」

 自分まで「幕引き人」に消されるのは嫌だ。それだけは避けねばならない。

 西園寺は涙をこらえてスマートフォンをポケットへしまうと、深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせた。

「泣いてる場合じゃない」

 自分へ言い聞かせ、悲しみを心の底に押し隠す。そして前を向き、何もなかった顔をして歩き始めた。


 業務課六組のオフィスは静かだった。千葉航太ちばこうたは一人きりでパソコンで作業をしていた。

 自動扉が開き、千葉はちらりとそちらを見る。戻って来たのは田村かえでだった。

「よう、航太。何してんだ?」

 と、明るく声をかけてくる。

 千葉は後ろに立つ彼の気配を感じつつ、視線を画面に向けたまま答えた。

「解析だ。そっちはもう終わったのか?」

「ああ、あとは待機してろって」

 退屈そうに言って田村は反対側へ向かうと、壁際に設置されたソファへいつものように寝転ぶ。

 千葉が作業に集中していると、田村がふいにたずねた。

「っていうか、他のみんなは?」

「墓場の監視に行った」

「土屋さんまで? オレたち、仕事できねぇじゃん」

 基本的に「幕引き人」は三人一組のチームで動く。全員が虚構の住人を消去する術を持つのは当然として、それぞれの個性や能力を発揮しながら仕事を進めていた。

「だから待機を命じられてるんだろう。僕だって大事な仕事を任されてるんだ」

 少し呆れまじりに返す千葉へ、田村はまたたずねた。

「大事な仕事って?」

「お前の消してきた日南梓の作者を探してる」

 田村は納得したように「ああ」と、相槌を打ってから心配そうに返した。

「痕跡、残ってるか? オレが見てきた感じ、けっこうゆらいでたけど」

 虚構の住人の作者を探すのは容易ではない。虚構世界の情報を見るにはまず解読が必要であり、正しく読める人間は限られている。そのうちの一人が千葉だった。

「難しくてもやるしかない。汚名返上のチャンスだからな」

 と、千葉はため息まじりに言う。

「……それもそうか」

 田村はそう言うと、ようやく口を閉じた。

 背後が静かになったのを察して、千葉は小さく息をつく。

 虚構世界で消去された情報はすぐにデータとなって送られてくるシステムになっている。しかし、作者につながる情報があるとは限らない。一つ一つの情報を精査し、スペースコロニー内の居住者に該当者がいないか検索するしかなく、万が一該当者がいなければそれまでだ。

 千葉は少々のプレッシャーを肩に感じながらも、冷静に情報の解読を進めていった。

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