服を手にしたまま、再び外に出ると、雲は尚更厚くなり、低く立ちこめていた。
再びふらふら、と辺りをさまよう。思った以上に、滑走路はさっぱりとしていた。あの当時の戦闘の跡は何処にも無い。風が破片を吹き飛ばし、建物の端へと押しのけたのだろうか。
長い、長い一本道。白いコンクリートの道が、延々続いている。
彼はその真ん中に立って、ぐるりと辺りを見渡す。
ここから、飛び立った。そして。
ここに残ったGを、見ていたんだ。
くっ、とキムは手にしていた服を強く抱きしめる。
待っているのは、盟友だった。旧友だった。そうありたいと思っていた相手だった。
それをどういう感情、というのか彼にはよく判らない。Mに対する絶対的な敬愛とは確実に違う。
一緒に居ると、楽しかった。仕事の上でしか無いのだが、それ以外の時でも、何かと理由をつけて、彼のところへ行っていた気がする。
何故だろう。その理由を考えたことが無い訳ではない。しかしそのたびに、明確な理由が見いだせない。
好き? それは間違いない。嫌いか好きかの二者択一を問われれば、シンプルな彼の頭は好き、と答えを弾き出す。迷いは無い。
じゃあそれが、どんな好きであるのか、と聞かれたら、もう彼にはお手上げだった。自分の知る、どんなパターンにも当てはまらない。友人? 恋人? 考えれば考えるだけ、混乱する。
だから彼は思考停止する。混乱は避けたい。
コルネル中佐に関しては、自分の気持ちは単純だった。あれは好き。ただ好き。それがどういう位置づけであっても構わない、と思う。
それが、いつか自分を殺してくれる、という約束のもとの絶対的な信頼から生じたものであることなど、彼は知らないし、気付こうともしない。
そんなことはどうでもいいのだ。
だがGの場合は違う。何かしら理由をつけたい自分が、そこに居るのだ。
首領。
彼は内心つぶやく。彼なら、この訳の分からない感覚に、名前をつけてくれるだろうか。
教えて欲しい。
空を見上げる。
どうしてそうしたのか、彼にも判らない。ただ、誘われる様に、視線が、空を向いていた。
ぽつん。
頬に、冷たいものが当たる。所どころに光をはらんだ雲の間から、大きな滴が落ちてくる。ぽつん、ぽつん。
頬に、髪に、額に、次第にその滴は数を増す。
音を立てて、雨は、次第に勢いを増す。
ざあああああああああ。
彼は、目を大きく見開く。
頬を、髪を、額を流れていく。
…ああそうか。
ここが、故郷なんだ。
どうして忘れていたのだろう。彼は思う。
流れて行く水が、伝えてくる。
お帰り、と彼に伝えてくる。何を苦しんでいるの、と伝えてくる。
苦しんではいないよ、と彼は声にならない声でつぶやく。ただ、胸が痛いんだ。
そうなんだね、と彼らはキムに伝えてくる。
流れて行く水が、奇妙に暖かい。彼は着ていたコートを脱いだ。手を広げる。そのままコンクリートの道に仰向けになる。
それでいいんだよ、と彼らは言う。何が、ではない。何を、でもない。ただそれだけを。
ざあああああああああ。
全身を、雨が濡らしていく。暖かい。
よく判らない。
けど、それでいいんだろ?
*
「やあ」
目を開けると、そこには待ち人が立っていた。雨は止んでいた。
キムは大の字に寝そべったまま、自分の体内時計を確かめる。眠っていた訳ではないが、ある程度の時間は経っていたらしい。
だってもう、身体が乾いている。空は晴れている。
青い、青い空。
待ち人は、頭の方に立ち、自分を見下ろしている。
「よくここだと判ったね」
「だって、お前と最初に会ったのはここだろ?」
そうだね、とキムは身体をゆっくりと起こす。ぱたぱた、と服についたほこりを払う。もう本当にすっかり乾いてしまっている。あの雨が嘘の様に。
「それにしても、よく来たね」
「お前が呼ぶからね」
いつも、自分を追ってきたのに。Gは思う。いつもそうだった。逃げ回っているのは自分で、探して、突き止めるのはこの連絡員だった。
「でもそれがどういう意味なのか、知ってるだろ?」
「ああ」
Gはうなづく。ずっと自分に言っていたことだ。MMを――― 盟主Mを裏切ったなら、連絡員は自分を殺す、と。
本気にしていなかった訳ではない。ただ、心の何処かでそうなってほしくはない、と思っていた。
何故なら―――
「お前が俺を殺したい、とは思えなかった」
「どの面下げてそんなことを言うよ」
キムは眉をぐっと寄せる。
「だけど、本当だろう?」
息を止める。
「お前は俺を、殺したくはなかったんだろう?」
「うるさい」
キムは脱ぎ捨てていたコートを拾う。そのポケットの中から、二つのレーザーソードを取り出した。
「取れよ」
一つをGに放る。ぱし、と音を立てて、Gはそれを受け取った。
「…最初に会った時、を覚えているか?」
「俺は、…レーザーソードを持ったお前にさらわれた」
「そう」
ぴ、とボタンを押す。1m程の薄青の光が飛び出した。
「あの時お前は急な攻撃に何もできなかったけど… 時々思うよ。俺とあの時お前が本気でやりあっていたら、どうだったろう、って」
「キム」
「構えろよ。そして俺と立ち会え。俺はお前を殺さなくてはならない。だから俺と戦えよ。お前がお前の決めたところへ行きたいなら、俺を倒せよ」
「本気か」
「本気だ」
Gもまた、スイッチを押す。充分エネルギーを補充してあるらしいレーザーソードは、その光も鮮やかだ。
相手が走り込んでくる。
受け止める。
レーザーソードは実体があるものではない。だから、手に受ける衝撃は、そのまま、エネルギーとエネルギーのぶつかり合いである。
手に重い衝撃が走る。
この連絡員とこんな風に立ち会ったのは初めてだったが、この重さだけでも、相手の腕が相当なものであることが判る。
数回、ソードをぶつけあった後、Gはその場から大きく飛び退いた。
「逃げるのかよ!」
キムはその背中を追った。逃げる訳ではない。Gは場所を変えたかった。この場所は、ちょっとした高さの違う場所が多すぎる。
背の半分になったコンクリートの塀、割れた窓、さして高くは無い建物。
そんな中途半端な高さだったら、このレプリカントは軽く飛び越える。攻撃が三次元になる。
彼は死ぬ訳にはいかなかった。無論自分がまず死ぬことは無いことは知っている。ただ、それは相手が自分の正体を知らない場合だった。
キムは自分の正体を知っている。天使種がどうすれば息の根を止めるのか知っている。その昔、最初に会った時、だからこそ自分を含めた小隊を全滅させることができたのだ。
それでも彼は死ぬ訳にはいかなかった。
俺には待ってる人達が居るんだ。
長い時間をかけて、自分という存在を待って居た人達のためにも。
ひどく個人的に、自分を信じて待って組織を作り上げてきた者達のためにも。
それがこのもと盟友の命を奪うことになっても――― それは仕方がないことだ、と。
言い聞かせようと、していた。
こんな手段で、決着をつけたくは無かった。Gにとっても、この惑星は大きな意味がある場所だった。生まれた惑星の呪縛をその身体で知り、長い時間の旅の出発点となった場所。
彼もまた、無意識にこの場所を避けていた。
そのまま彼は昔は生産がされていただろう建物の中へと飛び込む。中を細かく覚えている訳ではない。ただ、時間は稼げる、と思った。
相手は時間制限がある。
それはあの林檎爆弾を持った少女人形と戦った時に、思い知らされたことだった。
それを逆手に取ることはしたくはなかった。だが一番有効な方法であることも、相手が天使種の有効な殺し方を知っているのと同様、彼はよく知っていたのだ。
階段を駈け上る。確か再会した最初の事件の時には、自分は長い階段を駆け下りていた。腕にはデータバンクの少女人形を抱えて。あれは自分が惑星「泡」に行かせたものだった。だから結局自分の言葉にしか従わなかった。
知っていた? 知っていたろう。その時から「今の」彼がその辺りの時間でうろうろと根回しをしていたことは、知っていたはずだ。
終わりはいつか来ると、判っていたのだ。
繰り返される感覚。あの旧友とも、そんな気分はあった。終わりがいつか来る、関係。
それを引き延ばし引き延ばししていた。
敵になっても、何処かでまた生きていてくれれば。そんな気持ちが、心の片隅にあった。
上へ、と彼は走る。
その途中に、トラップが幾つか仕掛けてある。新しいものだ。そのたび彼はそれを破壊する。手持ちの武器はレーザーソードだけではない。
目的は、正々堂々と戦うことではない。生き残ることだ。
服のボタンを引きちぎり、途中の廊下に煙幕を張る。場合によっては天井を破壊する。
そんなことをしながら、上へ上へ、と彼は足を進めていった。
最後の踊り場は、大きな窓が天井まで続いている。ここで終わりか、と彼はつぶやく。
階段の突き当たりまで登り詰めると、彼はさびついた扉を力を入れて押し開けた。ぎい、と大きな音がする。床にへばりついていたさびが、べりべりとはがれ落ちる。
開けた途端に、青い、抜ける様な色の空が、目の前に広がっていた。
段差を降りると、下よりは少し強い風が、軽く髪を揺らす。汗ばんでいた額が、首筋が少し涼しい。
「…遅かったよな」
はっとして彼は上を向く。扉の上の、箱の様な階段室の上に、キムは既に待っていた。
「お前が考えそうなことは、判ってるよ。俺に時間稼ぎをしようったって、無駄だよ」
「どうやって…」
キムは黙って屋上のへりを指さした。伝ってきたらしいロープがそこにはあった。そしてその都度、あちこちに引っかけたらしい金具も。
「あれからどれだけの時間が経ってると思ってる?」
Gは苦笑した。
「全くもって、俺は甘いらしいな」
「そうだよ。お前は甘いんだ」
そう言葉を投げると、キムはぽん、と腰掛けていた場所から飛び降りた。コンクリートの上に足を下ろすその瞬間、長い髪がざっと揺れた。
向き直る。キムはポケットにしまい直していたレーザーソードを手に取る。
「どうしても、そうしなくちゃならないのか?」
我ながら未練がましいな、と思いながらGは問いかける。時間稼ぎではない。本心である。
「言うな!」
キムはソードのボタンを押す。勢い良く、光が手元から伸びる。本気だ。
だったら、どうしてそんな顔をしている?
唇を噛みしめ、両手で強く、ソードを握っている?
「それでも」
Gはつぶやく。
「そうしなくちゃならないのか?」
「お前が今までの行為を全て精算して、Mの元に帰順するというなら考えてもいい」
「それはできない」
即答する。それだけは、できない。
本当の意味を、キムは知らない。自分がMにとって、どんな存在であるか、など。それは言うべきことではないのだ。
Gはソードのスイッチを入れる。
息を呑む。その呼吸は同時だった。
光が触れ合う。衝撃が走る。相手の力に押され、押しつつ、位置を次第に変えて行く。
何も考えず、目の前の相手の動きにだけ、目が行く。神経が集中する。
それが実体を持った剣だったら、そこには果てしなく細かい音が鳴り響いたことだろう。だが彼らの剣は光だった。音はしない。ただそこにあるのは、重みを持った「力」だけだった。
歯を食いしばり、Gは相手の加えてくる力に精一杯の抵抗をする。力では勝てない。
エネルギーが切れるまで、という時間制限はあるだろう。しかし瞬発的な力の強さでは、生身である自分の方が決定的に不利なのだ。
自分は、負ける訳にはいかない。死ぬ訳にはいかないのだ。
Gは釣り合っていた力を、ほんの僅か、左に逸らした。あ、と声を立てて、キムはソードをすべらせた。その隙をついて、Gは相手の左腕に斬りつけた。
叫び声一つ、無かった。
服が裂け、腕の皮膚が裂け―――
中のケーブルが、顔をのぞかせる。陰になった部分に、小さな火花が、見える。
キムはGを真っ直ぐに見据えた。
だらん、と下ろした左の腕を無視し、右の腕を大きく振り回した。そこには表情は無かった。
強い力が、Gを圧していく。圧されている、とGは思う。足が、次第に後ろへと、引いていくのが判る。
このままでは。心臓が危機を訴える。
ひゅう、と首筋を涼しい風が通る。はっ、と気付くと、すぐ近くがこの屋上の突き当たりだった。
この屋上には柵が無い。知っていたはずだった。
ほんの少し、視線を下にやる。
その隙をついて。
Gはその瞬間、ソードを捨てていた。
光が、落ちて行く。レプリカントの瞳は、その光に誘われた。
ふっ。
身体が、宙に舞う。
何も考えなかった。
Gはそれを見た瞬間、コンクリートの枠を、蹴っていた。
そしてその手を、取った。
世界が、暗転する。
それで、行けるのだ、と彼は思った。
思ったのに―――
…
何だここは。
暗転した世界が、いつまで経っても、次の光が見えない。
いや、それだけではない。足元の感覚が無い。大気の感覚が無い。目に見える何か、が無い。
見えるのは。
その手を掴んだ、キムの姿だけだった。
自分と、相手の姿だけが実体だった。実体に見えた。
その他は。闇と言えば闇だし、何も無いと言えば無い。本当に自分が何かを見ているのだろうか、呼吸をしているのだろうか。足元は。
手を掴んだままのキムは、呆然として、周囲を見渡している。何だここは、と口が言葉を形づくる。
だがその言葉は伝わって来ない。
音がしない。
大気の振動が無い。
振動は無いのに。
それでも生きてる。
指を伸ばす。
首を回す。
そんな身体の中から伝わってくる感覚は生きている。俺は死んでいない。
なのに。
どうして自分はここに居るのだろう?
飛び降りた瞬間、安全な所に、と願った。
自分の中の、もっとも頼れる部分に、そう命じた。命令は実行されるはずだった。
はずなのに。
つないだ手を重心にする様にして、キムはぐっと身体を持ち上げる。何だここは、と唇が動く。組織の人間の会話法を彼は思い出す。唇の動きを読むのだ。わからない、とGは答えた。
俺はお前と一緒に、安全な所に飛びたい、と願っただけだ。Gはそう唇を動かす。相手の手に込められた力が強くなる。
何故。
相手の唇が動く。
何故、そんなことをするんだ。
判らない、とGは首を横に振る。気がついたら、そうしていたのだ、と。
身体の中で危険信号が鳴る。雷鳴の様に、ぎらりとした光の印象を伴う。
―――手を離せ。それは異分子だ。
何だって? 彼は自分の中に問いかける。異分子?
それ以上の答えは無い。異分子。そう言えば。
どんな場所であっても、彼はいつも、一人で移動してきた。確かに所持していたものは自分についてきた。
だがそれは、自分に属するものだ。
この手の先の、レプリカントは、自分ではない。自分に属するものでもない。
だから、なのか?
俺は、こいつを連れては、元の次元には戻れないとでも、言うのか?
どうすれば、いい。彼は自分自身に問いかける。答えは明確だ。自分が助かりたかったら、手を離せ。二人が助かる道は、無いのだ。
だけど。
Gはためらう。何か道は無いのか。二人とも、生き延びることができる方法は。
見つからない。果たしてこの空間で、このまま生き続けていられるか、という保証もない。そもそもここに時間があるのか、も判らない。
それでは。
ふっ、と相手の手が頬に触れる感触で、Gは我に返った。どうしたんだよ、とその唇が動く。何と答えていいのか、判らなかった。
生きなくちゃならない。いや、それ以上に生きたい。だけど、目の前のこのレプリカントを死なせたくないのだ。
Mに対する気持ちとも、seraphの構成員達に対する気持ちとも違う。敵に回ろうが、この先ずっと会えることが無かろうが、とにかく、この相手に、生きていて欲しいのだ。
泣くなよ、と相手の唇が動く。
泣いてない、とGは首を横に振る。
頬が濡れている様な気がする。だけどそれは涙ではない。ないはずだ。
嘘、と相手は笑顔を作る。泣きそうな顔で、笑う。
唇が、動く。
お前は、生きろよ。
とん、と両手が肩を押した。
はっ、とGは手を伸ばした。
しかし―――
沈んで行く。
次の瞬間、世界が光に包まれた。
*
!
光が目に突き刺さる!
手を伸ばしたままの姿勢で、地面に膝をついていることに気付いたのはその次だった。
暖かくは無い、大地がそこにあった。元の場所だ。太陽の位置がまるで変わっていない。マレエフの、自分が飛び降りた建物の、ちょうど真下だった。
空を見上げる。辺りを見渡す。誰も居ない。
誰も居ない。
居ない―――
大地に突っ伏せて、彼は子供の様に泣いた。
長い間、泣き続けた。