日南はぽつりとつぶやいた。
「ひでぇ話だ」
作家の端くれとして、物語に価値がないと言われるのは辛い。たとえそれが、自分の知らない他人が作ったものであっても、勝手に価値がないと判断されて消されるなんて、あってはならないことだ。
北野が「今、ひどいって言った?」と、やや上目遣いに日南を見た。
日南は彼女を見てもう一度、今度ははっきりと言う。
「ひでぇ話だ。物語を消すなんて、許せない」
北野は安堵したように微笑んだ。
「同じだ。わたしもひどいと思ってるんだ」
つられて表情をゆるめそうになり、日南はすかさず険しい顔を作る。
「だけど、ここが物語の中だなんて信じない。受け入れるわけにはいかない」
「……そう」
北野が伏し目がちになり、日南も視線をそらしながら言う。
「もし本当にそうだとしても、オレは自分が登場人物なんかじゃなくて、人間なんだと信じたい。小説家兼探偵としてこれまで生きてきたんだし、これからも生きていくんだって思いたい」
複雑な気持ちを吐き出すように、北野は息をついた。
「あのね、日南さん。さっき話した『幕引き人』が物語を消す方法っていうのは、登場人物を殺すことなの」
「え?」
声を返したのは西園寺だ。目を丸くしながらもひらめき、たずねた。
「まさか、大量失踪事件の真相って……?」
北野は黙ってうなずくと、まっすぐな目で二人を見た。
「大勢の人が行方不明になってるのは彼らのせいなの。登場人物が欠けたら、物語は存在できなくなって自然に消滅する。だから、あなたたちも狙われたら消えてしまう」
日南は再び拳を握った。苛立ちを向けた先は終幕管理局であり「幕引き人」だ。たまらず声に出した。
「ふざけんな。消されてたまるか」
西園寺もさすがに不安になったようで彼女へたずねる。
「北野さん、回避する方法はないのか?」
「回避はできないけど、物語を再生させることはできるよ」
「再生?」
驚く二人へ北野は説明する。
「まだ物語が消えていなければ、新たに『最初の一行』を与えるの。そうすることで物語は新しく進行して、消えた登場人物も戻ってくる。そのために動いているのが、わたしたち『幕開け人』だよ」
ついに彼女が何者かが判明した。しかし、日南はやはり受け入れがたく感じ、信じられないと思ってしまう。同時に彼女がこの世界に来た目的が分かった気がした。
北野はすぐにどこか曖昧な笑みを浮かべた。
「といっても、まだ仕事はしてないんだ。ここは物語の墓場であって『幕引き人』たちの練習場として使われてるの。だから、ここで何が起ころうとも、終幕管理局からしてみればどうでもいい。でも、そんな場所だからこそ、わたしたちにとってチャンスがあると思ってる」
「チャンス?」
「うん。物語を消させないため、終幕管理局に対抗して勝つためのチャンス」
日南は思わず西園寺と目を見合わせた。図体の割に気の小さい友人は、首をひねるばかりだ。
視線を前へ戻して日南はたずねた。
「勝つってどういう状態のことだ? 物語を消すのをやめさせるのか?」
「うん、そう。物語を消すのをあきらめさせるの。消された以上の物語を再生して、すべてをあったことにすれば、きっと終幕管理局は『幕引き人』を引き上げさせる。そうして物語が消されなくなれば、わたしたちの目的は達成されたことになるの」
「……そうか」
日南は彼女の言うことを初めて理解し、同意を示した。
「分かった。オレにもそれ、やらせてくれ」
「えっ、お前……」
戸惑う西園寺にかまわず日南は言う。
「実は依頼人と連絡がつかなくなったんだ。まだ報酬金を受け取ってねぇのに、このまま終われるかよ」
しかも久しぶりに来た依頼だ。
北野は嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、日南さん。あなたなら力になってくれるって思ってた」
思わぬ不意打ちに日南はドキッとしてしまい、瞬時に頬が熱くなる。
察した西園寺はそっと立ち上がった。
「ごめん。俺、明日も仕事だから」
「あっ、おい!」
日南が声をかけるのも無視して、西園寺はそそくさと店を出て行った。
残された日南と北野は妙に気まずくなり、お互いに相手を見られなくなっていた。
「えっと、その……」
「あ、そうだ。日南さんにこれだけは言っておくね」
と、北野が顔を上げる。
「協力してくれるのはありがたいんだけど、あなたはあくまでも物語の住人だから、『幕引き人』に狙われやすくなると思う。だから、もし消されてしまっても、わたしのせいにはしないでね」
「……しねぇよ」
むすっとした顔で日南は返した。
「自分で決めたことなんだ。責任はちゃんと自分で負うさ」
北野は再びほっとした様子で微笑んだ。
「よかった。日南さんが無責任な人だったらどうしようって思ってた」
くすくすと笑う彼女に日南は胸を高鳴らせ、何も言わずに視線をそらした。これまでも異性に何度か胸をときめかせた経験はあったが、これほど自然に心惹かれるのは初めてだった。
店を出て駅まで歩いている時だった。隣に並んでいた北野がふいにたずねた。
「そういえば、日南さんが消えてもすぐに再生できるよう、事前に情報をくれない?」
「情報って、たとえば何だ?」
北野は考えながら言う。
「うーんと『最初の一行』になるようなこと。だから、言い換えるなら物語の情報かな」
日南は半ば困惑して返す。
「そんなこと言われても、オレが分かるわけないだろ」
「そっか。じゃあ、うーん……あ、作者の情報でもいいよ。何か覚えてること、ない?」
日南は少し考えてみたが、素直に答えるのは
「ないの?」
しかし、北野に上目遣いで見つめられ、日南は折れた。ため息をついてから答える。
「一つだけ思い当たることがある。オレが自分で書いてる作品の主人公に、日南梓の名前を与えていることだ。たぶん作者も同じことをしてる」
「じゃあ、作者の名前も日南梓ってこと?」
「ああ、おそらくな。ここではオレの本名になってるが、作者の方はペンネームかもしれない」
「なるほど。分かった、覚えておくね」
北野がにこりと笑みを返し、日南も少しだけ頬をゆるめた。久しぶりにこれからの日々が楽しみだと思えた。