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福神シロップ
FUU
恋愛スクールラブ
2024年11月10日
公開日
3,337文字
完結
赤石漬物屋で見つけた、福神シロップ。
「軽く振りかけるだけで、ぐっと味わい深くなる」と老婆に言われて、試してみることに。
お昼にカレーと福神漬けを食べたら、あまりの辛さに目に痛みが走る。
焦るあまり、間違って福神シロップを目にさしたら――。



福神シロップ

 日曜日の朝、ぼくは財布を持って、大型スーパーの先の赤石漬物屋に走った。赤石さんとこの漬物を食べないことには一日が始まらないと、父さんたちがうるさいので、こうして定期的におつかいしている。

 ぼくは頼まれた通り、すっぱ梅干しとコリコリらっきょうとピリ辛福神漬けを選んで、レジ前の特売コーナーで足を止めた。割引シールのはられた漬物に交じって、風変わりな品物が置いてある。

「何だ、これ?」

 ぼくはマニキュアっぽい小瓶を持ち上げて、ちょこんと首を傾げた。中に、黄色い液体が入っている。

「ああ、それかい?」

 店主の老婆が欠けた前歯をのぞかせて、にこにこ笑ってみせる。

「福神シロップと言ってね、軽く振りかけるだけで、ぐっと味わい深くなるんじゃよ」

 老婆のふくよかなえびす顔を見て、ほしくなった。

「あのー、おいくらですか」

 やや緊張気味にたずねると、老婆がシワシワの指を四本立てた。

「四千円?」

「いいや」

「よ、四万円?」

あまりにびっくりして、声が引っくり返ってしまう。老婆がかぶりを振って、ぼそっとつぶやく。

「四百円じゃよ」

(ふーむ、縁起よさそうな名前だし、試してみるか)

 ぼくは漬物といっしょに福神シロップを買って、家にかけもどった。玄関を開けると、激辛カレーの匂いがして、食欲をかきたてる。

 母さんも父さんも濃い味が好きで、根っからの辛党。昔から、料理の味つけを子どもに合わせたりしない。

 食卓には、ぼくのためにオリゴ糖とはちみつのボトルが常備されている。だけど、ぼくももう中学一年生だ。一つ上の姉ちゃんも食べてるんだから、ぼくだってイケるだろう。

「いただきます」

 食卓をかこんで、スプーンを握った。とろとろのカレーをすくって食べたとたん、汗がどっとわき出る。おまけに、福神漬けもピリッと辛い。

「うー、目がいってー」

 ぼくはズボンのポケットから目薬をつかんで、あわててさした。お皿いっぱいの山盛りカレーを見たら、さらに鋭い痛みがキーンと走った。

 思わず手で目をおおったら、姉に口出しされた。

「コウキ、なんか変なものでもさしたんじゃないの?」

「まさか。いつもの……」

 スーパーマイルド目薬のはずが、しまった。

 さっき赤石さんからもらった福神シロップじゃないか。

 ぼくはあせって、カレーにドバッと振りかけた。たしか、味わいが増すって言っていたはずだ。

 ところが、ただ辛さが増しただけ。口から火を吹くほど、辛い。

(み、水を……)

 勢いよく立ち上がって、テレビCMに釘づけになった。

 ~M 

 コウキを愛してる

 推しドルのミナミに告白されて、頬がほんのり赤らむ。汗がスーッと引いて、痛みも消え去った。

「もうすぐ秋の新ドラマが始まるのよね。コウキったらニヤついちゃって、やらしー」

 姉につっこまれて、ぼくははたと我に返った。

 これまでもテレビで流れていて見たことがあったはずなのに、赤いミニスカのミナミはいつもよりずっときれいだ。いきなり名前を呼ばれて、ドキッとしてしまった。

 福神シロップを使ったからだろうか。ちょいと確かめてこよう。

 ぼくはスニーカーをはいて、赤石漬物屋にダッシュした。レジ前の座椅子に、老婆が置物のように座っている。ぼくは固く握っていた拳を開いて、福神シロップをそっと見せた。

「あのこれ、目に入れてしまったんです。だ、だいじょうぶですか」

「目に? おやおや、とんだまちがいをしたね」

 老婆がほほえみながら、声をひそめておっとり言う。

「特別にひみつを教えるとね、またの名を福神アイドロップと言って、つけた直後に目が合った人と両想いになれるんじゃ」

「まるで、恋のキューピットみたいだな」

「そうじゃね。両目に一滴ずつさして、効果がきっかり一日続くのさ。くれぐれも大切に使うんだよ」

 ふいに真剣な眼差しを向けられて、ぼくは深くうなずいた。


 あくる朝、ぼくは制服のポケットに目薬をしのばせて、いつになく浮かれた気分で学校へ向かった。

 お目当てのサキの席は、窓側の前から二番目。ななめ後ろからチラ見するには持って来いだけど、確実にねらいを定めるとなると難しい。とりわけ、柔道部の大柄なツヨシがじゃまだ。

 もし目薬をつけた直後に振り返られて、うっとり見つめられたりでもしたら――。

(うげっ、キモすぎ)

 ツヨシとのキスシーンを思い浮かべて、鳥肌がぞわっと立った。そこで、菅田先生に当てられた。ぼくはしぶしぶ立ち上がって、うつむき加減に詩を音読した。

(ふうー、あぶね。やっぱ、授業中はやめとくか。見つかって取り上げられたら、まずいぞ)

 昼休み、ぼくはサキの元に急いだ。ちょうど、だれもそばにいない。

「沢村さん、休み時間によく読書してるよね」

「……う、うん」

 サキが驚いたように顔を上げて、はにかみがちにうなずいた。

「ぼく、あまり本を読まないからさ。なんかお勧めがあったら、教えてほしいな」

「お勧めかあ……」

 サキが小首を傾げて考えあぐねている間に、ぼくは福神シロップを取り出した。

(絶対に決めてやるぞ)

 気合を入れてあせるあまり、強く押しすぎてしまった。両目に数滴ずつ垂らして、もう空っぽだ。

「はい、ティッシュ」

「あ、ありがと」

 ぼくはパチパチまばたきしながら、お礼を言った。親切にティッシュをくれたのは、いつのまにいたのか、サキの真横に立つセイラだ。

「戸越くん、ごめん。サキ、借りるね」

「……あ、うん」

「ねえ、サキ。日曜日にどこ行くか決めよう」

セイラがサキを連れ立って、スタスタ走り去っていく。


 その日の放課後、セイラに甘ったるい声でさそわれた。

「ねえ、いっしょに帰ろ」

 つぶらな瞳がキラキラ輝いて、宝石のようだ。

(福神シロップの効果だろうか。いや、相手はクラス一のマドンナだぞ。ぼくなんかにほれるわけないだろ。落ち着け、落ち着け)

テンパっている間にも、手をぐいっと引っ張られた。

「ねえ、早く行こ」

「お、おう」

 急いで立ち上がると、サキと目が合うなり、すっと視線を外された。

(やばい。親友を取られたってかんちがいされたかも)

 後ろめたさを抱えたまま、セイラと校門をくぐる。肩をよせ合って大通りを歩く道すがら、同じクラスの奴らに冷やかされた。

「あいつら、つき合ってんのか」

「美女と野獣カップル、誕生だな」

「ヒューヒュー、ビッグニュースじゃん」

 派手な指笛を背に、ぼくはひそかに優越感に浸った。


 翌日もその翌日も、セイラの猛アタックは続いた。

 さそわれるがままにいっしょに登下校するうち、セイラみたいな積極的なタイプのほうが、自分に合っているのではないかと思えてくる。周りからもますますチヤホヤされて、一躍スターダムにのしあがった気分だ。

(よし、ビシッと告白するぞ)

 ぼくは意を決して、セイラを廊下に呼び出した。ところが、はりきって口を開くより早く、こう投げやりに言われたんだ。

「あたし、どうかしてた」

「え?」

「あんたみたいな優柔不断な男を好きになるなんて、ありえないもん。バッカみたい」

(おいおい、待ってくれ。今朝も、楽しくおしゃべりしながら登校しただろ。どうして、たった半日で態度がガラリと変わっちまうんだ)

 ひどく混乱しながらぼうぜんと立ちつくしている間中、冷たい視線を浴びせられた。

(一滴で効果が一日続くって、赤石さんが言ってたっけ。数日経って、効き目が切れたのだろうか)

 ぼくは青ざめて、肩をがっくり落とした。ふくれ面のセイラがいなくなるなり、後ろから名前を呼ばれた。おずおずと振り返ると、小柄なサキが立っていた。

「これ、セイラから」

「ああ、どうも」

「戸越くん、ひどい。あたし、ずっと気になってたんだけど、バッカみたい」

 サキが怒って、文庫本を押しつけててくる。それはサキに勧められたファンタジーで、読み終わったあとにセイラに貸していたのだ。

(やっべー)

 ぼくは分厚い文庫本をペラペラめくって、力なくうなだれた。

 サキとの貴重なツーショット。遠足帰りのバスの中でとなり同士になれて、幸せだった。

 おもむろに裏返しにすると、はずべきなぐり書きが目にとまった。

〈サキちゃんとつき合いたいな。いつかキスできますように〉

 ぼくは口にすっぱ梅干しを含んだように、顔をしかめた。

「うおー、最悪だ。バッカみてー」

乱暴に文庫本を閉じて、片手できつく丸める。窓から風を吹き抜けて、ぶるりと身震いした。


 (了)


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