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第16話

 この物語において主人公にするべきは誰だろうか。日南は自分なら鷹野兄弟にすると考える。特に弟のせつであれば、新入りの少女との関係性も比較的健康的に描けるはずだ。

 ということは、目の前にいる園井は同僚および先輩キャラとなる。そんな彼女に与えられる一文があるとしたら。

「文字通り、日々戦っている仲間たちを支えるのが園井灯里の仕事だった」

 パキン、空間が割れる音がした。

「違うみたい」

 と、北野が落胆した声で言う。

「何が違う? 彼女は双子たちを支える役どころじゃないのか?」

「うーん」

 北野は考え込むように園井を見て、はっとした。

「日南さん、彼女じゃない」

「は?」

「喉仏がある」

 北野の指摘にびっくりしつつ、日南は園井の首を凝視ぎょうしした。タートルネックで隠れているが、よく見ると喉仏が出ている。さらには一人称がボクである。

「そういうことか!」

 と、日南は膝を打ってからたずねた。

「すみません、園井さん。失礼なことをお聞きしますが、もしかして性同一性障害の方ですか?」

「あっ、いや、ボクは……」

 園井は戸惑い、落ち着きなく視線をおよがせながら返した。

「どっちでもない、です。Xジェンダーっていうんですけど」

 男でも女でもなかった。地の文で園井を表す際には細心の注意が必要になる。

 作者がどれだけセクシャルマイノリティに理解があるか知らないが、少なくとも日南は、こんな複雑な設定のキャラクターは作らない。

 日南はため息をつき、早々に音を上げた。

「すまん、北野。分からなくなった」

「えっ、ちょっと待ってよ」

 焦る北野へ日南は正直に返す。

「だって分かんねぇよ、Xジェンダーなんて」

 北野は「うっ」と、苦い顔を浮かべた。彼女にも園井の設定を理解しきれないようだ。

「すみません、ちょっと考える時間をくださいね」

 と、笑顔で園井に断りを入れてから、北野は室内をうろうろし始めた。

 日南もあらためて考えてみることにする。

 園井が肉体的男性であるとすると、この事務所に女性は一人しかいなかったことになる。しかし普段から女装している様子から、紅一点であるあの少女とも仲良くしていた可能性は高い。

 それにしても、園井という人物の設定は盛りすぎではないだろうか。見た目は可愛らしい女性にしか見えないのに、体は男で性自認はXジェンダーだ。どうしてそのようなことになったのだろうか。

「つかぬことをおうかがいしますが、もしかして園井さんは、所長と付き合っていたのでは?」

 ふと浮かんだ疑問を投げかけた日南だが、園井は否定した。

「いえ、それはないです。というか、彼は女性嫌いなので」

 女装している自分は恋愛対象になり得ない、ということらしい。

「じゃあ、所長はゲイ?」

「さあ……そもそも、自荷はトラウマで誰とも恋愛関係を築けない人だから」

 と、園井は曖昧に微笑んだ。

 所長にもまたややこしそうな過去がある。となれば、もしかすると園井も同様ではないか。いや、この物語に登場する人物はみな、一言では語れない過去を持っているに違いない。

 話を聞いていたらしい北野が戻ってきて、園井を見下ろした。

「園井灯里の日々は充実していたが、一方で孤独を感じてもいた」

 再び音が鳴った。失敗だ。

「ダメかも……」

 と、北野がその場にしゃがみこんでしまう。気の強い女性だと思っていたが、意外と打たれ弱いのかもしれない。

 日南は眉間にしわを寄せて考える。

 落ち着いて情報を整理しよう。この浄霊事務所を舞台とした物語は設定がややこしすぎる。浄霊士という仕事はもちろん、所長を含む五人の職員たちの過去が重い。

「いや、待てよ」

 ふと日南は北野の頭を見た。膝と額がくっつきそうなほどうなだれている彼女に確認する。

「なぁ、北野。ここは物語の墓場だっていう話だったよな?」

「え、そうだけど」

 気だるそうに北野が頭を上げた。

「忘れ去られたんだったな。仮に完結していても、日の目を見ることがなかった物語だと」

「うん」

「つまり、この物語はくそつまらない。何故かと言えば設定がややこしいからだ。あまり馴染みのない浄霊士という言葉に独自の設定、さらにはセクシャルマイノリティまで扱う複雑さ。完全に作者の自己満足でしかない。

 だが、作者は設定を活かしきれなかったんだ。もしくは設定にりすぎて、ストーリーがおろそかになっちまったに違いない」

「それで?」

「くそつまらない物語をどう始めるかって言えば、安易でチープな展開だろう」

 日南は小説を書き始めた頃を思い出し、決断した。園井をまっすぐに見つめて言う。

「能木浄霊事務所が平穏でいられたのはつかの間だった」

 ぴくりと園井が動きを止めた。少し表情をゆがめるとおもむろに立ち上がり、デスクへと移動する。そして椅子へ座った途端、デスクに置きっぱなしになっていたスマートフォンが鳴り出した。

 すぐに園井は電話に出る。

「どうしたの、ほのちゃん。えっ、嘘!? ちょっと待って、自荷に確認するから!」

 そう言って園井はスマートフォンを手にしたまま席を立ち、所長を探し始めた。

「ちょっと自荷、ほのちゃんが大変なことになってるんだけど! どこ行っちゃったの、自荷ー!?」

 ふうと息をついて日南は立ち上がった。

「帰るぞ」

「うん」

 ほっとした顔で北野も腰を上げ、二人で事務所の外へ出る。

 エレベーターの前で足を止めて北野は言った。

「じきに所長が戻るだろうから、鷹野兄弟もそのうちに戻ってくるだろうね」

「そりゃよかった」

 と、日南は苦笑いを返す。まさか作者のことまで考えるはめになるとは思わなかった。

 エレベーターが到着し、二人は順に乗り込む。

 北野がボタンを押して扉を閉めると、前を向いたまま話し始めた。

「失敗した時に音が鳴るの、気づいてる?」

「ああ、家鳴やなりみたいなパキって音だろ」

「あれね、物語が壊れる音なんだ」

 狭いエレベーターに沈黙が降りる。北野はためらいの後で告げた。

「最悪の場合、物語にとどめを刺すのはわたしたちかもしれないの」

 日南は絶望を感じ、苦々しく顔をしかめた。

「……マジかよ」

「プレッシャーだよね。でも、それでもわたしは『幕開け人』でありたいんだ」

 覚悟の込められた台詞だった。

 日南は言葉に出来ない複雑な思いを抱きながらも返した。

「オレだって引き返すつもりはない」

 まだ覚悟が決まったわけではない。しかし、前へ進むしかないとも感じていた。

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