僕と早乙女さんは別室で諸々の書類を書いていた。
榊原大臣は他の仕事があるらしく、あの話の後に別れることとなった。
きっと忙しいだろうに榊原大臣はわざわざ僕のために時間を作ってくれていたようだった。
「確認しました。問題ありません。これで書類関係の手続きは以上になります。お疲れ様でした」
ようやく僕が書き終えた諸々の書類を早乙女さんは物凄いスピードで的確に確認してから言った。
その様子を見ていた僕は改めて早乙女さんは凄く仕事が出来る人だなと思ってしまった。
それに引き換え、僕はたくさんの書類を書いて疲れた体をほぐすように大きな伸びをしていた。
「すみません。お待たせさせてしまって」
「そんなことはありませんよ。伊瀬さんにとってはこういった書類は慣れない物で大変だったと思います」
早乙女さんはそう優しく僕をねぎらってくれた。
「ありがとうございます。でも、良かったんですか? 早乙女さんは榊原大臣の秘書さんなんですよね? その、僕なんかのために榊原大臣と別行動をとっても大丈夫なんですか? 秘書の人って付き切りのイメージがあるんですけど……」
「大丈夫ですよ。大臣なら私がお傍にいなくとも何も問題はありません」
僕の質問に早乙女さんはちょっとだけ微笑んでから言った。
不覚にも僕はそんな早乙女さんを少し可愛いと思ってしまった。
「そうなんですか。なら良かったです」
「いえ、こちらこそ心配して頂きありがとうございます。後の手続きはこちらで行いますのでご安心下さい。伊瀬さんには他にもいろいろとご足労おかけ致しますがよろしくお願い致します」
そうなのだ。
僕は「警視庁公安部第六課 突発性脳死現象対策室」の特別司法警察職員になるにあたって、やらなくてはいけない事が大きく分けて三つある。
一つ目は、特別司法警察職員になるための約三か月間の研修を受けること。
二つ目は、数日以内に政府が用意したマンションへの引っ越しをすること。
三つ目は、研修中は学校には行かず、研修が終わった後は指定された学校へと転校すること。
以上の三つだ。
「分かりました。少し気になったんですけど、どうして住居や学校を変える必要があるんですか? 家賃、光熱費、食費、学費などを全て政府が負担してくれるというのはとても有り難い事なんですけれど気になってしまって」
「そうですよね。いきなり引っ越しや転校をするように言われたら戸惑いますよね。まず、住居の方ですがこれは政府が直接管理している物になります。もちろん、政府が直接管理していることは公にはされていませんし、多くの住民は一般の方々です。しかし、ここには六課に所属している方や政府に協力するマイグレーターの方々が住まわれています。伊瀬さんにはここで監視の意味も込めて生活して頂きます」
「監視というのはマイグレーターの人達をですか?」
「はい。このマンションはマイグレーターを監視出来るようにあらゆる所に監視カメラが設置されています。そして、有事の際での対応が可能なように一定数の監視者が住民として住まわれています。伊瀬さんにはその監視者も兼ねて頂きたいのです」
そんなのマイグレーターにとっては監獄と変わりないじゃないか。
「そこに住んでいるマイグレーターの人達は政府に協力しているマイグレーターなんですよね? なのに、どうして監視なんかする必要があるんですか?」
「だからこそです。いくら協力しているからといって、それが本当に協力しているのかどうかは分かりません。そういった疑念を我々の監視下に置くことで、少しでも小さくしているんです」
「分かりました。そういうことでしたら喜んでお受けいたします」
少し疑ってしまって申し訳ないと思いながら僕は言った。
「ありがとうございます。次に、学校の方ですがこれも訳あって政府が直接管理しており、公にはなっていないため多くの生徒は一般の方々です。そして、ここには六課の方々が通われています」
「え!? 六課の人って僕と同じ高校生なんですか!?」
てっきり僕は自分以外の六課の人は全員社会人の大人だと思っていた。
「六課の方の全員が高校生というわけではないですが、比較的高校生の方が多いですね」
それはどこと比較しても同じなんじゃないかと思ったけれど、なんとなく僕は言わないでおいた。
「そうなんですね。まさか、僕と同じ高校生の人が六課にもいるなんて思わなくて驚いてしまいました」
「そうでしたか。伊瀬さんが編入する予定のクラスには六課に所属するマイグレーターの方が一人いますので、新しい学校についてはその方から教わってみるのも良いかもしれなせんね」
サラッと同じクラスにマイグレーターがいる事実を知らされた僕はまた驚いてしまったけれど、今日一日中驚き疲れて顔には出なかった。
「学校も監視のために転校する感じですか?」
「それもありますが、どちらかというと臨機応変な対応を求めている点の方が大きいですね。我々も皆さんの学業に出来るだけ支障が出ないように配慮はしているのですが、緊急の事案などでどうしても学業に支障をきたす場合があります。そういった時に成績や進級、進学に影響が出ないよう対応するためには政府直属で管理する必要があるのです」
たしかに、緊急の事態が起きた時が定期テスト中だったとしたらテストを中断しなくてはならない。
そのせいで成績に影響が出たり、留年になるのは非常に困ってしまう。
もしかしたら、勉強すらする時間が無いかもしれない。
そしたら進学だって出来ない。
そうならないために、事情を考慮して対応するために政府が管理しているみたいだ。
僕は全然そこまで考えが及んでいなかった。
「早乙女さん達はそこまで考えて下さっていたんですね。本当にありがとうございます」
「いえ、無理を言っているのは我々です。当然のことをしているまでなのでお気になさらず。そろそろ下に車が到着しているはずです。ご自宅までお送り致しますので、下に行く準備をお願いします」
早乙女さんは腕時計をチラリと見てそう言った。
「あ、了解です」
そう返事をして、僕は帰り支度を始めた
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下まで見送りますと言って一緒に来てくれた早乙女さんに連れられて外に出ると、行きに乗って来た車と渡会さんが待っていてくれていた。
僕が渡会さんに会釈をすると、渡会さんはどうぞと言うように後部座席のドアを開けてくれた。
「すみません、伊瀬さん。一つ言い忘れて事がありました。引っ越しの準備が終わりましたら私の方にご連絡下さい。すぐに引っ越しの手配を寄こしますので。連絡先は最初にお会いした際にお渡しした名刺の方に記載されています」
車に乗りかけた僕を早乙女さんは呼び止めて言った。
「分かりました。なるべく早くご連絡するようにしますね」
「助かります。本日はご足労頂きありがとうございました。また、これからどうぞよろしくお願い致します」
そう言った後に早乙女さんは綺麗なお辞儀をした。
「こちらこそ、ありがとうございました。お力になれるかどうかは分かりませんがよろしくお願いします」
そう言って、僕も早乙女さんに別れの挨拶をした。
早乙女さんに見送られて、僕は渡会さんの快適な車で自分の家へと帰った。
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「大臣、伊瀬さんが帰宅したのを確認しました」
「そうか。引っ越しが完了するまでは監視を続けてくれたまえ」
「了解致しました」
「引っ越しについては何か聞かれたかね?」
「はい。なぜ、引っ越しをする必要があるのかと」
「それで?」
「住民として暮らしているマイグレーターを監視するためだと答えました」
「良い答え方だね。さすがに、マイグレーションについて知った彼自身も監視の対象に入っていることを伝えるわけにはいかないからな」
「……あまり良い気分ではありませんね」
「すまないね。嫌な役を押し付けてしまったかな」
「いえ、そういうつもりで言ったわけでは……」
「別に構わないよ……汚い仕事を請け負うのも押し付けるのも私の仕事だからね――」