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第33話 通知

「通信?」


 ええ、と彼の側近はうなづいた。

 まだ窓の外は暗い。昼も夜も長いこのミントでは夜が明ける、朝時間までにはもう少しあった。

 それでも灯りをともして人々は、朝の活動に入ろうとしている。時期によっては、夜が明けたら食事が出来ない者も居るのがこの土地なのだ。


「我々の通信回線には結構なガードがあるんだけど」


 イェ・ホウはそう言いながら、鮮やかな藍色のポットから、白い、とろりとした液体をポットと同じ色のジョッキに注ぐ。


「俺にもちょうだい」


と床に広げられた厚手の敷物の上で寝そべったイアサムが言う。夜時間のせいなのか、その瞳はひどく大きく感じられる。

 ちょっと待て、と言ってイェ・ホウは初めに注いだジョッキをGに手渡す。仕方ないの、とイアサムは肩をすくめる。


「発信する方は、結構強い電波なんだけど、受信の方はまず見つからない様に、発信源を曖昧にしているはずなんだよな」


 都市警察に勤務しているはずの青年も、足を投げ出して壁にもたれている。

 狭くは無いが、さほど大きい訳でもない部屋で、四人の男が思い思いの恰好でくつろいでいた。

 少なくとも、傍目にはそう見えた。


「…で、それがどうした? イェ・ホウ」

「まあ単なるこちらに対しての威嚇通信であるならいいけどね。ただ、その内容がなかなかに明確で」

「奥歯に物の挟まった様な言い方するな」

「御指名なんだ、あなたを」


 今度は深い赤のジョッキに注ぎながら、イェ・ホウは何げなく言う。


「俺を?」

「そう、あなたを」

「党首の俺、か? それとも」


 はい、とイアサムに手渡しながら、後者ですよ、とイェ・ホウは言った。


「文脈は、まあいつもの地下放送と変わらないけどね。一応誰に傍受されてもいい様に、MMの党員に対する呼びかけの形になっている。だけど方向が明確すぎる。同じ内容の電波が、一時間に三本。決まった時間にこっちへ強引にやってきた。こっちの定時放送や、暗号放送の電波がおかげでちょっと歪んでしまった程に」

「そいつは強烈だ」


 貸して、とネィルはイェ・ホウからポットを受け取る。マイ・ジョッキがあったらしく、その中に彼は好きなだけ注ごうとする。


「俺の分も少し残しておけよ」


 釘を刺しておこうとはするが、きっと半分無駄だろう、とイェ・ホウは思っているらしい。



 やることを一通り終えて、ハリ星系の惑星ミントへと彼が戻って来たのは、つい先日のことだった。

 わりあい早かったね、とイアサムは笑って彼を迎えた。

 Gもまた、黙ってそれには笑っただけだった。無論イアサムはイアサムで、その表面的な時間が全てではないことを知っている。

 何よりまず、自分と会った時の反応で、カトルミトン種の青年は気付いてしまった。


「どぉ? 俺は大人になったでしょ?」


 イアサムはまずそう言った。

 あれから十年は経っているのだ、と元少年は彼に告げた。


「あの時、俺達を引き取った人達のこと、覚えてる?」


 ああ、とGは答えた。何せ彼にとってはそう昔のことではない。


「アウヴァールの元議長は、俺達を連れて、ワッシャードに住む友人の所へいったん身を寄せたんだ」

「友人なんて、居たのか?」


 あの二つの居住区にはさほどに行き来は無いというのに。


「居ることは居たらしいよ。それもさ、結構な大物」

「大物」

「土地の権力者、って奴。詳しいことはまた今度ゆっくり話すけど、おかげで、俺達もそこで育てられることになったんだ」

「ネィルも?」

「うん。奴は亜熟果香のこともあったしね。ただね、G、育てられると言ってもそこの息子の様に、という意味ではないからね」


 判ってるよ、とGは苦笑した。色々あったのだろう。彼らにも。だがそれ以上のことは聞かない。相手もそれ以上は言わないだろう。


「ちゃんとギヴアンドテイクは守ったけどね。何かされたら、その分必ず何かぶんどってやった。…最終的に俺達は、この街の――― この都市の最大の組織をぶんどってやったけど」


 淡々とイアサムは話した。


「と言っても、あなたがこないだ来た時に見た様に、表向き、そんな組織の存在なんて判らなかったでしょ?」

「ああ」

「そういうもんだよ。生活密着型だからね。ミントの組織は」


 なるほど、とGは感心した様にうなづいた。

 イェ・ホウがやって来たのは、彼の到着がイアサムやネィルからもたらされたからだった。


「…で、あれから幾つのことをこなしてきたの?」


 色々、とGは到着した男に返した。

 そう、確かに色々だった。

 その一つに、惑星「泡」に少女人形を送り込むこともあった。あの赤い瞳を見ると、少し胸が痛んだ。



「ふうん?」


 Gは面白そうだ、という表情でイェ・ホウを見る。


「まだ続きがあるんじゃないのか?」

「まあね」

「だったらとっとと言えよ」


 はいはい、と筆頭幹部の一人はポットに残った分を自分のジョッキに注ぐ。これだけかよ、とちら、と二人の同僚に目をやる。イアサムは無言で喉を鳴らしている。


「あなたを御指名だ、とは言ったよね」

「ああ」

「で、その後なんですが、俺達にはどうしても解読できないものがあって」

「解読できない?」

「だからあなた個人に向けて、じゃないか、と思うんだけど」

「…なるほど」


 それがどういう意味か判らない程Gは鈍感ではない。未だに手に残っている識別信号と同じく、彼にはまだMMの名残が存在するのだ。


「録ってあるか?」

「無論。はい」


 イェ・ホウは小型のヘッドフォンを渡す。


「内容はもう俺達は確認してあるから、ご心配なく」


 ぴったりと耳に吸い付く様なフォーンを当て、Gは再生ボタンを押した。


『…全星系の同志に告ぐ』


 この声は。


『史上最凶の裏切り者が我がMMより出現した。我々はその裏切り者に対しては、然るべき制裁処置をせねばならない』


 然るべき制裁処置、ね。彼はこの声の主が以前に言ったことを思い出す。


 お前が誰であろうが、もしお前が、Mを、我らが盟主を裏切る様なことがあったら、俺が、お前を殺すからね。


 本気だな、とGは思う。本気でなくてはならない、とも思う。奴の立場なら当然だろう、と。

 MMそのものには未練は無い。自分の役割はそこには無いのだから。

 ただ。

 放送は続く。自分の名前、偽名、容姿の特徴などが次々と挙げられて行く。これは確かに本気だ、と彼は思う。

 しかし。


『…』


 それは、それまでの威嚇的な声音とは別人の様な、囁く様な声だった。

 幾つもの数字が、さらさらと並べ立てられていく。ちょっと待て、と彼は思わずその部分を巻き戻そうとする。


「数字だったら、こっちにあるよ」


 イアサムが、既に書き取ってあったのだろう、ぎっしりと数字が書かれているメモを彼に手渡した。

 憮然とした、あの連絡員の表情が目に浮かぶ。気がかりなのは、あのレプリカントのことだけだった。

 GはMM幹部の独特の乱数表を頭に思い浮かべる。キムは自分がどの程度それを熟知していたのか、良く知っているはずだった。

 呆れる程の数字は、たった一行のセンテンスに要約される。


『初めて会った場所を覚えているか?』


   **


 冬の惑星だった、と記憶している。

 マレエフ、という名の惑星だった、と記憶している。

 彼は長い間、その場所に座っていた。

 壊れ掛けたコンクリートの壁の上で、コートのポケットに手を突っ込んで、ぼんやりと空を見ていた。


 青いなあ。


 ふと思う。雲が立ちこめた空から、ほんの時々かいま見える空は、遠く、高く、高く、ひたすら青い。

 雨が降るのだろうか。雪ではなく。確かに、雪が降る程寒くはない。

 もっと、寒いものだと思っていたのに。

 記憶の中では、ここは冬の惑星だった。…違ったのだろうか。

 違う、とキムはふと顔を上げる。確かに冬の惑星だけど、冬でない季節だってあったんだ。

 上空の風が、たっぷりとした雲を動かす。ゆったりとした動きをずっと見ていると、何となく、時間の感覚を忘れてしまいそうだった。

 ファクトリィ全体を囲う、コントリートの塀。高かったはずの壁は、これでもかとばかりに仕掛けられたトラップによって、背丈を半分にしていた。

 そんな高さのまちまちな塀に器用に腰掛けながら、彼はずっと見続けていた。


 ずっとここには足を踏み入れていなかった。

 避けていた訳ではない。ただ仕事がここには無かっただけだ。

 そう彼は思っていた。

 この地についてから、何度か、この場所を歩き回った。

 その昔、攻撃を受け、破壊されたファクトリィは、直されることもなく、それ以上壊されることもなく、その地にあった。

 いや、その惑星自体が見放されていたと言ってもいい。かつてはそれでも人が住んでいたはずなのに、戦争の終結後は、置き忘れられた様になっていると言う。

 レプリカントの生産が産業の中心だった惑星なのだから、その産業が動かないのだから、当然なのかもしれない。

 戦争の後、帝国となった天使種は、自分達の惑星を捨て、古くからの植民星を帝都とし、新たな植民星を次々に作り出した。

 こんな、人が住みにくい、冬の惑星ではなく、もっと、暖かく、住み易い惑星。


 皆寒いのは嫌いなんだよ。


 キムは口の中でつぶやく。

 彼は待っていた。

 ただ、その待ち人に対してはいつ、と指定もしていない。だから、ここへやってきてから数日が経っていた。

 その間、ずっと、このファクトリィの中をさまよっていた。

 さびた鉄骨、崩れ落ちたレンガ、一階の木の床の隙間からは細い長い草がここぞとばかりに手を伸ばしている。

 その生命力が、あの遠い惑星にのびのび暮らしているだろう疑似植物のそれを思わせる。

 故郷にしてもいい、と言われたけれど、どうしてもする気になれなかった場所。人間の支配から自由になった惑星。

 レプリカントのHLMを持った者もまだそこには残っている。だけどそこは「故郷」とはとうてい思えない。

 彼の記憶が戻って行くのは、いつでもこの惑星だった。

 決していい記憶がある訳ではない。むしろ辛い記憶ばかりだ。

 だがここが、自分の始まりだったのだ、とキムは思う。

 ガラスが割れた廊下を歩くと、腐りかけた木の床がぎしぎしと今にも崩れそうな音を立てる。

 そう、確かこの戸の向こうで。

 その頃自分達はここに住んでいた。決して長い時間ではなかったが、レプリカントだけが集結して、一つのコミュニティを作っていた。

 …いや、コミュニティと言うにはややニュアンスが違う。キムはそんな自分の考えに首をひねる。

 たった一人の、人間の心を持つレプリカントをリーダーに、彼らは一度滅びるために、集結したのだ。


 …それから…


 そこで彼は考えに行き詰まる。


 どうした、の、だった?


 忘れている訳ではない。ただ、大切なことが、思い当たらなくなっている。

 起こったことは、覚えている。自分だけが、別の場所に行く様に指示されて、その間に、全てが終わってしまっていたこと。そこで自分が、オーヴァヒートして、動けなくなってしまったこと。


 …それだけだったよな。


 記憶を巻き戻すたびに、僅かな疑問が残る。

 何か、大切なことが出て来ない様な気がする。事実は、ちゃんと記憶されているというのに。

 たてつけの悪い戸を開ける。凄いものだ、と彼は感心する。まだ戸車がちゃんと動いていたのか。

 確かここで、首領が自分に何か言っていた。あのひとにしては、ひどく冷たい口調で。怖くて、思わず必要以上のことを口に出せなかった。


 …そして確か。


 廊下の向かい側の、少し離れた部屋に入る。割れたガラス窓から、砂ぼこりが入って積もり積もっている。だが棚のガラスは壊れていなかった。

 中に何か入っている。キムはそのガラス扉をこじ開ける。

 ぱりん、と音がして、ガラス扉はカケラを飛び散らせながら開いた。

 服だ、と彼は思った。中にはくすんだ色の服が幾枚かあった。ああそうだ。思い出す。確かこの時、奴が。

 寒い、と言ったのはGだった。

 長い時間の間に、密閉された中にあったせいか、その服は未だに張りのある生地と、柔らかな綿を中に詰めていた。

 くっ、と広げたそれを彼は抱きしめる。


「寒い」


 彼はそっと口にしてみる。

 そうだそう言ったんだ。

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