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第7話

 コンビニのイートインスペースで昼食を済ませた後、日南は北野とともに池袋へ移動した。

 向かったのは音楽スタジオだ。そこで誰かと会う約束をしていたらしく、北野はためらいもなく手前にあった一室へ入っていった。

「どうも、お待たせしました」

 と、北野が声をかけると、中にいた淡い金髪の若い男が振り返る。痩せ型で少し化粧をしているらしく、やたらと顔が整って見える。

 それまで練習していたのだろう、肩にかけたベースの弦から片手を離しながら返した。

「ああ、いえ。練習したかったんでちょうどよかったです」

 にこりと笑った顔がいかにも愛想笑いといった風に見えて、日南は思わず心の中で身構えた。相手は自分よりいくつか若そうではあるが、妙な鋭さも感じられる。

「あらためて自己紹介させていただきますね。わたしは探偵の北野響、こちらは助手の日南です」

 やはり助手なのかと思いつつ、日南も愛想笑いを浮かべて会釈をした。

 男は日南に軽く目をやってから言った。

「どうも、高橋たかはしハスミです。あ、テキトーに座ってください」

 その言葉で壁際にスツールが重なっていることに気づき、それを部屋の中ほどまで持ってきて、二人はそれぞれに腰を下ろす。

 高橋はベースをスタンドに置いてから、手近にあったスツールに座った。

「さっそくなんですけど、少し前にうちのボーカルが行方不明になったんです」

 その言葉で高橋がバンドを組んでいることが分かった。彼が着ているTシャツには海外の有名なロックバンドのロゴが入っている。

 鞄からスマートフォンを取り出して、高橋は二人へ画像を見せる。

「うちは元々、五人でやってたはずなんすけど」

 画像に収まっているのは三人の男性だ。ベースの高橋とドラム、ギターの三人だけである。ギターの前にもマイクは置かれているが、明らかにステージの真ん中が空いていて違和感がある。

「おかしいっしょ、これ。マネージャーがライブ中に撮ってくれた写真なのに、ボーカルとギターが消えてるんですよ」

 日南は驚きに目をみはり、北野は神妙に問いかける。

「彼らの名前、覚えてますか?」

「当然すよ。坂田さかたミキトと、真下ましたツカサです」

 高橋がはっきりと答え、北野はさらにたずねる。

「他のメンバーはどうですか? 彼らのこと、覚えていますか?」

 スマートフォンをいくつか操作しながら、高橋はむすっとした様子で言う。

「あいつら、全然覚えてないんです。薄情なんだか知らないけど、リーダーなんて新しいボーカルを探すとか言い出すし、まったく意味分かんないっすよ」

「ということは、高橋さんだけが覚えてるんですね?」

「まあ、そうなります」

 これまでとは違うパターンだ。周りの人間が行方不明になった人間のことを忘れる中、何故か一人だけが記憶を保持している。

 日南が北野を見ると、彼女は深刻そうな顔をして何事か考え込んでいる。声をかけようとして日南はためらった。

 すると高橋が言う。

「あ、あった。この写真だけは、ちゃんと全員残ってるんですよ」

 向けられたスマートフォンの画面に、大きな看板を撮影した画像が映っていた。おそらく渋谷の駅前だろう、ビジュアル系を彷彿ほうふつとさせる男たち五人の顔が並んでいた。でかでかと書かれた「シロウサギ」というのが、彼らのバンド名らしい。

 北野が視線を上げながらたずねる。

「真ん中がボーカルの?」

「ミキトです。その右にいる赤い髪がツカサです」

 日南はじっと画像に見入った。ボーカルの左にいるのが高橋で、先ほどの画像に写っていたドラムとギターが両端だ。

 CDの発売および配信情報が下部に記載されており、日南が知らなかっただけで彼らはずいぶんと人気のあるロックバンドだったらしい。

「こんなにはっきり残ってるのに、いったい何が起きてるんですか?」

 と、高橋がスマートフォンを手元へ戻しながら北野を見た。

 日南も彼女へ視線を向け、黙って返答を待つ。

 北野は再び考え込む様子を見せると、ため息をついてから口を開いた。

「わたしにも分かりません」

 嘘だ。北野は絶対に何か知っている。直感的にそう思った日南だが、高橋は残念そうに肩を落とした。

「ですよね……すんません」

 そして彼はスマートフォンを両手で握るように持ち、誰にともなくつぶやいた。

「俺たち、上手くいってたはずなのに、何でこんなことになっちゃったんだろう」

 今にも泣き出しそうな、か細い声だった。

 日南の胸が鈍く痛む。

 あれだけ大きな看板を出せるのだから、人気絶頂だったと言ってもいいだろう。そんな時にメンバーが二人もいなくなり、残りの二人は彼らのことを覚えていないとなれば、バンドを続けていくなど絶望的だ。高橋の気持ちは察するにあまりある。

 北野はおもむろに立ち上がり、彼へ頭を下げた。

「お力になれなくてごめんなさい。お話を聞かせていただき、ありがとうございました」

 と、すぐに出ていこうとする。

 慌てて日南も立ち上がり「ありがとうございました」と礼をし、急いで彼女を追いかけた。


 建物から出たところで日南は北野へ問う。

「どういうことだよ? お前、何か知ってるんだろ?」

 先を歩いていた北野はふいに立ち止まり、日南を振り返る。

「説明してあげたいところだけど、たぶん日南さんにはまだ受け入れられないと思う」

「は?」

 眉間にしわを寄せる日南へ、北野はどこか悲しげな苦笑いを見せた。

「あなたの苦手なオカルトなんだ」

 はっと息を呑むと同時に、疑問と答えとが脳裏に浮かぶ。

「何で……」

「あなたのことならだいたい知ってるの。あなたの友達がオカルト好きだってことも」

 そう言われても日南は反応に困ってしまう。らしくもなくどぎまぎして、言い返す言葉を見つけられない。

 北野は悲しそうなまま微笑んだ。

「現実っていったい何だと思う? どうして現実であると証明することができるか、知ってる?」

 オカルトの次は哲学か。日南はますます困惑して無言になる。

「残酷だけど、現実だと思ってるのは自分だけなんだよ。みんなそう。勝手に現実だと思い込んで、信じてる。そうじゃない可能性っていうのを誰も考えない。

 ううん、考えている人はいるかもしれない。でも、心の底からその可能性を受け入れているわけじゃないんだ」

 北野は日南を置いて歩き始めた。「またね、日南さん」と、軽く片手を上げて遠ざかっていった。

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