格納庫は慌ただしい雰囲気を纏っていた。
何人もの整備員が走り回り、アーサーの各駆動部の最終チェックを行なっている。
「アーサーはもういけるか?」
格納庫に、一人の男が駆けつけ、整備長に声をかける。
「ヴィクトル、来たか! ヴィヴィアンは?」
全身にフィットする、白を基調に青がポイントカラーとしてあしらわれたパイロットスーツを来た男——ヴィクトルが、整備長の声にああ、と頷く。
「端末をもらってきた! インストールはこれからだ!」
別の格納庫からはすでにナイト部隊——先ほど出撃したアルファ隊、ブラボー隊とは別の、チャーリー隊及びデルタ隊が出撃している。あとはアーサーだけだったが、先ほどの戦闘から立て続けに出撃することになったため、整備が追いついていない。
ヴィクトルが端末を操作し、格納されたヴィヴィアンの移行作業を行う。この移行のために最初から所持していたシルキーは一旦別の端末に格納している。
ヴィクトルの視界にインジケーターが現れ、ヴィヴィアンの転送状況を表示する。
それが【
『何、あんた』
「俺がアーサーの正式なパイロットだ」
ヴィクトルがそう答えると、ヴィヴィアンは眼前に小さなウィンドウを展開して情報を確認する。
『ヴィクトル・ラインフェルト、TACネームは「ヴァイパー」……』
そう読み上げた瞬間、ヴィヴィアンはヴィクトルの眼前に周り、両腰に手を当てた。
『「ワイアーム」は? 嫌よ、あたし、マスター以外の指示には一切従わないから!』
「お前のマスターは俺だ、ヴィヴィアン、指示に従え」
反抗的な態度をとるヴィヴィアンに、ヴィクトルが指示に従え、とコマンド入力も踏まえて命令するが、ヴィヴィアンは一切聞く耳を持たない。
『嫌よ』
本来、アシスタントAIはコマンド入力による強制命令は絶対服従である。それなのに、ヴィヴィアンはその命令コマンドですら拒絶し、ヴィクトルの指示を一切聞かない。
それでも時間がないため、ヴィクトルはアーサーのコクピットに乗り込んだ。
「ヴィヴィアン、アーサーの起動シーケンスを」
シートに座り、パネルを展開、起動処理を行うが、アーサーは沈黙したまま。
厳密にはOSの起動自体はできる。認証もヴィクトルの名前で登録されているためクリアしている。しかし、肝心のメインシステムが起動しない。
点灯すらしないモニターを前に、ヴィクトルは焦ったようにヴィヴィアンに起動処理を促すが、ヴィヴィアンはそれを無視するばかり。
《ヴィクトル、どうしたんだ?》
整備長がヴィクトルに声をかける。
「ヴィヴィアンが起動処理をしてくれない!」
『だから「ワイアーム」以外の指示は聞かないって言ってるでしょ!』
つん、とヴィヴィアンがそっぽを向く。
流石のヴィクトルも、これには怒りを覚えざるを得なかった。
「お前はこの基地が壊滅してもいいのか!」
アーサーが起動しなければチャーリー隊とデルタ隊だけで対処しなくてはいけない。実際のところ、この二隊だけでもインベーダーを追い払うことは不可能ではないが、それでも被害は大きくなるし、犠牲者も増えてしまう。
先ほどの戦いでそれは実証された。アーサーが出撃すれば、その分被害は最低限で済む。
だから、ラルフが起動させたアーサーをヴィクトルが引き継いで出撃しようとしているのに、肝心のヴィヴィアンが一切協力しようとしない。
ヴィクトルの言葉に、ヴィヴィアンが「それが?」と涼しげな顔で答える。
『あたしはこの基地が壊滅しようが知らないわよ。アーサーが破壊されようがそれであたしが死ぬことになろうがどうでもいい』
「お前はそれでもアシスタントAIか! 人間の指示に従いサポートするのがお前の役目だろう!」
『だから言ってるでしょ、「ワイアーム」の指示なら従うって』
ヴィヴィアンの言葉に、ヴィクトルは「こいつ、本気だ」と考えた。
シルキーと違い、人間並の高度な自律思考を持つヴィヴィアンはこの国でも最高位の、それこそ本来の意味でのハッカーが開発したとは聞いている。
「コンピュータに卓越したもの」という本来の意味でハッカーと呼ばれた開発者はこの世界の平和を願い、そして地球をインベーダーの手から守るためにヴィヴィアンを開発したはずだ。それなのに、そのヴィヴィアンが開発者の願いを無視している。
「お前は開発者の願いを無視するのか!」
ヴィクトルが声を荒らげる。だが、ヴィヴィアンは相変わらず涼しげな顔でそっぽを向いている。
「ヴィヴィアン!」
『——開発者がこの世界の平和を望むのは勝手よ。あたしは、あたしが認めたマスターにしか従わない。「ワイアーム」に戻してくれないなら、この世界なんて滅びてもいい』
「——っ」
ヴィヴィアンの強い意志に、ヴィクトルはそこまで、と考えた。
一体何がヴィヴィアンをラルフに固執させるのか。
いずれにせよ、ここまで頑なに起動を拒むヴィヴィアンに何を言っても無駄だ。
「ダメだ、ヴィヴィアンは『ワイアーム』以外には従わないと言っている」
今はヴィヴィアンと口論している場合ではない。迫り来るインベーダーのグレムリン部隊を追い払うのが先だ。ヴィヴィアンを説得するのはそれからでも遅くない。
ヴィクトルの言葉に、整備長も「なんてこった」と言いつつも司令部にその報告を上げていた。
《ラルフを出せと!? あの子はまだ子供だぞ!?》
司令官の声が聞こえる。
遠くから、始まった戦闘の地響きが聞こえてくる。
「——だが、ヴィヴィアンはあの子供を認めている。あの子供には、何かあるかもしれん」
自分がラルフより劣るのか、という思いはあったが、それでもヴィヴィアンがラルフを認めている以上それを尊重する他ない。
ヴィクトルの言葉に、司令官はしばし沈黙したが、「分かった」と低く呟いた。
《やむをえん、ラルフに協力を仰ぐしかない》
この戦争に勝つにはアーサーの力は必須なのである。
ヴィヴィアンがラルフを認め、彼の指示しか聞かないというのであれば、心苦しいがラルフを戦場に立たせるしかない。
回線の向こうで司令官が補佐官に声をかけ、それに対して補佐官が反発するのが聞こえてくる。
《しかし、ラルフを出さねば死ぬのは我々——その結果起こるのは、人類の滅亡、ラルフも死ぬことになるのだぞ》
《それは——》
聞こえてくる会話に、ヴィクトルもそうだ、と頷く。
「ラルフを——いや、他の子供達を生かすためにも、俺たちが死ぬわけにはいかないんだ、アルベルト。ラルフを出せ。俺がサポートする」
《ヴィクトル……》
アルベルトと呼ばれた補佐官が沈黙する。
司令官やヴィクトルの言いたいことは分かる。しかし、アルベルトは子供を戦場に駆り出すことだけは受け入れられない。
しかし、ラルフに頼らなければ今の状況を覆せないことも理解していた。
ラルフの実力は分かっている。いや、未知数ではあるが、少なくともアーサーに乗ってグレムリンを蹴散らすことができることは分かっている。
大人が子供に頼らなければいけないとは、と唇を噛みつつも、アルベルトは分かった、と頷いた。
《分かった、ラルフを呼んでくる。尤も、協力すると言ってくれればの話だがな》
あれだけあっさりとヴィヴィアンを手放したラルフが協力してくれるとは考えにくい、というアルベルトの考えはヴィクトルにも分かった。ラルフのことは詳しく聞いていないが、それでも言動の数々を考えればそれくらいすぐに予想できる。
だが、アルベルトの言葉にヴィクトルが大丈夫だろ、と軽口をたたく。
「ラルフなら協力してくれるさ。何故なら——」
《俺の力が必要だって?》
司令官とアルベルトの背後から、ラルフの声が響き、それが通信に乗ってヴィクトルの耳にも届いた。