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Tier71 忘却

 早乙女さんと渡会さんに車で送ってもらい、夕食やお風呂といった生活的な活動を終えた頃にはもうすっかり就寝の時間になっていた。

 パジャマに着替えてベットの中に入ろうとした時、ふと僕の頭の中によぎったことがあった。


「あれ? 何か忘れているような……?」


 声には出したものの、一体何を忘れているのかは思い出すことが出来なかった。

 思い出せない内容が気にならないと言ったら嘘にはなるが、重くなってきているまぶたには抗うことが出来ない。

 僕は思い出すことは諦めてベットの中に入って身を任せるようにそのまま瞼を閉じる。

 やがてすぐに深い眠りへと僕は落ちた。


 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


 ――さかのぼること数時間前――


 マノと伊瀬が別行動をとり、丈人先輩達が事件の資料整理にいそしんでいる頃――


 警視庁本部にある六課の一室で一人の少女が……

 いや、忘れ去られた少女が今か今かと皆が来るのを待っていた。

 日は大きく傾き、朱色に染まった夕焼けが窓際に取り付けられた白のブラインドの隙間が漏れ出している。

 窓の外からは数羽のカラスが「カァ、カァ」と間抜けた鳴き声で鳴いていた。


「皆、まだかな~」


 待ち人である全員から自分が忘れ去られているとは露知らず、少女もとい那須先輩は夕焼けに照らされながらひたるように呟く。

 もちろん、待ち人が来ることはない。

 なぜなら、会議は既に終わっているからだ。

 かれこれ数時間以上待ちぼうけをくらっているのだから、那須先輩もさすがに気づいてもいい頃合いなのだが、一向にその気配を見せないでいる。

 この調子では明日の朝になっても気付かない可能性が多いにある。

 一般的な民間企業であれば泊まり込みは基本的に認められない。

(繁忙期などは会社に泊まり込むことが当たり前のような時代もあるにはあったのだが、今のご時世ではそれは許されない。というか、今の時代から見るとあの時代は頭がおかしいと言わざるを得ない。それをやってのけたあの時代の労働者達はとち狂ってはいるが、今の労働者にはない強さがある)

 だが、ここは警視庁。

 当直の警察官が泊まり込むために仮眠室やシャワーといったものは完備されている。

 また、大きな事件が起きた際には合同捜査本部が設置され多くの捜査員が泊まり込むことも珍しくはない。

 そういった際には仮眠室のベットは不足するため、ソファーや柔道場で寝泊まりする捜査員で溢れることになる。

 それ故に、那須先輩が朝まで六課で待機するのは可能というわけだ。

 幸いにも、大きな事件は起きていないため仮眠室等にも融通が利く。

 六課にある椅子やソファーで寝て腰を痛めることは少なくともないだろう。

 そんなことを気にする前に会議は終わっていて皆が来ることはないと気付いて欲しいところだが……

 とは言え、普段からテンションが高く六課で一番うるさくしているであろう那須先輩がいないことを誰も気づかないというのも酷い話である。

 唯一、違和感に気付いたのは伊瀬であったが、それでも那須先輩の存在を思い出すには至らなかった。

 いや、そもそも六課に来てまだ日が浅い伊瀬が違和感に気付くというのに、長くの間苦楽を共にしてきた他のメンバーが違和感にすら気付かないというのはこれまた酷い話である。


「どうするんスか、これ? 教えてあげた方がよくないっスか? さすがに可哀そうっスよ」


「しかし……あまり接触するわけにもいきませんし……」


 六課に一人忘れ去られた那須先輩を遠くの物陰から覗く二つの影があった。

 片方は男、もう片方は女で恰好から見るとどちらも刑事のように思える。

 二人の関係は同僚なのか、上司と部下の関係なのかは微妙なラインだ。


「それはそうなんスけど……でも、明日って立川の方の六課に集合していなかったスか?」


「集合して……ましたね……」


 つまり、那須先輩が明日になるまで待ち続けていたとしても他の皆が来るのは立川の六課のため警視庁本部の六課で待っていても誰も来ることはないということだ。


「なら、あの人今日どころか明日も一日待ちぼうけをくらうことになってるんスよ! やっぱ可哀そうっスよ!」


「ちょっ、ちょっと! 声を抑えて下さい! 気付かれたらどうするんですか!」


 男の方の声が大きくなったことに女の方が慌てて小声で語気を強めて注意する。

 女は那須先輩の方を見て、自分達の存在が気付かれていないかを確認する。

 そして、気付かれていないと分かるとホッと胸をなでおろした。


「可哀そうなのは分かります。けれど、私達の目的を忘れてはいけません。接触や介入は可能な限り避けなければならないんです。あくまで、私達は傍観をつらぬく必要があります」


「じゃあ、自分達は何も出来ないってことっスか?」


「しかし、丸二日待たされるというのはあまりにも気の毒ですから……明日の朝には気付くようにしておきましょうか」


「本当っスか!」


 男の顔がパッと明るくなる。


「ええ、あまり褒められたことではありませんけど……」


 気乗りはしないが、女も見捨てることが出来なかった。

 そういうわけで、妥協点を作るしかなかった。


「これ以上ここで時間を使うわけにはいきません。問題は見当たらないのですから、次に行きましょう」


 直後、二人はサッとその場を立ち去る。


 今日に至っては、那須先輩に救いの手が差し伸べられることはなく、皆から忘れ去られていることに気づかず六課で一夜を明かした。

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