「神ならどうにか八雲に勝てるだって? 何言ってんだアンタ? 人と会話する機会がなさ過ぎて頭おかしくなったのか?」
マノ君はイラ立ったように言う。
「おかしくなんかなってねぇよ。おかしくなれた方が楽だとは思うがな。ヤケになるくらい、頭は冴えてる」
実際、その通りであると思う。
そんな人が、頭がおかしくなっているなど、そっちの方がちゃんちゃらおかしい。
「あぁ、分かってるよ。そんなこと……だから、余計厄介なんだよ」
そして、それはマノ君自身も十分に理解していた。
ただ、マノ君が佐伽羅さんに頭がおかしくなったのではないかと思う気持ちもよく分かる。
八雲に対抗出来るのは神のような存在だけなどと言われれば、話を聞く気にもならなくなる。
しかし、あれだけ頭のキレる佐伽羅さんが言っているとなると言葉の重みが違ってくる。
本当にそうなのではないかと考え巡らせさせるだけの妙な説得力がある。
「乗るべき船も見分けられずに沈みゆく泥舟に乗り込むという愚行を犯した人間の直感を、そう当てにされても困るな」
「神とか言ってる奴のことを当てになんかしませんよ」
そう言ったマノ君の言葉と本心は
「あの作戦の数日後、ありもしない罪をどっかの誰かさんにでっち上げられて、今やこの様だ。権力なんてものに惑わされ、現実を見れずに楽観主義に陥った。これでは完全に負け組……正しくは勝ち組か……」
勝ち組?
負け組じゃなくて?
「あの〜、負け組で正しいのではないでしょうか?」
堪えきれずに僕は佐伽羅さんに聞いてみる。
「なんだお前、勉強不足だな」
返ってきたのは予想外にも僕が勉強不足だという批判だけだった。
もしかして、僕は今まで間違った解釈で負け組という言葉を使ってしまっていたのだろうか。
「伊瀬の解釈でも間違ってないぞ。むしろ、そっちの方が一般的だ。だが、本来の意味で言うなら、奴の方が合っている」
「そっちのガキは、少しは分かっているようだな。お前の言っている負け組や勝ち組の解釈は、勝負事に勝った人間、あるいは仕事や人生などで成功した人間ということだろう」
「そうですけど、本当は違うんですか?」
「それは本来とは真逆に等しい意味だ。元々は、先の大戦で日本がポツダム宣言を受諾したことをブラジルやハワイにいた在外日本人の一部が、敗戦という現実を受け入れられずに、日本が勝ったと信じた馬鹿共のことを『勝ち組』という。逆に、敗戦という現実と真摯に向き合い勝ち組を説得しようとしたのが『負け組』だ」
あの大臣に就いた俺はまさしく勝ち組だったわけだ、と佐伽羅さんは愚痴をこぼす。
「現実逃避をするだけなら、まだマシだろう。だが、勝ち組の中には戦争が終わっているにも関わらず、現地でテロ事件を起こす者まで現れた。挙句の果てに、負け組に対して非国民だのと叫んで、同じ日本人同士が殺し合いにまで発展したという。信じると言えば聞こえは良いが、要は行き過ぎた信仰。宗教と変わらない」
「で、アンタはその勝ち組の馬鹿共の1人として40人近くもの命を使い捨てたわけだ」
「……そういうことだ。弁明なんてものは一切する気は無い」
「安心しろ。弁明なんかしやがったら、俺が二度としゃべれないようにしてやる」
マノ君の凄みのある低い声が響く。
どうして、マノ君がイラ立っているように見えたのかがようやく分かった。
マノ君も僕と同じように作戦のために人の命を粗末にした佐伽羅さんに怒りを感じているんだ。
「そんなことしたら、お前らは俺から情報を得ることはもう出来なくなるわけだが良いのか?」
「悪いが、心配には及ばない。マイグレーションには相手の記憶を全て視ることが出来るという副産物がある。なんなら、今からやってやろうか?」
ガラス越しの佐伽羅さんに向かってマノ君がぐっと身を乗り出す。
「マノさん!」
「マノ君!」
僕と早乙女さんが止めようと瞬時に動く。
「冗談に決まってるだろ。こんなことでマイグレーションなんか使わねぇよ」
僕達の動きが最初から分かっていたかのようにマノ君はすぐに体を元の位置に戻す。
マイグレーションをする意思が無いということが分かるように大袈裟に両手を挙げながら。
「……そういう冗談は止めて頂けると助かります」
早乙女さんは半ば呆れたように言う。
「それは、すみませんでした」
そんな早乙女さんを意に介さず、マノ君は軽く返す。
「相手の記憶を全て視ることが出来るか……この5年でマイグレーションやマイグレーターに対してのリテラシーが随分上がったものだな」
興味深そうに佐伽羅さんが両手を前にして手を組む。
「5年前はこんな基礎的な情報も無かったのか?」
「そうだ。当時分かっていたのは、他者の体に入れ替わることと他者の意識を消滅させて脳死にさせるということだけだった」
そんな少ない情報の中で八雲を追い詰めた佐伽羅さんは本当にすごい人だと改めて僕は思った。
「他人と入れ替わっているわけだから、身近な人間は違和感に気付くと考えていたが……そうか、相手の記憶を全て視れるというのなら気付くわけもないか」
「そこまで無知な状況でよく……」
途中で言葉を止めたマノ君だったが気持ちは僕と同じようだ。
早乙女さんも黙ってはいるが感心するように聞いている。
「ところで、お前はマイグレーターなんだよな?」
佐伽羅さんがマノ君を指して聞く。
「あぁ」
「なら、身体的接触無しにマイグレーションは出来るのか?」
「出来る。と言っても、集中力的に1回が限度ですけどね」
「なんだ、
佐伽羅さんは期待外れであるかのように言った。