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第13話

 二人がやってきたのは池袋だった。昨日訪れた音楽スタジオからそう離れていない喫茶店に高橋の姿があった。窓際の席で二人のメンバーと向かい合い、真剣な顔で何事か話し合っている。

 北野は少し離れた歩道の端に立ち、日南へ言った。

「高橋さんだけど、あれは彼だけが忘れ去られてないか、彼だけの物語がどこかに明確に存在してるんだと思う」

 日南は彼らの方を見つめたまま、首をかしげた。

「ということは?」

「前者であれば、作者の中にはまだ彼が存在してるってことだから、仲間を忘れようがないの。後者だったら彼の居場所はここじゃなくて、もっとちゃんとした物語の世界にいるべきなんだけど、その辺りは難しいから見極められない」

「いずれにしても、彼は他のやつらと違うってことか」

「うん。だからこそ、彼に『最初の一行』を与えることで、消えた二人が戻ってくる可能性は高い。もちろん、すぐにとはいかないけど」

 気持ちを整えるように北野が深呼吸を繰り返す。

 苛立った様子で高橋が席を立つのが見えた。

「行くよ」

 北野は店へ向かって歩き始めた。日南も後を追う。

 入口まであと数メートルというところで、怒りと悲しみの入りまじったような表情の高橋が外へ出てきた。

 こちらに気づいた彼のすぐ目の前で、北野は足を止める。そして呪文のように告げた。

「リーダーが何と言おうとも、シロウサギのボーカルはミキトでなければならない」

 高橋の動きがぴたりと止まった。

 額に片手をやって顔をゆがめた後で彼はくるりときびすを返す。

 日南たちが外から見ていると、高橋は二人へ何かを訴え始めた。

 ガラスの窓越しに「お前だってミキトの歌に惚れ込んでたはずだろう!?」と、言う声が聞こえた。

 リーダーと思しき長髪の男が目をみはり、次に頭を抱える。隣に座っていた茶髪の男が気遣うような視線を向け、やがてリーダーは顔を上げた。

「ああ、そうだ。あいつじゃないとダメなんだ」

 高橋が喜びの表情を浮かべて再び腰を下ろす。そして三人は先ほどまでの重苦しい空気が嘘のように、和やかな雰囲気で話し始めた。

 物語が始まったのだと日南は直感した。まさに今、高橋たちの物語が動き始めたのだ。

 北野が振り返って日南を見る。

「さっきのが『最初の一行』。説明しなくても分かると思うけど、新しく物語を始めさせるの。今回はうまくいったね」

「すげぇな。たった一行で行動を変えちまうのか」

 と、感心しながら日南が返すと北野は首を振った。

「言っておくけど、好きなように動かせるわけじゃないよ。その人の置かれた状況を理解して、その人に与えられた設定に齟齬そごや支障がないようにしなくちゃならないの」

 日南は少々苦い顔をする。

「そうか、設定から外れたことはできないんだな」

「そういうこと。設定に反していたり間違っていれば、『最初の一行』を与えても何も起こらない。つまり失敗ってこと。だから、相手のことをよく知っておかないと成功しないの」

「なるほどな」

 理解すると同時に簡単ではないことを悟る。

「ということは、依頼人に戻ってきてもらうには、どんな物語なのかをまず考えなきゃいけないわけだ」

「そうだね。娘が行方不明になって不安になっている母親。二人を取り戻せるような物語を見つけられるといいけど」

 日南は黙って考える。七篠母娘が戻ってくるような物語、となると思い浮かぶのは一人しかいない。

「幸多だ。彼に『最初の一行』を与えてやれれば、動き出すかもしれない」

 しかし北野は言った。

「彼に与えられた設定、どこまで分かってるの?」

 日南は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「いや、分からない。大学生だとは思うんだが……」

 ため息をついてから北野が歩き出す。

「じゃあ、まずは調べるところからだね。行くよ」

「ああ」

 やはり一筋縄ではいかない。自分がうまく「最初の一行」を与えられるかどうか、日南は今になって不安に思った。


 四季ノ瀬町へ移動し、二人は蘭賀をたずねることにした。幸多と親しそうに見えたことと、唯一、日南に対して好意的だったことから、まずは彼から話を聞くことにしたのだ。

 しかし、インターフォンから返ってきた声は数日前と違っていた。

「探偵さんが何の用でしょうか?」

 彼は日南のことを覚えていないようだ。とっさに日南は言った。

「七篠初子さんのことでお話を聞きに来たんです」

「初子? 誰ですか、それ」

 日南はたまらず北野と顔を見合わせる。

「すみません、間違えました。えーと、七篠幸多さんについてお聞きしたいことがありまして」

 慌てて言い直すと、蘭賀は理解したようだ。

「分かりました。ちょっとお待ちください」

 数十秒ほどでエプロンを着けた蘭賀が玄関から顔を出す。

「どうぞ、お入りください」

「失礼します」

 日南はひとまず胸を撫で下ろした。


 先日のように居間へ通され、日南と北野は並んでソファに座った。

「幸多ならもうすぐ来ると思うので、お待ちください」

 と、蘭賀はキッチンへ移動する。

 日南は呆然としてしまった。この家に幸多がいるとは思わなかった。否、設定がおかしくはないか?

 北野も何か感じたらしく、小さな声で「ゆがみ始めてる」と漏らす。

 つまり物語がゆがみ始めている。少なくとも、蘭賀はもう七篠初子を覚えていない。

 階段を下りてくる音がし、日南は色白の青年が入ってくるのを見た。たしかに七篠幸多だ。

「えっと、ボクに何か用ですか?」

 気弱に問いかけながら、彼が向かいのソファへそっと腰を下ろす。男性にしては可愛い柄のパジャマを着ており、つい先ほど起きたばかりの様子だ。

 日南は咳払いをして気を取り直し、名乗った。

「日南探偵事務所の日南です。こちらは助手の北野です」

 北野は無言で会釈をした。幸多もおずおずと小さく会釈を返す。

 奇妙な状態にむずがゆさを覚えながら、日南は話を進めた。

「いくつか確認させていただきたいことがあります。まず、七篠幸多さんの年齢とご職業を教えてもらえますか?」

 幸多は怪訝そうにしつつも口を開いた。

「十九歳、大学二年生です」

「アルバイトなどは?」

「してます。駅前のお弁当屋さんです」

「では、蘭賀さんとのご関係は?」

 幸多は目をぱちくりさせてから、ティーカップに紅茶を注いでいる彼を見た。

「ねぇ、瑠璃さん。どう答えたらいいかな?」

 蘭賀は紅茶を二人へ出しながら、落ち着いた様子で日南を見る。

「いったいどういった目的でそんな質問をするんですか?」

 日南はつい動揺してしまった。

「えっ、えぇと……そっ、素行調査です!」

 隣で北野がため息をつく。もちろん日南にだって分かっていた。素行調査は直接本人に質問をしないものだ。あくまでも周囲から情報を得る。

 日南はひやひやしながら彼らの反応を待った。

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