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第10話

 日南はぽつりとつぶやいた。

「ひでぇ話だ」

 作家の端くれとして、物語に価値がないと言われるのは辛い。たとえそれが、自分の知らない他人が作ったものであっても、勝手に価値がないと判断されて消されるなんて、あってはならないことだ。

 北野が「今、ひどいって言った?」と、やや上目遣いに日南を見た。

 日南は彼女を見てもう一度、今度ははっきりと言う。

「ひでぇ話だ。物語を消すなんて、許せない」

 北野は安堵したように微笑んだ。

「同じだ。わたしもひどいと思ってるんだ」

 つられて表情をゆるめそうになり、日南はすかさず険しい顔を作る。

「だけど、ここが物語の中だなんて信じない。受け入れるわけにはいかない」

「……そう」

 北野が伏し目がちになり、日南も視線をそらしながら言う。

「もし本当にそうだとしても、オレは自分が登場人物なんかじゃなくて、人間なんだと信じたい。小説家兼探偵としてこれまで生きてきたんだし、これからも生きていくんだって思いたい」

 複雑な気持ちを吐き出すように、北野は息をついた。

「あのね、日南さん。さっき話した『幕引き人』が物語を消す方法っていうのは、登場人物を殺すことなの」

「え?」

 声を返したのは西園寺だ。目を丸くしながらもひらめき、たずねた。

「まさか、大量失踪事件の真相って……?」

 北野は黙ってうなずくと、まっすぐな目で二人を見た。

「大勢の人が行方不明になってるのは彼らのせいなの。登場人物が欠けたら、物語は存在できなくなって自然に消滅する。だから、あなたたちも狙われたら消えてしまう」

 日南は再び拳を握った。苛立ちを向けた先は終幕管理局であり「幕引き人」だ。たまらず声に出した。

「ふざけんな。消されてたまるか」

 西園寺もさすがに不安になったようで彼女へたずねる。

「北野さん、回避する方法はないのか?」

「回避はできないけど、物語を再生させることはできるよ」

「再生?」

 驚く二人へ北野は説明する。

「まだ物語が消えていなければ、新たに『最初の一行』を与えるの。そうすることで物語は新しく進行して、消えた登場人物も戻ってくる。そのために動いているのが、わたしたち『幕開け人』だよ」

 ついに彼女が何者かが判明した。しかし、日南はやはり受け入れがたく感じ、信じられないと思ってしまう。同時に彼女がこの世界に来た目的が分かった気がした。

 北野はすぐにどこか曖昧な笑みを浮かべた。

「といっても、まだ仕事はしてないんだ。ここは物語の墓場であって『幕引き人』たちの練習場として使われてるの。だから、ここで何が起ころうとも、終幕管理局からしてみればどうでもいい。でも、そんな場所だからこそ、わたしたちにとってチャンスがあると思ってる」

「チャンス?」

「うん。物語を消させないため、終幕管理局に対抗して勝つためのチャンス」

 日南は思わず西園寺と目を見合わせた。図体の割に気の小さい友人は、首をひねるばかりだ。

 視線を前へ戻して日南はたずねた。

「勝つってどういう状態のことだ? 物語を消すのをやめさせるのか?」

「うん、そう。物語を消すのをあきらめさせるの。消された以上の物語を再生して、すべてをあったことにすれば、きっと終幕管理局は『幕引き人』を引き上げさせる。そうして物語が消されなくなれば、わたしたちの目的は達成されたことになるの」

「……そうか」

 日南は彼女の言うことを初めて理解し、同意を示した。

「分かった。オレにもそれ、やらせてくれ」

「えっ、お前……」

 戸惑う西園寺にかまわず日南は言う。

「実は依頼人と連絡がつかなくなったんだ。まだ報酬金を受け取ってねぇのに、このまま終われるかよ」

 しかも久しぶりに来た依頼だ。完遂かんすいしないではいられなかった。

 北野は嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう、日南さん。あなたなら力になってくれるって思ってた」

 思わぬ不意打ちに日南はドキッとしてしまい、瞬時に頬が熱くなる。

 察した西園寺はそっと立ち上がった。

「ごめん。俺、明日も仕事だから」

「あっ、おい!」

 日南が声をかけるのも無視して、西園寺はそそくさと店を出て行った。

 残された日南と北野は妙に気まずくなり、お互いに相手を見られなくなっていた。

「えっと、その……」

「あ、そうだ。日南さんにこれだけは言っておくね」

 と、北野が顔を上げる。

「協力してくれるのはありがたいんだけど、あなたはあくまでも物語の住人だから、『幕引き人』に狙われやすくなると思う。だから、もし消されてしまっても、わたしのせいにはしないでね」

「……しねぇよ」

 むすっとした顔で日南は返した。

「自分で決めたことなんだ。責任はちゃんと自分で負うさ」

 北野は再びほっとした様子で微笑んだ。

「よかった。日南さんが無責任な人だったらどうしようって思ってた」

 くすくすと笑う彼女に日南は胸を高鳴らせ、何も言わずに視線をそらした。これまでも異性に何度か胸をときめかせた経験はあったが、これほど自然に心惹かれるのは初めてだった。


 店を出て駅まで歩いている時だった。隣に並んでいた北野がふいにたずねた。

「そういえば、日南さんが消えてもすぐに再生できるよう、事前に情報をくれない?」

「情報って、たとえば何だ?」

 北野は考えながら言う。

「うーんと『最初の一行』になるようなこと。だから、言い換えるなら物語の情報かな」

 日南は半ば困惑して返す。

「そんなこと言われても、オレが分かるわけないだろ」

「そっか。じゃあ、うーん……あ、作者の情報でもいいよ。何か覚えてること、ない?」

 日南は少し考えてみたが、素直に答えるのはしゃくだった。答えてしまったら、自分が物語の登場人物であると認めることになる。

「ないの?」

 しかし、北野に上目遣いで見つめられ、日南は折れた。ため息をついてから答える。

「一つだけ思い当たることがある。オレが自分で書いてる作品の主人公に、日南梓の名前を与えていることだ。たぶん作者も同じことをしてる」

「じゃあ、作者の名前も日南梓ってこと?」

「ああ、おそらくな。ここではオレの本名になってるが、作者の方はペンネームかもしれない」

「なるほど。分かった、覚えておくね」

 北野がにこりと笑みを返し、日南も少しだけ頬をゆるめた。久しぶりにこれからの日々が楽しみだと思えた。

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