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第32話 滑稽な姿、帰還の声

 もう行ってしまうのか、と問われた時には、既に辺りは暗くなっていた。天井のスクリーンは、夕方の色に変化している。

 イェ・ホウは戸口に赤の灯りをつけ、準備中の札を再びひっくり返す。ユエメイはあくまで内側からだったが、目を伏せてGに向かって一礼をしていた。


「まだ最初の時間に戻るまで、幾つか行かなくてはならない所があるんだ」

「それは名残惜しいな…」

「すぐに会えるさ。…ああ、ところでイェ・ホウ、火事には気を付けて」

「火事に?」

「そう、火事に」


 Gはぴ、と建物の二階を指さした。ふらり、とハチマキを巻き直した頭が振り仰ぐ。なるほど、とイェ・ホウはうなづく。


「判った。注意しておく」


 そして手を振る。

 名残惜しいのはGも同じだった。イェ・ホウの持つ加虐性の様なものが、時々恋しくなる時があるのだ。ミントでの怠惰な日々は、それはそれで心地よいものだった。

 だが今はその暇は無い。それはこの時間の自分に任せておこう。

 しばらく彼は第三層をぶらついた。格別な意味は無い。あの場所に留まっていると、いずれ自分に出会う確率が高かった。それだけである。

 かと言って、すぐに次の時間の次の場所へ、と飛んでいくというのは少し忙しない。あの時の自分が行かなかった場所を、少しばかり歩いてみたかった。

 白熱灯の光が、あちこちの店から漏れてくる。ちゃかちゃかという金属のぶつかる音に、彼はふと足を止める。

 店頭の赤いペンキが塗られた椅子の上で、三角帽子をかぶったサルのぬいぐるみが、歯をむき出しにしてシンバルを叩いている。

 Gはそれを見てくす、と笑う。その一生懸命さに、つい誰かのことを思い出すのだ。

 実際は一生懸命、という言葉とはかけ離れた冷酷さも見せるというのに。どうしてあの連絡員を思い出してしまったのか、彼にもよく判らない。

 そのサルの毛並みの色のせいだろうか。それとも、今この惑星の何処かに居るから、だろうか。

 しゃかしゃか、とサルはシンバルを叩き続ける。

 叩き続け――― やがてその動きを突然に止めた。

 はっ、と彼は目を大きく開ける。

 何かひどく、嫌な感じがした。

 それが何故なのか、自分でも良く判らない。だけど何か。彼はその姿から目をそらす。それ以上そのサルを見ていたくはなかった。

 そらした視線の先に、同じ赤いペンキが塗られた椅子があった。違う窓の下だが、同じ店のものだろう。

 ただそこにあったのは、サルのぬいぐるみではなく、少女だった。椅子と同じ色のチャイナドレスを大きそうに身につけた少女人形だった。

 近づいてみると、それは人間の少女としても、上等な部類である。大きな目、長いまつげは濡れた様にしっとりと黒い。同じ色の髪を両側で三つ編みにして、じっと彼を見据える。

 そう言えば。また記憶が刺激されるのを彼は感じる。


「君の名は何って言うの?」

「黒玉よ。だけどそれ以上は答えられないわ。あなたはとても綺麗だけど、あたしのご主人様じゃないもの」


 それきり、少女人形の黒玉は黙った。なるほどね、と彼は思う。


「君みたいな子を、俺は知ってるよ」

「そう。じゃあよろしく」

「だけど死なせてしまったんだ」


 ぴく、と少女人形の無表情な顔が少しだけ動く。


「君も元気でね」

「あなたもね」


 ばいばい、と黒玉は手を振る。そうだ、その件もあった。


 行かなくては。


 そう彼が通りの一つに足を向けた時だった。

 見覚えのある顔が、そこにはあった。


 !


 視線が合う。

 ああ何って間抜けな顔をしているんだろう。彼は思う。

 目の前の男は、目を大きく見開いている。および腰になっている。

 違う、と細かく頭を振っている。

 違わないよ、とGは内心つぶやく。俺はお前なんだ。

 でもその一方で、お前は俺なんだ。

 居る筈の無いものを唐突に突きつけられて、恐怖に腰をも抜かしそうな、そんな無様な姿。それも俺なんだ。


 行けよ。


 彼は、声に出さずにうながす。目の前の自分は、弾かれた様に慌てて背を向けると、今にも転びそうな程の勢いで、走り出した。


 フォームががたがただよ。

 そんなに歩幅を広げてどうするの。

 ビアノ弾きのくせに、どうしてそんなテンポが悪いの。

 ああもう、そんな腕を振り上げて。


 彼は苦笑する。

 苦笑はやがて、くすくす、という笑い声に変わり―――大きくなる前に止まった。


   *


 ざわざわ―――

 点けっぱなしにしているスピーカーから音が流れてくる。

 栗色の髪をうるさそうにかき上げながら、連絡員は入ってくる情報をより分けていた。ざわざわと聞こえるのは、その情報があまりにもあちこちからのものであり、時には混線し、時には途切れ途切れになる。

 砂漠の中からダイヤモンドを拾うみたいな作業だ、と時々彼も感じる。

 彼の耳と演算能力が無ければ、それは不可能な仕事だった。

 少し前に流れた情報が、別の少し後に、不意に流れてきた情報と、どう結びつくというのだろう。記憶し、関連づける。音の相似性を見つけ、それが同じものの続きであることを確かめる。

 慣れてはいる。「連絡員」である以上、それは一つの大事な仕事だった。

 しかしどうも今日はその「仕事」がはかどらない。無論日課という訳ではないから、今日必ずすべきことではないのかもしれない。そういうことは時々ある。本当に電波状態が悪い時もあるし、機材が調子悪い時もある。

 彼自身の調子が良くない時も。

 だが今はそうではない。身体の調子はすこぶるいい。少し前に彼専門のチューナーにメンテナンスをしてもらったばかりだ。口の堅い、Mが直々に選んだメカニクル・チューナーである。さすがにレプリカントということを知った時には、奇妙な反応を見せたが、それからは特にそのことで感情を動かす気配は無いようだった。

 耳も、神経系統も、決して悪くは無いはずだ。なのに、まるで調子が出ない。

 理由は判っていた。伯爵が告げたGの件だ。無論彼のことだから、そんな状況であったとしても、何処かに逃げていることだとは思う。

 彼の不安はそこにある訳ではない。

 何を考えてやがる、と落書きをしていた紙に、ぐちゃぐちゃとペンで殴り書きをして、丸めて隅のダストボックスに投げる。ブリキの缶は、鈍い音を立てた。

 「伯爵」がGに対して不信を持っていることは判っている。それは彼自身の中にもあるものだったからだ。

 何だって。キムは思う。何だって今更、そんな、Mに対する反抗的な態度を取るんだ? 

 無論、元々Gが自分の様にMに絶対的な敬愛だの崇拝的な感情だの持っているとは考えてはいない。キム自身、Gがまだ彼と出会った当初、Mによってどの様な立場に置かれていたか知っている。

 だけど長い時間の間に、それは解決したのじゃなかったのかよ。

 再会した時のことを思い出す。あれは惑星「アルティメット」だった。彼は自分のことを覚えていなかった。

 いや、記憶を封じ込めていた。結局それが何のためなのか、キムにはよく判らない。それもまた、Mに対する葛藤のためなのかもしれなかったが、記憶を取り戻した時点で、それは納得がいったものだと思っていたのだ。

 しかし、思えば、それが始まりだったのだ。

 記憶を取り戻さないままだったら―――あのまま、ずっと難なくやってこれたに違いない。彼は疑問を持たず、自分と同僚として。

 だが。

 こぼれたミルクは元に戻らない。惜しんで泣いている間があれば、次の手を打たなくてはならない。

 …Mの思惑というものも感じなくはない。だが、それはキムにとっては、「考えてはならないこと」だった。

 考えて、そこに出た結論がどんなものであったにせよ、自分はMの側に立つことはよく判っている。判りきっているのだ。だったら下手にそこで、真実など知らない方がいい…

 駄目だ。

 彼は何度ともなく頭を振った。髪が大げさに揺れる。

 ここまでにしておこう。椅子から立ち、スイッチを切る。


 その時だった。


 全ての雑音を押しのける様に、音楽が流れてきた。

 毒にも薬にもならない音楽だった。何だ、とキムは思う。クラシック、という単語は彼の中には無い。

 その音が、急に途切れる。


『…帝都方面中継局。各局、各方面、電波状態良好。受信コードは』


 何だこれは?

 彼は慌ててその電波の周波数を見る。これは。

 Seraphの地下放送。今の今まで、ここはそんなに電波を強く発信したことは無いはずだ。

 彼はヴォリュームを上げる。ざわつく空気感。何処か、人が沢山集まっている場所だろうか。


『受信状態良好か?』


 聞き覚えのある声だ、とキムは思う。直接会った訳ではない。そして、殺しそこなった相手。


『全星系の我等が同志に告ぐ』


 決してその声は、強烈な強さを持っているという訳ではない。むしろ淡々としている。


『集結以来、長らく空席となっていた我等が党首が、とうとうその座についた。我等が待ち望んでいた彼が、我等の元に、戻ってきたのだ!』


 歓声が混じる。集会だろうか。その声はしばらく続いた。

 やがて歓声が、ひときわ大きくなる。絶叫すら混じる。

 だがそれが、何かの合図でもあったのだろうか。すっと退いた。

 地下放送でなければ、放送事故だ、と言われ兼ねない程の間が空く。キムは次第に苛立つ自分を感じていた。

 苛立ちだけではない。何か、ひどく、嫌な感じがした。


『ただいま。俺は、ここに、戻ってきた』


 ガラスが割れる音が、室内に響いた。反射的に彼の手は計器のフロントガラスを砕いていた。


「…嘘だろう… 今更…」

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