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第19話 その年の冬は、ひどく寒かった。

 その年の冬は、ひどく寒かった。


 暖房が無いとかそういうことではない。ちゃんとこの部屋にはヒーターもホットカーペットもある。実家に居た頃は炬燵を愛用していたけれど、あれはどうしてもそこから出る気を、立ち上がる気を失わせてしまう。

 それはまずい。一人暮らしなのだから、そんなことをしていたら、どんどん部屋がちらかってしまうだけだ。

 サラダは相変わらず週末時々来ては、食事したり泊まっていったりする。口から出る男の名はやっぱり時々変わるし、タイプも色々だった。

 でもさすがにその男達に共通するものは見えてくる。馬鹿馬鹿しいほど、自由気ままに生きてる連中らしい。そのせいかどうなのか、「付き合ってる」間柄をやめてからも、友達としてやっていたりするらしい。そのあたりがすごい、と私なんかは思わずには居られない。

 親密な関係を一つ作るのも私には一苦労だが、一度壊れたものを修復することはもっとできない。

 はっきり言って、全くできない。

 一度壊れたら、それっきりだ。

 だから関係を作るのに慎重になる。

 サラダと一緒に居て気楽なのは、彼女自身が突っ込んだ関係を作ろうとしていないからだった。


 相変わらず私は彼女の故郷の話はほとんど聞いたことがない。

 それでも彼女が来た時なんかは、寒いとは感じないものなのだが。

 たぶんそれは、私が少し疲れているからだろう。

 秋からこのかた、会社が結構忙しかった。私は総合商社の子会社の末端の事務員に過ぎないので、何がどうして今忙しいのか、いまいち把握できない。

 無論、ちゃんとこうしてこうなって、という道筋をたどって行けば、それなりに納得できるのだろうが、あいにくそこまで関心は無かった。

 私の仕事は、事務一般というか、まあ何でも屋である。

 経理事務ソフトに取り扱っている商品の個数を叩き込んだりもすれば、親会社に提出する書類の清書もするし、古典的なお茶くみコピー電話取りも当たり前だ。

 まあ別にその類の作業は嫌いではない。好きでもないが、作業自体は苦ではない。

 では何が苦なのか、と言えば。

 人間関係…… もさほどではない。まあこんな程度だろう、と思っている。

 いいひとも居れば首を傾げたくなる様なひともいる。女子社員は全部で五人と言ったところで、私は下から二番目、というところだ。

 ボス的存在の女性は、四十を少し越えているだろうか、結婚して、再就職したくちなのだが、おそろしくばりばりと仕事をこなしている。子供が居るというのに、毎日結構遅くまで「がんばって」いる。

 よくやるなあ、と思わずには居られない。

 これがバツイチか何かで、生活費も掛かってるし、ということでばりばりやるのなら納得は行くのだが、彼女にはダンナも居る。どうも親会社で勤めているらしい。彼女自身も親会社で以前は勤めていたらしい。ふうん、と私は思う。

 二番手の女性は、ボス的な彼女よりはもう少しあたりも柔らかで、仕事は真面目だが、余分に残業をすることはない。無論忙しい時期には、それこそ夜中まで残ることもあるようだが、それを日常とすることはない。あくまで特別な時期、と考えているようだった。№2的な位置にはあるが、年齢はまだ三十かそこらで、未婚である。

 三番手の女性は、二十代半ば、というところだろうか。仕事のスピードは速いのだが、協調性という奴が無いひとだった。だがそれは、そのひとのやっている作業自体が、周囲の仕事の流れとは別のところにあったので、仕方ないことだし、そういうゲリラ的な仕事が合っているひとなので、皆そんなものか、と思っているようだった。身なりなどあまり気遣わないようなひとなのだが、時々ぎょっとするような服を持ってきて、後で着替えるのよ、なんてことを言っていたことがある。どうも課外活動の方が好きなひとらしい。黒いひらひらした服だったあたり、もしかして、バンド好きのライヴハウス通いか? などと思うこともある。

 一番若い子は、私が以前ケーキを食べるために誘ったこともある。短大を卒業したばかりで、正直、この五人の中で一番化粧も上手く、服のセンスも、スタイルもいい。実際、会社の若い男達は、よく彼女に呑みに行こう、と誘っていたりする。だが実家から通っている関係上、その誘いは五回に一回くらいしか成功していないらしい。


 まあOL五人集まれば、というところだ。


 歳の関係もあって、私は一番若い子とよくお弁当を食べたりしている。彼女はいい子だ。格別話題が合うという訳ではないが、他愛ない話を合わせていると、それなりに心地よい。

 そして時々思う。何かすごく暖かい家庭だったんだなあ。

 母親は一緒に服を選んでも大丈夫なセンスをしているとか、成人式には親戚のおばさんが晴れ着を選んでくれたとか、お父さんが少し身体壊したことがあったけれど、もう大丈夫で嬉しい、とか。

 当たり前のことを、言っているのかもしれない。当たり前なのだろう、彼女にとっては。

 だが帰りが遅いとお父さんが怒るの、と言いつつ、本気で憎たらしいとは考えていない彼女を見ると、心の端っこが、きり、と痛む。どうしてそんな風に考えられないのだろう?

 無論もっと、親から与えられなかったひとはたくさん居るのだ。

 ボス的存在の女性は、上京するまでは田舎に居て、学費は自分で稼いだなどという話をしている。それに比べれば、短大まではちゃんと出してくれた自分の両親は寛大だ、と言えるのかもしれない。

 ただ時々思うのだ。どうして親に素直に感謝できるような気持ちに育ててくれなかったのだろう?

 記憶をたどれば、母親の愛情の籠もった場面は浮かんでくる。手作りのお菓子。オーブンが無かった頃には、ドーナツや蒸しケーキを作ってくれた。お誕生会。周囲の子のようにお菓子のパックをまとめ買いなんかしなかったけれど、わざわざ色々の大袋を自分で小分けにしてくれた。

 必要なお金はちゃんとくれた。どんな理由であれ、理由があれば。

 短大に私が通っていた頃、パートに出ていた。それが学費のためなのか、それ以外のためなのか、一言も口にはしなかったれど。

 なのに、それがどうしても、上手く彼女を愛するという感情に結びついてくれない。それがどういう感情なのか、よく判らないと言ってもいい。

 予想はつくのだ。彼女は彼女なりに、私を思っているのだが、それが私の期待するものではなかった。それだけなのだと思う。それだけのことなのだけど。

 どうしてそれに気付いてくれなかったのだろう、という気持ちが。

 ……そんな気持ちを、ついこの可愛らしい後輩OLちゃんを見ると、引き出されてしまうのだ。


 でもそれは致命傷ではない。

 そういうものではないのだ。

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