転校生として紹介された伊瀬祐介という人間を見た最初の俺の印象は争いごとが苦手そうな気弱な奴だった。
こんな奴が本当に六課でやっていけるのか疑わしかった。
体格もあまり良い方ではなく、背も170㎝あるかないかぐらいだった。
若干ある癖毛のせいで、なよなよとした感じがより一層強く感じられる。
課長が推薦したって聞いたから、どんな奴が来るんだろうと少し期待していたぶん拍子抜けだった。
だが、コイツと一緒に走っていて分かったことがある。
コイツは平均に比べて体力がないにもかかわらず、俺の走るスピードに付いて来た。
体力もないし、筋力もあるようには見えないし、マイグレーターでもない奴が僅かの間だけでもマイグレーターである俺のスピードに適応してきた。
さらに、状況の判断能力も高い。
俺が説明しなくても大体の事は把握してやがる。
俺の最初の伊瀬に対する認識は気弱そうな奴から少し変わった面白そうな奴に変化しつつあった。
課長が推薦するだけのことはあるかもしれない。
余計なことを考え過ぎたな。
今は、逃げた犯人の野郎をとっ捕まえて消すことに集中しねーとな。
俺は犯人にマイグレーションされた女から犯人が逃げたと教えられた方を追って走り続けていた。
それなりの人混みだが俺の身体能力を持ってすれば誰にもぶつからずにトップスピードを維持するのは容易だ。
マイグレーターに成りたての犯人よりも俺の方がよっぽど速い。
しかし、犯人の後ろ姿がそろそろ見えても良いはずなのだが一向に見える気配がない。
犯人からストーカー被害に遭っていた加藤美緒の方には警官が保護にしに行ってるはずだから問題無いだろうが、こんなことなら犯人の姿が見えた時点でマイグレーションをしとけば良かったな。
そしたら、犯人の野郎と楽しく追いかけっこなんて面倒くさいことをせずにすんだ。
とは思ったものの、相手は腐ってもマイグレーターだ。
いくら成り立てだと言っても、身体的接触無しにマイグレーターにマイグレーションを行って意識を刈り取るのにはかなりの集中力がいるため体力も大きく削られる。
マイグレーターはマイグレーターからのマイグレーションに対して一般の人間と違って抵抗力を持っている。
そのため確実にマイグレーションが成功する保証もないことから、とっ捕まえて犯人の頭を抑えた方が確度が高い。
身体的接触無しにマイグレーションを行って集中力と体力を削っても成功せず、犯人に逃げ切られるという最悪な事態は避けときたいしな。
あーだこーだと考えているうちに完全に犯人の姿を見失っていた。
俺はとうとう走っていた足を徐々に緩めて立ち止まり、辺りを見渡した。
「フー、本当にこっちに逃げたのか?」
少し乱れた呼吸を整えて俺は呟いた。
こうなったら、加藤美緒を保護したであろう警官と合流した方が良さそうだな。
犯人の目的はおそらく加藤美緒だ。
ならば、犯人の方から加藤美緒に接触してくる可能性は高いはずだ。
であれば、まだ犯人を捕まえる機会はある。
俺がそう思った矢先――遠くの方で人の悲鳴と群衆のざわめきが聞こえた。
「あっちか!」
俺は悲鳴とざわめきが聞こえた方へと再び走り出した。
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「何で僕という存在がありながら僕を裏切ったんだい? ううん、みおちゃんが僕を裏切るはずないよね。だって僕らは愛し合ってるんだから! 言葉を交わしたことも触れたこともなかったけど、それでも僕らは愛し合ってた! 僕らは運命なんだよ! 僕らこそが真実の愛なんだ! それなのに、あの男のせいで僕らは離れ離れになってしまった! みおちゃんはきっとあの男に脅迫されてたんだよね!? それとも騙されてたのかな? 可哀そうに。僕がもっとみおちゃんを守ってあげるべきだったね。怖かったよね。苦しかったよね。辛かったよね。大丈夫。君が味わった全ては僕も全て味わったから。あの男の体に入れ替わった時に全て味わったよ。みおちゃんが僕には決して見せなかったような顔も見たんだよ。みおちゃんのあの顔は僕だけのものだ! それをあの男は奪ったんだ! それだけじゃない! あの男はみおちゃんに触れた! みおちゃんのあらゆる所を全てだ! みおちゃんの美しい清らかな体はあの男に汚されてしまったんだ! 僕はすべて知ってる。みおちゃんが汚されてしまった時のことも。みおちゃんの肌の色や感触、触れる髪の滑らかさ、唇や胸の柔らかさ、乱れる息遣い、愛撫で濡れた恥部、みおちゃんの中の熱、全て僕は知ってる! あの男の記憶を通して、あの男の体を通して! みおちゃんはもう中まであの男に汚されてしまっている! だから、きれいにしないと。僕がみおちゃんをきれいにしてあげないと! そんな顔しないで。大丈夫だよ。みおちゃんはきれいなんだ! きれいなはずなんだ! きれいじゃないといけないんだ! だから汚れたみおちゃんを今、僕がきれいにしてあげるからね! 僕が君をきれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに、きれいに――」
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辺りは騒然としていた。
まるでぽっかりと穴が空いたように周りに人はいなかった。
後ろの方には大きな電光掲示板は騒然とは対照的に普段通りの広告の映像を流していた。
離れたところで人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っていた。
中には110番か119番に通報しながら走って逃げる者もいた。
多くの人が逃げる方向とは逆行しながら俺は人がいなくなった穴の中心に向かって走っていった。
中心には、仰向けで倒れているらしい女の足とその女の上に覆いかぶさるように跨った刃物を持った女の姿があった。
刃物を持った女、いや犯人が何やら叫んでいた。
「みおちゃんはきれいなんだ! きれいなはずなんだ! きれいじゃないといけないんだ! だから汚れたみおちゃんを今、僕がきれいにしてあげてるからね! 僕がみおちゃんをきれいに、きれいに、きれいに、きれいに――」
そんなことを叫んでいる犯人が、刃物を持った手を大きく振りかぶった。
俺は振りかぶった犯人の手を振り下ろさせないために全力で駆け寄り、犯人が持っている刃物を振り落とそうと思い切り手を伸ばした――