「あなたとあたしの夏休みの宿題」と
それをちらりと見て、「アホか」と返答する。
紙には次のように書かれている。
1 海へ行く
2 海に向かって叫ぶ
3 映画を観る
4 お風呂に入る
5 お弁当をつくってあげる
6 かき氷を食べる
7 川遊びをする
8 キスする(軽いやつ)
9 キスする(深いやつ)
10 キャンプファイヤーをする
11 肝試しをする
12 くすぐる
13 告白する
14 水族館へ行く
15 セックスする
16 手をつなぐ
17 天体観測をする
18 テントに泊まる
19 動物園へ行く
20 夏祭りに行く
21 バカ笑いをする
22 ハグする
23 裸を見せ合う
24 花火大会へ行く
25 花火をする
26 バーベキューをする
27 膝枕をする
28 プレゼントを贈る
29 プールへ行く
30 変顔をする
31 星を見る
32 星に願う
33 ホテルに泊まる
34 盆踊りを踊る
35 耳かきをしてあげる
36 耳元でささやく
37 胸に触る
38 山に登る
39 遊園地へ行く
40 料理をつくってあげる
萌はわたしのクラスメイトだ。とても背が高い女の子で、180センチぐらいある。
対称的にわたしは小柄だ。身長150センチ。
わたしは萌の顔を見上げる。目がぱっちりと大きくて、なかなか整った可愛い顔立ちをしている。でかい身体の上にのっかっているのは子猫のような幼い笑顔。にへらっと笑っている。艶のある黒髪はショート。
わたしたちは大野原高等学校の生徒で、1年1組に所属している。
その名から想像のつくとおり田舎にある高校だ。最寄り駅から徒歩5分というなかなかよい立地だが、その駅には1時間に1本しか電車が止まらない。
駅前にはコンビニもファストフード店もない。昔ながらの商店が数軒あるだけのさびれた大野原商店街。やたらとメニューが多い中華料理屋、肉と魚と野菜と乾物を売っている食料品店、文房具も取り扱っている書店、賞味期限切れの品が混ざっているパン屋。
駅から少し離れるとまばらに家があるだけの村落で、田園地帯が広がっている。きれいな清流もある。大野原高校は田んぼに囲まれていて、春から夏までかえるがやかましく合唱し、授業を妨害している。夏には蝉もうるさい。
わたしと萌は部員が3人しかいない美術部に入っている。残りのひとりは3年生で、部長だが幽霊部員だ。受験勉強を優先するので、部活はできないとのたまっている。
わたしたちは田んぼと畑と山ばかりのど田舎に住んでいるので、画材が欲しければ電車に乗って、ターミナル駅の商店街に行かなければならない。
そんなのどかでわびしい高校生活を送っている。
さいわいにも昨日1学期の期末試験が終わった。すばらしい成績にはほど遠いが、赤点を取ったりはしていないと思う。
わたしと萌は試験期間中休止していた部活を再開し、美術室にいる。わたしは高校入学を機に油画を始め、萌は水彩画を描いている。
もうすぐ夏休みだ。
そのタイミングで、萌が紙を渡してきたのだ。40項目もの「あなたとあたしの夏休みの宿題」が書かれた紙を。アホか。
「ふたりで高1の夏を謳歌しようね〜。いっぱい遊ぼうよ〜」
萌は緊張感のないふにゃっとした笑みを浮かべている。
私は紙を見て戦慄している。
キスする、くすぐる、手をつなぐ、ハグする、膝枕をする、胸に触る。肉体的接触がいっぱいだ。おまけにセックスするだと?!
わたしとおまえは女の子同士なんだぞ~。
わたしはいい。わたしは別にいいんだ。
こいつが好きだからさ。
でも萌はどうなんだ。
わたしとこんなことしていいのか。
いいから書いたんだよな。
ひょっとして、萌もわたしのことを好きなのか?
夏休みにわたしとイチャイチャしたいのか?
ふー、ふー、ふー。
興奮してしまった。落ち着こう。紙は折りたたんでポケットにしまう。
わたしは机に黒い布を敷き、その上に牛の頭蓋骨と目覚まし時計とバイオリンと500円玉と薔薇の造花を配置する。
人生の儚さや虚しさを表現するヴァニタスという静物画のジャンルがあり、そのモチーフには頭蓋骨、時計、楽器、枯れた花、コインなどが用いられる。
わたしはヴァニタス画に挑戦している。そういう虚無的な絵が好きなのだ。虚無は逆説的に生への渇望を感じさせると思っている。
イーゼルにキャンバスを置いたとき、萌は背後からわたしに近づき、「愛してるよ」とささやいた。甘い痺れが脳髄をつらぬく。
「ええーっ?!」
わたしは飛びのいた。
「あははっ、36番『耳元でささやく』達成」
はー、はー、はー。
全然落ち着けん。ますます興奮してしまった。
いやそんなことより、いまわたし告白された?
「あ、あの、ほんとに?」
「うん。珠希が大好き」
わたしの名前は
「な、な、なんで?」
「ちっこくてカワイイから」
それだけ?
わたしが唖然としていると、萌はわたしをきゅっと抱きしめた。大柄な身体にすっぽりと包み込まれる。わたしは抵抗せず、なすがままにされた。エアコンのない7月の美術室で抱きしめられているとすごく暑いが、わたしはしあわせだった。開け放たれた窓から湿った空気が流れ込んでいる。
「あはっ、22番『ハグする』も達成。意外と簡単だね。あっ、13番『告白する』もさっき達成したよ」
萌は微笑んでいる。
わたしとこいつは相思相愛なのだろうか?
わたしたちは高校で知り合った。ふたりとも自転車通学だが、家は離れている。萌は大野原駅の近くに住んでいて、わたしはひとつ北の黒谷駅のそばで暮らしている。黒谷も田舎町。1時間に1本しかない電車の時刻表に制約されるのが嫌で、わたしは自転車で高校に通っている。
同じクラスになり、ふたりとも美術に興味があって、美術部でも一緒になった。4月中旬、油彩の匂いがする美術室で鉢合わせ、わたしと萌はびっくりして見つめ合った。
「美術部に入るの?」と萌に訊かれ、
「うん」とわたしは答えた。「あなたも?」
こくんと萌はうなずいたのだ。
そのときまでたったひとりきりの部員だった部長に、わたしたちは入部届を提出した。
「いやーっ、よかったあ。これで部が存続できるよ。入ってくれてありがとう」
黒縁眼鏡をかけた中肉中背の女子生徒は、満面の笑みで迎えてくれた。
しかし、部長は1か月後、「私は受験勉強に専念するから。美術部をよろしくね」と言い残して、部活に来なくなった。
それ以来、実質的な美術部員はわたしと萌だけだ。
わたしは油画を、萌は水彩画を描き、清く正しい美術部員として付き合ってきた。仲は悪くなかったが、恋愛的な雰囲気はこれまでまったく醸し出されていなかった。だが、急に風向きが変わったようだ。
わたしはすらっとした高身長の萌をかっこいいと思い、彼女の持つ柔らかい雰囲気とマイペースさに惹かれていた。
萌もわたしを好きでいてくれたのか? ちっこくてカワイイから?
わたしはポケットから紙を取り出し、折り目を開いて、もう一度読み返した。
「これを全部夏休みに全部やるつもりなの? 正気?」
「うん。楽しそうでしょ?」
「あう……楽しいかもしれないけど……」
ほんとにやるの? キスする(深いやつ)ってどんなの?
「きのう徹夜して書いたんだー。珠希との夏を想像してたら、興奮して寝られなくなっちゃったー」
萌は無邪気だ。
わたしが拒否するとは考えなかったのだろうか。
そんなことを思っていると、彼女の表情が陰った。
「嫌?」
「嫌……ではない……」
「あたしのこと好き?」
身体が熱くなってきた。きっとわたしの顔は耳まで真っ赤になっている。
「す……す……き……」
「すすき?」
誤解されたくない。はっきりと言おう。
「好きだよ!」
「やったー。相思相愛だー」
やっぱり相思相愛なんだ。夢じゃないのか?
「付き合おうね、珠希」
「う……う……ん……」
「ううん?」
誤解すんなよ。
「付き合う!」
「ひゃっほー。くすぐっちゃうぞ、珠希ーっ」
萌はハイテンションになって、制服の上からわたしの脇の下をこしょこしょとくすぐった。
「うひゃひゃひゃ、うわはははは、やめてっ、萌っ、やめてっ、うひっ、うひゃひゃひゃひゃ」
「珠希の反応かーわいー。ほれほれほれ」
珠希は悪ノリして、わたしの脇を激しく指で刺激した。
「あひゃひゃひゃひゃ、あひーっ、やめろー!」
わたしは彼女の頭を平手で叩いた。
「ごめーん。12番『くすぐる』達成」
「自分だけ達成するなー。仕返しだ」
わたしは萌の脇の下をくすぐった。
「ぎゃはははははっ、くちゅぐらないでえ、あひっ、くはっ、だめえ、うひひひひっ、うひーっ」
萌はくすぐりに弱かった。わたしより遥かに大きくリアクションして、身体をのけぞらせる。こいつの反応面白いな。くすぐりつづけてやる。
「ひゃああっ、うひい、あがっあがががっ、許して、ゆるひてえ珠希っ、あひゃあ」
萌の目から涙が流れ、口からよだれが垂れてきて、顔面が崩壊しそうになっていたので、わたしはやめた。感じやすいな、こいつ。
セックスしたらどうなっちゃうの?
女の子同士のセックスって、よくわからんけど。
「くすぐりは達成したけどさあ、水族館とか動物園、遊園地とかの方がむずかしいと思うよ。このど田舎から水族館に行くの大変だよ。川遊びは簡単にできるけどさあ」
「そうだねー。でも珠希と電車に乗って遠くへ行くの楽しみー」
そう言ってもらえるのはうれしいけど、実際問題として大変なんだよ。
「お金もだいぶかかるよ。貯金どのくらいある?」
「あっ、そうか。お金のことは考えてなかった。えーっと、3万円ぐらいかな」
「それだけ? この40項目を実践してたら、金銭的にすぐ行き詰まるよ」
「バイトしよう!」
「この町に仕事なんてないよ」
大野原にも黒谷にもアルバイトの募集なんてない。
農作業の手伝いをするとお金をもらえたりするが、定期的に仕事があるわけではない。お金はもらえず、収穫物をくれるだけのこともある。
「わたしは貯金、そこそこあるけどね」
うちはけっこう裕福な酒造会社で、父は社長、母は専務だ。ひとり娘のわたしはそれなりの額のお小遣いをもらっている。田舎暮らしでたいしてお金を使うこともないので、20万円ぐらい貯まっている。
萌の目がきらりと輝いた。
「いくら?」
「教えない」
「ケチー」
萌は口をへの字にしてぶすったれた。そんな顔にも愛嬌があって可愛い。美人は得だ。
「ケチじゃない。多めに払ってあげるよ」
わたしはにっこり笑って、顔を萌に近づけた。
萌は椅子に座っていて、わたしは立っている。その状態で、30センチの身長差が埋まっている。
もう少しでキスできるほどまで接近した。
萌は逃げもせず、わたしを真っ直ぐに見つめている。
唇を触れ合わせた。萌の唇は柔らかくひんやりしていた。
8番「キスする(軽いかつ)」を達成。
舌を入れたりはしなかった。たぶんそれは9番(深いやつ)。
「萌とわたしの夏休みの宿題、やってやろうじゃないの」
わたしたちの(エロい)夏が始まる。
太陽は眩しく光って地上を熱し、かえると蝉は大合唱していた。