ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん。
忙しなくチャイムが鳴る。
生成と淡いイエローのストライプのカーテンの隙間から少しだけ窓を開けて見ると、通路の蛍光灯の光の下に、短い髪が飛び跳ねていた。
「遅ーい」
扉を開けると、あははは、と目を細めて彼女は私を見る。遅くはないわよ、と私はこの年下に抗議する。
「あんたが速すぎるの、サラダ。さっきそっちに電話したばかりじゃない」
「隣だもん。すぐじゃん。すぐ来たいじゃん。ミサキさんのごはん美味しいんだもん。好きだもん」
言いながら、彼女はもうサンダルを脱いでる。白とクリーム色の市松模様のタイルの上に、無造作なオレンジの花が咲く。
カラフルなオレンジだが、かかとは高くない。ぺたんこ。土台と同じ色の花が真ん中にどん、とついている。一つ間違えると悪趣味なのだけど、彼女に履かれている限り、そういう気はしない。
私はしゃがみこむと、そのサンダルを揃えた。何処で見つけてきたのだろう、といつも思う。春先に履くものではないけど、確かバイトに行くという彼女の足にも花は咲いていた。
「ん~ 濃い香り~ 今日はイタリアンだよね?」
「まーね。ああ、クロス広げておいて」
あいよっ、と威勢良く彼女は居間にしている六畳の方へと、勝手知ったる他人の家、という調子で入り込む。うちは1DKだ。少し古いので、都心でも結構安く借りることができている。
ちなみに隣の彼女の部屋はワンルームという奴で、うちより少し小さい分だけ、少し家賃が安いらしい。フリーターの彼女はそれ以上は出せないらしい。一人暮らしの場合、家賃は給料の1/3というのが理想らしいが、本当に1/3なのか彼女に関しては判らない。
私は一応会社員という奴をやっているので、たとえそれがまだ入社一年目のペーペーだとしても、ボーナスはあるし、安定した経済状態と言えよう。もっとも、入社一年目ということは、一人暮らしも一年目だ、ということなのだが、安定した家計という訳ではないのだが。
入ってすぐの扉を開けるとキッチンがある。6畳分あるのだから、結構恵まれていると思う。古い分だけ、設備にはやや難があったけれど、そこは地道に改良を重ねていた。
何せ、やっと持てた「自分のキッチン」なのだ。そうせずに居られるだろうか。いや居られない(反語)。
実家のキッチンの設備が悪いという訳ではないが、あそこは母親の使いやすいように出来ているものであって、私のためのものではない。
普段の食事はキッチンの作業台を兼ねている白のタイル張りの小さなワゴンの上でしている。白木の小さな椅子は、最初の給料で買ったものだ。
東南の角部屋で、ちょうど台所には朝の日射しが入る。朝の日射しの中での朝食、というのは結構私のささやかな夢ではあった。
だったらそれに似合ったテーブルを。でも余分な資金は無いから、とりあえず持ってきていたワゴンの上にベニヤ板を張って、その上にタイルを貼った。大人しい色が、朝の光の中では一番綺麗に見える。
だけど、人が来た時には別だ。
小さな座卓を広げて、その上に布を敷く。何だっていい。
彼女はやはり勝手にクロスを入れてある引き出しを開けると、その中から、赤白のチェックの一枚を取り出した。
ぱさっと広げると、黒い安物の座卓が、いきなり鮮やかになる。実家を出る時に持ってきた座卓は、安いだけが取り柄のものだった。重いものを乗せると足がきしむ。
「赤に赤ってのも何かなあ」
「いいじゃん、暖かそうで」
そう言いながら、私は大皿を一つ彼女に渡す。
アンティパストはにんじんの蒸し煮。簡単な割には、栄養もありそうだし。
だいたいイタリアンと言っても、難しく考えてはいけない。オリーブ油とにんにくを常備しておけば、「それらしい」ものは作ることができるのだ。ちなみに中華をするにはごま油としょうがだ。オイスターソースもあればなお上等だ。
これだって、要は薄い輪切りにしたにんじんを、半割にんにくやローリエと一緒に、オリーブ油で炒めただけだ。料理の本ではバターも入れろ、とあったけれど、ちょっとくどいかな、という感じもあったので、オリーブ油だけ。そのかわり少し塩をきかせた。
柔らかくなるまで蒸し煮にしたにんじんは、特有の青臭さも消えて、甘味と塩味がいいバランスになってくれている。私はあんまりにんじんは好きではなかったのだが、一人で暮らし初めてから、それなりに自分の好きな味を見つけることができたらしい。
「鍋行くよ」
「はいよ」
大きな鍋を真ん中に置いて、まだ蓋を開けないでね、と彼女に付け加える。まだなのお、と彼女はすねる。
「もう一品あるんだから」
「やー、本格的い」
「やる時にはやるのよ」
と言っても、実はそう難しいものを作っている訳ではない。
鍋の中にはリゾットが入っている。かぼちゃのリゾットだ。ころころの角切りにしたかぼちゃを、炒めたハムや玉ねぎと一緒にスープで煮て、冷やご飯を入れた。本当は米から炊くのかもしれないが…そのあたりはちと省略。
パスタにしようか、とも思ったのだけど、今朝炊きすぎたごはんがあったので、それを使わない手はないのだ。一人暮らしは、どうしても無駄が出やすい。でも無駄は出したくない。上手い活用法があるならしない手は無い。
実はかぼちゃにしたところで、煮物にするにはいまいち美味しくないものだったりする。かぼちゃというものは、買って切ってみるまで判らない、というところがある。今回は、切った瞬間のさく、という感触で「失敗した!」と思った。案の定、少しだけ炒め物に使った時、歯ごたえといい、味といい、その素っ気なさに肩をすくめたものだ。
でも色は綺麗だ。味を足せばそのあたりはカバーできる。という訳でリゾットなのだ。甘味が薄いだけで、全く無い訳ではないし、リゾットは無闇に甘くても仕方がない。
「あ、綺麗じゃん」
最後の皿を置くと彼女はすぐに反応した。アンティパストが真っ赤だから、という訳ではないが、皿の上にはマグロと玉ねぎのソテー。マッシュルームも一緒に炒めて、最後にゆで卵と青しそを散らした。卵の黄色としその青がよく映えて綺麗。
かぼちゃリゾットも黄色なので、青みが足りないかな、という感じもするけど、まあいい。らしければいいのだ。思いこめばイタリアン。
「ここまできたら、ドルチェもあり?」
「ジェラートとティラミスだったらどっちがいい?」
ティラミス、と彼女は答えた。OKティラミスね、と私は答えた。ジェラートは冷凍庫に、ティラミスは冷蔵庫に入っていた。と言っても、どっちもコンビニで買ったものだ。つい買い込んでしまったが、まだ春先、という季節がら、なかなか手をつけずにいた。無論ヒーターが効いているから、冬でもアイスクリームは美味しいと言えば美味しいのだが、「冬に」「一人で」アイスというのは何となく悲しい。
それがたとえ、真夏の好物であるジェラートとしても、イタめし屋で必ず頼むティラミスだったとしても、だ。
いただきます、と私達は座り込んで手を合わせた。