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第30話 抱きしめたい

「…」


 マオの部下らしい男が、無言のまま手招きをする。

 レンガ作りの十三番倉庫は、この街の端、港の側にあった。妙に広々とした場所に作ってあるな、と見た途端、Gは思った。しかしそうではない。広々とした場所に作ったのではなく、元は十三もの倉庫があった場所が、次々に壊され、残ったのがこの倉庫だけなのだ。


「何故そこだけが残ったんだい?」


 Gはマオに訊ねる。


「結局、あれが輸入した亜熟果香のもとである果実の貯蔵倉庫だったからですよ。ああいう外見をしてていても、中の機能は最新のものですから。もとの果実は、一定の温度が保たれていれば、安定した状態で、腐るまでの期間も長く、また、未熟な果実はここで熟すのを待つことができます」

「入り口は?」


 Gは誰ともなしに問いかける。部下の男が正面と西側の二箇所、と答えた。


「見張りとかは」

「格別に居る訳ではないです」

「子供とあなどってるな」


 子供だろ、とマオはイェ・ホウの頭をはたく。


「たとえ数名でも武器を持って待っていられるんなら上等さ。で、だ。イェ・ホウ、お前が行くんだ」

「…俺が」

「向こうの連中は、あくまでお前らガキどもが動いてるだけ、としか思っていないだろう。そのあたりの思いこみは利用させてもらわないとな」

「怖じ気づいたか?」


 Gはにやりと笑ってイェ・ホウを見る。途端に少年は、顔を上げて強く彼をにらんだ。


「誰が」

「オッケー、その根性だ」



「けれど」


 イェ・ホウが十三番倉庫の正面入り口へと向かうのをやや離れて見ながら、マオはつぶやいた。


「何だ?」

「あのガキが、本当にいつかあなたを助けるのですか?」

「ああ」


 正確に言えば、過去の自分なのだが。

 そのあたりを言うとややこしくなるので、彼は省略する。


「では、何があっても、奴はちゃんとこちらがフォローしなくてはなりませんね」


 それにはGは答えなかった。

 視界の中のイェ・ホウは、倉庫の鉄製の扉に手を掛けるところだった。マオはそれを見て、部下に合図をする。裏手から入り込め。そういう段取りができていた。


「どうしますか?」

「とにかく捕らわれている子供達の救出が一番だ。…助けた後のことだが」

「判っています。彼らは我々の集団の内部に入れます。無論彼らが望めば、ですが」

「望むも望まないも、顔を一度覚えられたら、ある程度の庇護は必要だろうな。有無を言わせないでいい」


 おや、とその時ようやくマオは口元を緩ませた。


「何だ?」

「いや、そういう答えが返ってくるとは思いませんでしたから」

「子供は、子供のうちはそういう中に居ればいい。そこで反発して出たくなった時に、戦えばいいんだ。もっとも奴は、今までが戦いだったようだけどね」

「そのようですね」


 イェ・ホウとその姉を良く知る漢方薬屋の男は、大きくうなづいた。


「親父さんにそう伝えましょう」

「うん。…それにしても、遅いな」


 Gは少年が入っていった鉄の扉を見つめる。開かれたままではあったが、中が暗くて良く判らない。


「どうしたのでしょう」

「…ん…」


 Gは目を細める。危険があったなら、裏手から回った者が何らかの報告をしてくるだろう。その様子ではない。しかし、すぐに出てくることは叶わない状況。


「…俺が見てこよう」

「あなたが?」

「何かあっても、俺は、必ず生き残る。それはよく聞いているだろう?」

「ええまあそれは…」

「ただ、そんなことがあったら、俺はまたここではない何処かへ行かなくてはならないから」

「そうならないことを、祈りたいものですが」

「祈りで世界は救えないよ」


 歪んだ笑いがGの口元に浮かぶ。

 祈りで全てが叶うなら、きっとあのひとは、あの金髪の男を生き返らせていただろう。

 祈ってるだけでは何にもならない。


「じゃあ後を頼む」


 はい、とマオはうなづいた。

 通りの向こう側で見ていた形だったGは、そのまま道を横切った。徒手空拳。何を持っている訳でもない。何ごとも無いことを無意識に祈る。だけどそれが叶うとは一つも思っていない。祈りは祈りだ。それはそれでいい。だけど祈るだけでは何も変わらない。

 行動が必要なのだ。

 Gは扉に手をかけた。つとめて、何事も無い、ただの興味本位だ、という素振りで中をのぞき込む。


「何をしている?」


 数歩入り込んだ時に、声を掛けられる。


「…あ、扉が開いてたから」

「部外者は入るんじゃない!」


 Gは振り向きざま、目をこらす。

 なるほどこの倉庫の中にぴったりだな。目の前の男は、Tシャツと半ズボン姿だった。

 いや倉庫だけじゃない。この気候そのものにぴったりじゃないか。

 そんなことを思いながら、彼は素早く後ろに回り、片手で男の後ろ手を取った。そしてもう片方の手で、首を締め付ける。

 男は何が起きたかすぐには判らない様だった。こんな優男が、という気持ちがあったのだろうか。


「答えろ。さっき十四、五のガキが入って来たろう?」


 ぐい、とGは容赦なく男の首を締め付けながら問いかける。


「…い、痛え! …やめろ、苦しい…」

「俺は聞いてるんだよ」


 更に力が加えられる。


「この奧か?」

「そ、そうだ…」

「お前の仲間は何人居る?」

「…三人… だ。ガキ相手だし… それで…」

「だろうな」


 だけどガキだけ、という訳じゃないんだよ、とGは内心つぶやく。


「上等だ」


 もう一度力を込めると、彼は男を床に転がした。奧か。

 倉庫の中は想像以上に入り組んでいた。無論一つ一つの部屋に分けられているという仕切りがある訳ではない。

 ただ、ぱっと見ただけでも、そこにはステンレスの網棚がこれでもかとばかりに立ち並んでいた。何列も続くそれは、まるで迷路の様に感じる。

 照明が決して明るくない。そのことも影響しているかもしれない。

 少年と、その姉は何処だ。捕まった子供は。

 彼は銀色の迷路の前で立ち止まる。目を閉じる。空気の流れは。

 一つ一つ考えろ。イェ・ホウに言った様に、自分自身に命ずる。

 捕まえた連中は、イェ・ホウをどうしたいのか。口封じ。それが一番簡単だ。…だがそれなら、何処でもいい。姉を殺し、子供を殺し、そしてイェ・ホウ本人を殺してしまえばいい。それが一番簡単だ。

 だがそれなら、当の昔に決着はついているはずだ。それに何処にも血のにおいはしない。気配が無い。

 足を踏み出す。

 利用しようとしている。楽観的に考えればその予想も立つ。当初捕まった子供の口から、イェ・ホウが彼らの中でどういう位置にあるのか聞いたとすれば。

 足を速める。それにしても入り組んでいる。Gはやや苛立たしげにちっ、と舌打ちをする。

 幾つかの角を曲がり、奧へ奧へと進むうちに、次第にあの香りが漂ってきた。強烈な、熱帯のくだものの香り。頭の芯までくらくらとしそうな。

 その香りをたどる様に、彼はどんどん足を進めた。


「…だからいい加減、あれを何処にやったのか、言わないか!」


 ぼそぼそと、そんな声が耳に飛び込む。


「…だから何度も言ったよ! 俺はあれは捨てたって!」

「嘘を言え!」

「そんなこと言ってどうするよ!」


 熱くなってるな、と妙に呆れている自分が居るのが判る。どうしてあれがああなるのか、やっぱりよく判らないのだが。

 それでもその熱くなり方は、決して悪いものではない。

 音をひそめて、近づく。ステンレスの網棚ごしにのぞくと、イェ・ホウ以外の少年と、あの戸口で見かけた少女が背中合わせに床に座っていた。いや、座らされていた… 後ろで手が縛られている。少年はびくびくと、目の前で何度か殴られているだろうイェ・ホウを見て震えている。

 メィランという名のホウの姉は、ぐったりとうつむいている。気を失っているのだろうか。亜熟果香を吸わされたり注射されていたら困ったものだ、とGは思う。健康な人間には確かに対して問題はないかもしれないが、メィランは寝たり起きたりの半病人だ。

 ちら、と彼はその周囲に視線を巡らす。ん、と口の端を上げる。マオの部下ともう一人、やはり一味であろう女性が、口に布を巻いて、貯蔵庫の陰に居た。その辺りはおそらく、あの香りでむせかえっていることだろう。

 おそらくは、あの老人のする様に、なるべく吸い込まない様にしているのだろう。

 何とかなるか?

 Gは思い切り、ステンレスの網棚を蹴飛ばした。がしゃん、とけたたましい音を立てて、網棚が倒れる。

 その倒れた網棚が、横の網棚に当たり、また倒れ…

 凄まじい音が、その場に鳴り響いた。


「な、」


 今だ、とイェ・ホウは思い切り自分の目の前の男を蹴り付けた。他の者は、はっ、と視線が網棚の方へと向いている。視線の先に、これでもかとばかりに艶やかに笑みを浮かべる男が居た。


「友達を迎えに来たんだけど」


 途端に、イェ・ホウの表情が輝く。Gは親指を立てる。そうか、と少年はうなづく。背後の気配に彼も気付いたのだろう。


「お前もこいつの仲間か!」

「そうだよ」


 当然のことの様に、彼は言う。

 四人、そこには居た。そのうちの一人が、銃を持っている。他の者がTシャツに短パン、という恰好なのに対し、その一人だけが、暑苦しそうなスーツ姿だった。

がしゃん、とTシャツの一人が倒れた網棚の上に投げ出される。

 マオの部下が黙ってうなづく。小柄だが、技を持つ者らしい。もう一人の女が、エプロンのポケットから取り出したナイフで、縛られた二人の縄を切る。


「な… ガキだけじゃなかったのか!?」

「今日から、違うんだよ」


 Gはスーツ姿の男の顔へ、鋭い一撃を加える。だが相手はびくともしない。


「…面の皮が厚いんだな」

「何か言ったか!」

「素直な感想をね! おねーさん、それ貸して!」


 え、とエプロン姿の女は、瞬きを数度したが、すぐにその意図を察すると、ぱちん、とナイフを閉じ、Gに向かってサイドスロウで投げた。

 Gはそれを空中でキャッチする。


「やるか」


 好戦的な向こうの声に、ふふん、とGは笑う。それは手段であって、目的ではない。Gはマオの部下に、目で合図する。逃げろ。

 部下はうなづき、メィランを抱き上げ、彼らが入ってきた西の入り口へと走り出す。既に他の部下は床に転がっていた。


「…貴様ら、何だ? あんなガキ共にいちいち口出すのかね、大人が」

「大人ってのは、子供を庇護できてこそ大人って言うんじゃないの?」


 軽くGは口にする。気にいらねえな、と相手は上着の中に手を突っ込む。Gはその瞬間、男のその手に向かってナイフを投げた。うぉ、と男の口からうめき声が上がる。

 今だ、とGは後ろ歩きで数歩歩くと、西の出口へと向かった。



「無事だったんだ!」


 鉄の扉を開けた途端、少年の声が耳に入る。そしてその身体が、突進してくる。抱きついてくる。


「俺は、大丈夫なんだよ。何があろうとね」

「だけど」


 ちょうど自分の胸のあたりにある少年の頭を、Gは抱え込む。少し向こう側で、マオが両手を広げてにっこりと笑っていた。


「俺はね、そういうものなんだよ」

「…でも、心配はしたんだ」


 少年の声が歪んでいる。緊張の糸が切れたのだろう。触れる額や首筋がじっとりと汗ばんでいる。


「よく聞いてくれ、イェ・ホウ」


 少年は顔を上げる。目が何処となくうるんでいる。


「俺はもう長くこの時間に居る訳にはいかないだろうけど、お前はちゃんと生きてくれよ」

「…って?」


 怪訝そうな顔で、少年は首をかしげる。


「俺が何なのか、はあの通りの、お前が新聞を読んでるところのじいさんが良く知ってるはずだ」

「…」

「生き抜けよ、イェ・ホウ。そうすれば、お前はまた俺に会えるから」

「会えるのか?」

「会えるさ。もっとずっといい男になって」

「俺はあんたの様に綺麗な奴じゃないよ」


 ぷっ、とGは吹き出した。


「そういうことじゃなくて」

「じゃ、どういうことだよ!」


 じたばた、とGの腕の中で、ホウは暴れる。自分から飛び込んだくせに、どうも居心地が悪いらしい。


「…それは」


 言いかけた時だった。


「党首!」


 マオの声が、鋭く飛んだ。はっ、として、Gはイェ・ホウを力一杯突き飛ばした。

 くる、と反転する。ぱん、と音がする。

 戸口には、左手で銃を持った男が居た。

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