「オリジナルと……コピー?」
僕の呟きを聞いて、佐伽羅さんはある例え話を始めた。
「ある男が沼地を歩いている最中、不運にも突然、雷に打たれて死んでしまう。その時、別の雷がすぐそばの沼へと落ちた。この落雷による電気エネルギーが偶然に沼の物質と化学反応を起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。生成物は原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造になっており、見かけも全く同一である。落雷によって死んだ男の生前の脳の状態を完全にコピーしているため、記憶も知識も全く同一であるように見える。だが、ここで一つの疑問が生まれる。生成物は死んだ男と同一人物であると言えるのか、という疑問がな」
「……ドナルド・デイヴィッドソンが提唱したスワンプマンか」
マノ君が佐伽羅さんの話した思考実験の名前を言う。
「知っていたか。知っていて気付かなかったのか……それとも、他に気付きたくない理由でもあったのか……」
「そんなことはどうでもいいだろう」
それ以上は佐伽羅さんに喋らせたくないのか、マノ君は一喝する。
「まぁ、そうだな。そんなことはどうでもいい。重要なのはスワンプマンの思考実験が、マイグレーションにも言えるということだ。1人の人間の意識を確立させているのは、脳から発生されている固有の電気信号によるパターンだそうだ。このパターンは指紋のように同じパターンを持っている人間は決して存在しないらしい。マイグレーターは自分の固有の電気信号のパターンを他者に移行、上書きすることで意識を消滅させずに肉体を入れ替えて生きている……今の時点で、俺のマイグレーションに関する認識に間違いがあれば言ってくれ」
「その認識で問題ありません。残念ながら、現在もマイグレーションそのものに関する仕組みは5年前とあまり大差ありません」
僕達の会話を興味深そうに黙って聞いていた早乙女さんが答える。
「たかが数年では、進歩があるわけないか」
佐伽羅さんは最初から分かっていたのか驚きもしない。
「スワンプマンのように肉体まで完璧にコピーをしているわけではないけど、八雲のように生まれ持った肉体を捨てたマイグレーターは意識をコピーした存在ってことなんですね?」
「あぁ、そうだ。要は、八雲の生死を判断するのはスワンプマンをどう解釈するかで決まるってわけだ。大抵の人間はどんなに精巧なコピーであっても、それは自分ではない別物と考えるだろう。生まれ持った肉体を捨てて、意識をコピーすることはオリジナルの消失――死を意味するのと等しいらしい」
「八雲はそれを分かっていて、繰り返し肉体を入れ替えているんですか……」
八雲は5年前の爆破事件の時も、僕が初めて会った時も、既に何度もマイグレーションをして肉体を入れ替えている。
その行為は死を意味しているのにも関わらず、何の躊躇もなく繰り返せるなんて……どうかしているとしか思えない。
「頭のネジが何本か外れているような俺達の理解が到底及ばない連中が平気でそれをやってのける。だから、厄介なんだよ。そういう連中ほど、いとも簡単に罪を犯す」
死を意味することを分かっていない状態でやっている馬鹿もいるが、とマノ君は付け加えて僕に言う。
「そうなると、マイグレーションをする前の八雲と今の八雲は違うのかな? マイグレーションをする前の八雲だったら、こんなことはしなかったのかな?」
「何も違わねぇよ。意識の固有パターンは完璧にコピーされているんだ。コピーだろうが何だろうが、八雲は最初から八雲のままだ。無駄な邪推をするな」
「う、うん」
僕の八雲に対する考えは甘いとマノ君は指摘する。
「さて、俺に聞きたいことはそのくらいか? 何もないなら、俺はくさい飯の出る豚小屋にでも帰るぞ」
久しぶりの長話しに疲れたのか、佐伽羅さんは両手を高く上げて背中をゆっくりと反らす。
「お二人とも、よろしいですか?」
早乙女さんが一歩前に出て来て、僕達に確認をとる。
「俺は聞きたいことは大体聞けたからな……聞きたくないことも聞かされたが、もう用はない」
「そうですか。伊瀬さんはどうでしょうか?」
「ぼ、僕は、マノ君が良いならそれで……」
聞きたいことは無いと言ったら、それは嘘になる。
けど、僕は佐伽羅さんに聞こうと行動するまでには至らなかった。
「分かりました。恐らく今後、こういった機会は無いと思いますので、何か聞きたいことがあれば今のうちですからね」
「だから、もう無いですって。早乙女さんって、案外心配性なんですね」
マノ君が受け答えをしている間に、僕は佐伽羅さんがこちらをじっと見ていることに気づいた。
佐伽羅さんに何かを聞ける機会はもう無い……
早乙女さんの言葉が脳内でリフレインする。
そして、僕は佐伽羅さんと早乙女さんに後押しされるかのように、聞きたかったことを口にした。
「あ、あの!」
いきなり僕が大き目の声を出したせいで、マノ君と早乙女さんが驚いて僕を見る。
「なんだ?」
佐伽羅さんだけは、僕から目を離さずにいた。
「5年前の爆破事件の時、その場にいた全員が爆発に巻き込まれて亡くなってしまったんでしょうか? 本当に奇跡的にでも息があった人はいなかったのでしょうか?」
「そう聞いてくるってことは、お前は爆発で全員が死んだとは思っていないんだな?」
僕が何を聞いてくるのか分かっていたのか、佐伽羅さんは瞬時に答える。
「は、はい。佐伽羅さんが爆破事件のことを話した時に、爆発に巻き込まれて生きている確率は非常に低いと言っていましたよね? わざわざ『非常に』と言っていたことが少し気になったんです。本当は、まだ息があった人がいたんじゃないかって」
「なるほどな」
佐伽羅さんが僅かに表情を緩める。
「良いだろう。お前の質問に答えてやる。あの爆発の後、教室に生き残っていた人間は――」