「うーんと、この前の土曜日ですね。友人のバンドを見に、一緒にライブへ行ったんです」
蘭賀の返答に少々驚きながら日南はたずねる。
「蘭賀さんもですか?」
「ええ、みんな
人が好さそうな笑みを返す彼に、日南はなんとなく作り物めいた感じを覚えた。自分に幼馴染と呼べる相手がいないせいだろうか、違和感があるような気がした。
「ちなみにですが、坂爪さんとの関係は?」
我慢できずにたずねた日南へ、やはり蘭賀が答える。
「理人が
ごまかすように笑う蘭賀へ、坂爪がちらりと視線をやりながら、語気を強めて言った。
「でも、瑠璃とは兄弟みたいなもんです」
日南はまたしても作り物めいた感じを覚えつつ、表情には出さないようにして問う。
「なるほど。もしかして長いんですか?」
「ええ、理人が小学生の頃からなので、もう十年以上になりますね」
「養子縁組はしなかったんですね」
「児童相談所を介さずに親父が連れてきちゃったもんですから」
と、蘭賀が苦笑し、坂爪はそっぽを向いた。
「親さえうなずいてれば、俺は養子になってた」
つまり坂爪の親が認めなかったため、養子縁組が叶わなかったということらしい。実に複雑な事情があるようだ。
「話がそれてしまいましたね、すみません。えっと、初子さんのことで何か思い当たることはありませんか?」
二人は口を閉じて首をかしげた。どうも思い当たることがないらしい。
場が沈黙してしまい、日南は気まずくなって紅茶をすする。少しぬるくなってしまったせいか、かすかに渋みがある。
「すみません、俺たちにはまったく……」
と、申し訳なさそうに蘭賀が言い、日南は「そうでしたか」と返す。
次にどんな質問をしたらよいか、考えている間にインターフォンが鳴った。
「
蘭賀が立ち上がって玄関へ向かっていく。
坂爪は緊張感のないあくびをして、肩や首を回した。その気持ちは日南にもよく分かる。きっと一晩中、パソコンで執筆していたのだろう。
やがて蘭賀が大学生風の男を連れて戻ってきた。
「紹介します、初子ちゃんの兄の七篠幸多です」
日南はとっさに立ち上がって頭を下げた。
「日南探偵事務所の日南です。この度はご依頼いただき、ありがとうございました」
しかし幸多は戸惑った様子で蘭賀を見た。
「瑠璃さん、どういうこと?」
「おばさんが依頼したらしいんだ。初子ちゃんを探してほしいって」
「初子を……? そっか」
どうやら彼はまだ話を聞いていなかったようだ。兄がSNSで妹の捜索を呼びかけていたが、それとは別の兄らしい。
日南は少し戸惑ってしまったが、蘭賀が言った。
「幸多、座って。すぐに紅茶淹れるから」
「うん」
幸多は先ほどまで蘭賀の座っていた位置へ腰を下ろした。色の白い青年だった。髪の色素も薄く、光の下では茶色に見える。
「それで、妹さんについてお聞きしたいんですが」
日南もソファに座り、そろそろと口を開く。すると幸多は首を振った。
「すみません、何も分からないです」
「分からないというと?」
「仲が悪いことはなかったんですが、仲がよかったわけでもなくて。だから、その……彼女のことは、本当によく知らないんです」
まるで他人のような言い方だ。七篠家にも何か事情がありそうだと思う日南だが、
「そうですか。でも、三日前から行方不明なのはご存知ですよね?」
「ええ、一応」
「心当たりなどは……ない、ですよね」
考え直して日南は苦笑いでごまかす。
幸多は「ごめんなさい」と、小さな声で返すばかりだった。
蘭賀が幸多の前に紅茶の入ったティーカップを置いた。それから隅に置いてあったスツールを持ってきて座る。
「それで日南さん、他に俺たちに聞きたいことはないですか?」
「ああ、えーと……ちょっと待ってください」
恋人から話を聞くはずだったが、当の坂爪は何も話してくれない。蘭賀だけが好意的であり、初子の兄である幸多も情報を持っていない様子だ。
どうしたものかと考えて、日南はひらめいた。
「大事なことを聞き忘れていました。普段の初子さんの様子について、教えてもらえますか?」
今度こそ坂爪の口を割るつもりだった。しかし、真っ先に幸多が言った。
「あの、変だと思われるかもしれませんが、ボク、妹のこと全然思い出せないんです」
「え?」
「今日はそのことで、瑠璃さんに相談しようと思ってて」
思考回路がショートしたかと思った。日南は何も考えられなくなり、瞬時に息を吹き返す。
「えーと、どこかに頭をぶつけたとか?」
半ば冗談のつもりで言ってみたが、幸多の表情は暗く沈んだままだ。
「何故だか分からないけど、思い出せないんです。初子がどんなだったか、可愛い妹だったはずなんですけど、本当に何も分からなくて」
意味が分からない。もしかすると幸多は妹が失踪したショックで、どこかがおかしくなっているのではないだろうか。
呆然とする日南へ、やっと坂爪が口を開いた。
「実を言うと、俺もなんだ。初子とどんな話をしたか、昨日くらいから思い出せなくなってて」
「まさか」
思わず口をついて出た。日南はすぐにはっとしたが、蘭賀が共感を示す。
「俺もまさかと思いました。でも、俺も記憶が薄れているような気がするんです。初子ちゃんの名前は覚えているのに、声とか顔とかがぼんやりしていて」
奇妙だ。不可解だ。いや。
「理不尽だ……」
いったい何が起きているんだ? もしかすると、他の行方不明者の周囲も同じだろうか?
そう考えた瞬間に日南は背筋がぞっとし、慌てて紅茶を飲み干した。あまりのおぞましさに耐えきれず、冷静に考えることができなくなっていた。
「ありがとうございました。今日のところはこれで失礼します」
男たちへ頭を下げて、日南は逃げるようにその場を去った。
駅前のベンチに腰かけて、日南はSNSを開いた。覚えてない、忘れた、などのワードで検索をかけてみる。明確に行方不明者のことを示している投稿がいくつか見つかった。
「みんな、忘れている……?」
行方不明者のことを忘れている。いや、記憶が失われていると言うべきか。ならば、何故?
西園寺の「謎が謎を呼んでる」という言葉が脳裏をよぎった。まさにそうした状況にいるとしか思えなかった。
だが、これではまずい。何が起きているのか確かめなければ、依頼人に合わせる顔がない。
焦る日南のスマートフォンに突然影が差し、はっと視線を上げる。いつの間にか、目の前に背の高い女性が立っていた。