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第9話 何となく、いいなあ、と思った。

 終演後、私は再び楽屋と通じる扉から手招きするオズさんに呼ばれた。

 その時もまた視線を感じたので、ちら、と振り向くと、汗びっしょりになった女の子達が、こちらを見ていた。見ながら、ぼそぼそ、と何か友達同士で喋っていた。


 ああ、そうか。


 羨望の視線、という奴だ。彼女達はどんなに好きでも、オズさんに手招きはされないだろう。私は別にファンでも何でもないのに。後ろで冷静に様子を見ていただけだというのに。


 どうしてこっちはこんなに好きなのに。


 そんな気持ちが、ちょっとした視線の中に含まれている。努力ではどうにもならないもどかしさ。私は良く知っているのだけど。

 でもそんなことにいちいち同情してはいられないので、そのままさっさと楽屋へつながる扉をくぐり抜けた。

 楽屋の前まで行くと、小柄な女の子がぺこり、と私に向かって軽く頭を下げた。場違いだなあ、と私は思った。

 普段着も普段着、どちらかというとホームウエアという奴に近い恰好で、彼女は立っていた。コットンのTシャツに、チェックのジャンパースカート。素足にサンダル。ナチュラルメイクにセミロングの髪。

 何処の若奥さんだ、という恰好が、逆にこの場所では生々しかった。誰の彼女だろう、と私はすぐに考えついた。


「あ、のよりちゃん、紹介するよ。こちら美咲ちゃん。ケンショーの妹さん」

「ああ!」


 そう言えば、と言いたそうに「のより」さんは胸の前で手を叩いた。


「美人だからそうじゃないか、って思ってたんです」


 私はそれを聞いて思わず顔を歪めた。美人と言われるのは嬉しいが、何でそこで「妹」が浮かぶのだ、と。

 とりあえず初めまして、とか何とか挨拶をしておくが、どう話を続けていいものか、私は迷った。するとさすがオズさんだ。すぐに助け船を出してくれた。


「あ、美咲ちゃん、こっちはのよりちゃん。ウチのヴォーカルのハコザキの彼女」

「彼女って、やだあ」

「だってそうでしょ」

「くされ縁って言うんですよお」


 にこやかに彼女は言いながら、オズさんの背中をはたく。私はそんな彼女の声を聞きながら、あれ、と思う。何か何処かで聞いたことがあるような。


「ステージ、見てましたよ。ハコザキさん、人気ありますねー」


 あたりさわりの無いことを言っておく。


「ちょっと私としては困りものですけどねえ」


 ふふ、と彼女は笑う。


「困りもの?」

「だって、やっぱり面白くないじゃないですか、『彼女』としては」

「何だよ、さっきはくされ縁って言ってたじゃないか」

「言葉の綾ですよお」


 再びばん、と彼女はオズさんの背をはたく。


「まーさーか、あいつがバンドのヴォーカルなんかするって思ってなかったんですもの」

「そういうものですか?」


 そうよ、とのよりさんはうなづいた。


「二ヶ月くらい前に、いきなり『俺ヴォーカルやらないかって誘われちゃった』ですもん。私どう言ったものかっと思っちゃったわ」


 はあ、と私はうなづいた。そういうものか。だとしたら、彼のあの「普通の男の子」ぶりは実によく判るというものだ。


 だがそれと同時に、あの一瞬は。


 のよりさんは、それを知っているのだろうか、とその時私は思った。


「のよりさんは、ステージを見たことは?」


 彼女は首を横に振った。


「何か、あのフロアの雰囲気が駄目なのよね。だから終わるまで引っ込んでいるんだけど。来ない時もあるわ」

「薄情なんだよなー」


 いつの間にか、「普通の男の子」がそこには居た。のよりさんの背後からそっと忍び寄ると、声と同時に彼女を後ろから抱きしめる。彼女はそんな彼の手をぺち、とはたくと、何をやってるんだか、とつぶやいた。


「ほら薄情だよなー」


 そう言いつつ手を離さないこのひとは、彼女と頭半分と変わらない身長しかなかった。下手すると私より小さいのではないか、とまで思えたくらいだ。

 甘えたがりのようで、幾ら彼女につれなくされようが、べたべたとくっついたままだった。彼女もいつものことだ、とつれないままにも、別に振り解こうとはしなかった。


 何となく、いいなあ、と思った。


 何故そう思ったのか、は判らない。私自身にそういうことは滅多に無かったからかもしれない。

 付き合っていた彼は、私に向かって甘えるようなことはなかった。私自身もそういうことはなかった。最初の付き合いが「友達」だったせいかもしれない。私が甘い関係を嫌いなのだ、と彼は思っていたのかもしれない。今になってみては判らない。


 ―――望んでいたのだろうか?

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