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第14話

 蘭賀は訝しげにしていたが、「そうですか」と自分たちの紅茶を注ぎ始めた。

 すると幸多が上目遣いに言う。

「一緒に住んでます。ボクたち、付き合っているので」

 日南は再び呆気にとられた。すかさず北野が身を乗り出す。

「恋愛関係にあるんですね?」

「ええ、そうです」

 幸多が少し強めの口調で肯定する。むすっとした顔は幼い子どものようで、男性にしては可愛い顔立ちだった。

 蘭賀は無言で彼の隣へ座り、言葉を失った日南の代わりに北野が問いかけた。

「お宅ではもう一人、住んでいらっしゃいましたよね?」

 幸多と蘭賀が困惑したように顔を見合わせる。

「いえ、俺たちだけですが」

 と、蘭賀が答えを返して日南は合点した。坂爪理人の存在が消えている。幸多がここにいるのは、坂爪が本来いた場所ではないだろうか?

 ふいに北野が日南の腕をつかんだ。

「日南さん、まずい。もう彼らの物語がくずれかかってる。早くしないと二人も消えちゃう」

「えっ、それならどうすりゃいいんだ?」

 慌てる日南へ北野は冷静に返す。

「この場で『最初の一行』を与えるしかない。チャンスは三回かな。失敗したら依頼人は戻ってこないから慎重に」

「慎重にって言われても……っていうか、オレがやるのか?」

「やらないの? わたしがやってあげてもいいけど」

 思わず見つめ合ってしまい、日南は急に彼女を意識して頬を紅潮こうちょうさせてしまった。急いで顔をそらし、様子を見ている彼らに視線を戻す。

「えーと……」

 彼らに関する情報は少ない。七篠家のこともよく知らないのだが、幸多と蘭賀が付き合っているのは物語の設定だと思った。以前に来た時だって、幸多は坂爪ではなく蘭賀を頼っている風だった。つまり、それだけの信頼関係が彼らの中にはできている。

 初子が行方不明になったのが『幕引き人』によるものだとすると、この物語は七篠家と蘭賀家を中心としたホームドラマに属するのではないか。

「見えた」

 日南は呼吸を一つしてから幸多を見つめた。

「七篠幸多は妹との約束を思い出した」

 パキンと何かが割れるような音がした。あちらとこちらとで、空間がずれてしまったような感覚だ。失敗したのだと日南は気づいた。

「馬鹿。設定をよく考えて」

 と、北野が低い声で毒づき、日南は彼女をにらむ。

「だったらお前がやれよ」

「言われなくてもやるよ。えーと」

 北野は軽く座り直してから、あらためて二人を見る。

「勉学と恋を両立させるのは幸多にとって難しかった」

 再びパキンと音が鳴る。

「馬鹿、失敗してんじゃねぇよ」

 と、日南が返すと北野は目をうるませながら言った。

「物語の筋が見えないんだからしょうがないでしょ」

 思わず罪悪感を覚えつつ、日南は視線をそらす。

「くそ、それなんだよな。どんな物語なのか、ちっとも分からねぇ」

 そうつぶやいてからふと、前にここへ来た時のことを思い出す。

 話からしてこの家には父親がいたはずだ。しかし、あの時は蘭賀と坂爪だけで暮らしている様子だった。そこへ幸多が現れた。もしかしたら、この物語の中心人物は七篠ではないのではないか?

 依頼人が七篠洋子だったために勘違いしていたが、洋子も娘の初子もメインキャラクターではなかったのかもしれない。

 見方をぐるりと一気に変えると、日南は重要な点に気がついた。

「そういえば前に会った時、坂爪は長袖を着ていた」

「え?」

 北野がびっくりしたように日南を見つめる。かまわずに日南は続けた。

「気温が高いのに長袖だった。何か変だと思ったんだ」

 ふと外を見ると、強い太陽光が庭に降り注いでいた。どこか遠くで蝉の鳴き声がする。季節は夏だ。

「夏に長袖と言えば一つしかない。坂爪はリストカットをしていたんだ」

「まさか」

「昼になって起きてくるような人間だ。作家だと聞いていたから徹夜で執筆してたんだろうと思ったが、もしかすると精神を病んでいたのかもしれない。それで起き上がるのが辛くて、時間がかかってしまうタイプの人間だった」

「それじゃあ、この物語はシリアス?」

「ああ、そうなる。さらには幸多もパジャマを着ていることから、坂爪同様に精神を病んでいる可能性が高い。となると、この物語における中心人物は幸多じゃなくて蘭賀の方だ」

 はっと北野が息を呑み、日南は蘭賀をまっすぐに見る。

 いつもエプロンを着けていて家事を担当している男だ。客人にてきぱきと紅茶を淹れて出せる程度には来客対応に慣れていて、初対面の人間にも好意的に接することのできる優しい人である。

 坂爪とは兄弟のように育ってきており、幸多とは付き合っている。坂爪も幸多もそれぞれ精神が不安定なため、おそらく蘭賀は板挟みの状態にある。

 そんな男の物語の「最初の一行」を日南は口にした。

「どちらかを選べと言われたら本気で悩んでしまう、蘭賀瑠璃はそういう男だった」

 蘭賀の動きが止まった。幸多が心配そうに彼を見つめる。

 先ほどの高橋のように頭に手をやってから、蘭賀はゆっくりと顔を上げて幸多を見た。

「ごめん、幸多。もちろんお前が一番大事だけど、あいつを見捨てることはできないんだ」

 幸多はかすかに目を丸くしながらも微笑んだ。

「大丈夫だよ、瑠璃さん。ボク、ちゃんと分かってるから」

 二人がソファの上でぎこちなく手を重ねた。物語は無事に始まった様子だ。

 日南はほっとして北野へ言った。

「帰るか」

「うん」


 駅までの道をのんびりと歩きながら、北野はたずねた。

「それにしても、さっきはよくできたね。今回はダメかと思ってた」

「小説を書く時に主人公を誰にするかで、物語のおもしろさは違ってくる。彼らのストーリーを考えた時、主人公にふさわしいのは蘭賀だと思ったんだ」

 日南は清々しい気分で話を続けた。

「消えた坂爪の過去も、前に少し聞いてたしな。どうやら親元から離されて、あの家で育ったらしい。養子縁組したかったけど、親が許してくれなかったそうだ。

 つまり毒親……いや、もっとはっきり、虐待されていたと言うべきだな。となると、精神を病んでいてもおかしくはない」

「それで?」

「さらには幸多だ。彼も前に会った時、妹についてよく知らないと言っていた。仲がいいわけではなく、悪いわけでもない。つまり無関心だったんだな。

 一方で母親は、娘のことをひどく心配している様子だった。だからオレに依頼があったわけだが、幸多はそれを知っても反応が薄かった。もう一人いる兄はSNSに妹の捜索を呼びかける投稿をしていたのに、だ。

 このことから、七篠家で幸多は浮いていると思った。虐待かどうかははっきりしないが、何かしら問題があるのは確実だろう」

「なるほど」

「そんな二人の間で板挟みになっているのが蘭賀だ。苦しい展開が多いだろうが、彼の視点から物語を語るのが一番分かりやすいし、公平だと言える。そういうわけで、両者の存在を匂わす一文にしたんだ」

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