今だったら、想像はつく。
無論それが「どういうもの」なのか、身体で判る訳ではないから、想像に過ぎないのだが。
ただ、ギターを手にしてから、音を、作り出すようになってから、彼の表情が変わっていったのは確かだ。
彼はその「化け物」のことを、出て行く直前、こんな風に言っていた。
時々、そいつは不意に現れて、俺を揺さぶるんだ。頭を、気持ちを、身体を。俺の頭と言わず身体と言わず、全部がそれで埋め尽くされて、俺を食い尽くそうとして、食い尽くして、出て行こうとするんだ。嵐だよ。台風だよ。本当にいきなり、来るんだ。「それ」が来るのを、俺は止められない。来てしまったら、俺は俺の身体を上手くコントロールできない。だから俺は曲を作るんだ。俺の中で巣くうそいつを、形にして、出してやらないと、俺は俺の身体を開放することができない。
それはもう、どちらかというとビョーキの部類ではないか、と中三の私は思った。少なくとも、私にはそういう嵐は無い。想像もできなかった。
その頃彼はもう、自分でずいぶんたくさんの曲を作っていたはずだ。
どんな曲だったかは忘れた。まとまったものではない。曲の切れっ端とでも言うようなものだ。
そんな切り刻まれたようなものが、六畳の部屋に散らばったカセットやら、書き慣れ無そうな譜面とか、書き散らした歌詞もどきのメモとか、そんなものに形を為していた。
押し寄せるんだ。
彼はそう言った。
一つ鍵になるようなものが浮かぶと、もうそこからずるずるずるずると、その続きになるようなものが見えてくる。いいか美咲「見える」んだ。俺には見えてしまうんだ。聞こえてしまうんだ。そんな形の無いモノが、音の無いモノが。そこに無いモノが。そこに無いモノが、俺に形を作れ、って言ってくる。形にしろ、って命令する。言葉も無しに命令する。身体に、頭に、知識に、全部に命令するんだ。俺はそれに逆らえない。だから音を出す。言葉を引っぱり出す。そこに俺が見えるものを、聞こえるものを、そのまま形にして引っぱり出すんだ。お前はどうやって作ってるんだ、と俺に時々聞いたけれど、俺は別に作ってる訳じゃない。俺はただ聞こえてくるだけなんだ。受け取ってるだけなのかもしれない。本当は俺はただ受け取って、判りやすい記号に変換しているだけなのかもしれない。だけど確かに俺の中には、その音が見えて聞こえて、それは確かに在るんだ。それだけは間違い無いんだ。
三年間で「化け物」は「降りてきた音」に変わったけれど、やっぱり私には理解できなかった。
私にとって音は聞こえてくるものでしかない。ましてや、聞こえもしない音が降ってくるなんていう事態は全く想像ができない。
そしてきっと、これからも理解はできないだろう。
ただ、彼が「そういう人間」だということは、理解したのだ。理解しなくては、ならなかったのだ。私が彼とこの先もきょうだいである以上、彼が私には理解できない類の人間である、ということを。
私と彼は、確かに似ている点もある。だけど、この点だけは、絶望的に異なっているのだ。
彼にしてみれば、私は「そういうもの」と言ってくれるだけ、「そんなはずはない」と主張する両親よりはましなのだそうだ。
だって仕方が無い。
そう考えないことには、私は私をも疑わなくてはならなくなる。私の中にも彼のような要素が、因子があるのかもしれない、と思うと気が重くなる。私は私だ。誰から生まれようが、誰と血がつながっていようが私だ。
彼と顔を合わせるたび、私は自分自身にそれをいちいち確認しなくてはならない。疲れる。疲れた。
だから兄貴が、卒業してすぐに家を飛び出した時、私はほっとしたものだった。
一体どうして、という疑問の前に、まず安堵したのだ。
ああこれで静かな日々に戻れる。
だが静かな日々など、いったいいつのことだったのか、高校に入ったばかりの私は既に忘れていた。
それから二年間、私は一人っ子状態だった。
少なくとも私の中では。その状態を満喫していたと言ってもいい。
彼が居なくなった家は広かった。というより広々としていた。
彼の消えた六畳の部屋を占領しようとは思わなかったが、残していったものを勝手に使うのはためらわなかった。
それが違うことに気付かされたのは、進路を決める時だった。
私は自分が四年制の大学に行くものと、行けるものと思っていたのだ。成績は充分以上だったし、担任も周囲もそれが当然だと思っていた。
ところが、だ。
何を馬鹿なことを、という顔を両親はした。四年制に行かせる程の余裕は無い、という意味の言葉を告げた。