「だいたいこの辺だったんだ」
イェ・ホウはGを外へと連れ出した。あのレンガの建物のあたりではない。やや離れた場所だった。
雑多であることは、店と人がごった返すあの通りとそう変わったものではない。ただ、人々の恰好がやや異なっている。
あの通りでは、皆が皆、普段着だった。本屋の老人は、下着姿と言ってもよかった。
老人だけでない。野菜を売っている女は、Tシャツをへその上でくくり、腰には色鮮やかな布を一枚巻き付けただけだった。それが一番この場所に合っているのだ、ということが判る服装だった。
だが、少年が彼を連れてきた通りはそうではない。蒸し暑いこの土地だというのに、皆が皆、折り目正しいスーツや、きっちりとしたラインを持つワンピースなどを身につけている。日傘をさし、帽子をかぶり、汗をだらだら流しては、ハンカチを手から放せない。
おそらくそれを必要とする場所へ行くのだろうし、行き先にはエア・コンディショナーが効いているのだろうが、外で見る分にはただ滑稽なだけである。
「…ということは」
「俺達は、それなりに、持ってそうな奴らからしか狙わないから」
「ふうん? 例えば?」
「あんな奴」
イェ・ホウは軽くあごをしゃくる。なるほど、と彼は思う。上等そうな服を着ているのだが、どうもその着方が板についていない。それでいて、横に女をはべらせている。女はどうも素人ではなさそうである。
「成金」
「って感じじゃないと、ね」
なるほど、と思う。しかも成金は成金でも、できるだけ自分が幾ら使ったのか忘れてしまう様なタイプがいい。普段より金離れの良さそうな奴。
「まあ狙い目は悪くないね」
「だろ?」
こら、とGは少年の頭を軽くこづく。
「女に金離れが良くても、それ以外には結構そうでない奴だって居るかもしれないだろ?」
「あとは、だからカンだよ。カンを働かせて、こいつならはした金はあきらめてくれそうだ、って奴を捜すんだ。俺だって、あーんなにーちゃんとかからはやだよ。恨まれるの間違いなしだもん」
そう言って少年が指さしたのは、決して上等ではないが、色合いといい、素材といい、この気候とそう外れていないものをすんなりと着ている若い男だった。
「ああいうにーちゃんは、あんまり服なんて持ってないんだ。だから、ちゃんと毎日毎日着られるものを選ぶ。洗濯だって自分できちんとする。財布の中身はきっと多くない。たぶん小銭が多い。お札だってしわだらけだと思う。それに、きっとその中身は、毎日きちんと働いて得たものだ。俺達が取ったら、バチがあたりそうだ」
Gは黙って少年の頭を撫でた。何だよ、と言いたげにイェ・ホウは相手を見上げる。
途端に目が合って、顔が赤らむ。おや、とGは口元に笑みを浮かべる。可愛らしいものだ。何がどうしてああなるものか、と思うと、何となくおかしい。少年はほとんど強引に目をそらした。
「…で、俺に、そいつを見つけろって言うの?」
「先手必勝って言うだろう?」
「…あんたもかなり無謀だね」
無謀だ、とは思う。
だが彼は、背後の気配に気付いていた。
それがどういうものなのか、具体的には判らない。ただ、自分があの露店の通りを出たあたりから、ずっとその気配は続いている。悪意は無い。無いと思う。
ある一定の距離を置いて、自分と少年を見守っている―――ように思えた。
敵とは考えにくい。敵になるには、なるだけの条件が必要なのだ。かと言って味方か、というと。これもまた考えにくいのだが。
敵よりは、味方である可能性が高い。
「いずれにせよ、お前を探してる頃だとは思うよ。顔は見られた?」
少年は首を横に振る。
「…とすると、同じくらいの奴が、片っ端から狙われる可能性もあるな」
「…うん」
イェ・ホウはやや不安げにうなづいた。
「ホウ! 来てたの?」
更に小さな少年が、彼らのリーダーの姿を見つけると、走り寄って来る。
「ナーイ? お前一人か?」
「うん、何か… はぐれちゃったんだ」
ナーイと呼ばれた少年は、もじもじと腹の前で手をもみ合わせる。
「はぐれた?」
「うん… 何か、いつの間にか、キューハン、見えなくなって」
「何かそれがおかしいのか?」
「おかしい…」
イェ・ホウは腰をかがめ、ナーイと目線を合わせる。
「お前ら今日は、どうしてたんだ?」
「僕らは… うん、今日はこのへんで、いいのが居ないかってずっと見てて、僕がお腹空いたな、と言ったら、も少しがまんしろ、って言ってて、がまんできないって言ったら」
「買いに行った?」
「ううん、行こうとして二人で立ち上がったの。そしたら、手が離れて」
見えなくなった、と。Gはさりとてその話に不自然さは感じない。
「たまたま何処かへ行っただけじゃないのか?」
「それはない」
イェ・ホウはきっぱりと言った。
「俺がこいつとキューハンを組ませたのは、奴が絶対こいつを置いてきぼりにしない奴だからだ」
そうだ、と言いたげにナーイもうなづく。
「こいつは他の奴に比べて、足も遅いし力も弱い。だからできることをさせてたんだ。それはそれでそれなりに金になったけど、その金を奪われることになっちゃ困る」
「用心棒代わりだったんだ」
イェ・ホウはうなづく。
「どのあたりで居なくなった? 今日、ここいらで他の奴を見たか?」
「アイファが居たよ。それからレレンも」
「お前と同じくらいの奴か?」
「や、アイファは女だから… レレンは俺と同じくらい…」
イェ・ホウは顔を上げた。
「もう始まってるってことか?」
ああーん、とナーイが不意に泣き出した。急に上げた声にびっくりしたのだろう。どうしよう、と急に不安げな目で、イェ・ホウはGを見る。
「どうするもこうするも」
Gはふう、とため息をついた。
「お前が引き起こしたことだから、お前が責任をとれ。それと」
彼は二、三度周囲を見渡す。
「出て来たらどう?」
腰に手を当て、少しばかり大げさに口にしてみる。
案の定、一人の男が通りのかげから姿を現した。
「マオさん?」
イェ・ホウはGより少し年上に見えるくらいの男に向かってそう言った。
「何だってあんたが…」
「知り合いかい?」
「…市場通りでいつもねーちゃんの薬を安く売ってくれる…」
「漢方薬屋のマオです。初めまして。いえ、お久しぶりという感じです」
そういうことか、とGは思った。
無論自分には覚えは無い。だが自分という存在が何処かでこの青年に出会っているのか、もしくは知れ渡っているのだろう。
とすると。
「今の俺は、君等がどういうつながりなのか判らないけれど、俺にとっては味方なんだな?」
「はい」
マオは硬そうな髪を短く刈り込んだ頭をさっと下げる。
「我々は、いつになるのか判らないけれど、あなたが現れる時にはあなたがそれを判っていてもいなくとも、そうすべきだと言われてきましたから」
Gはうなづいた。
「―――何だよあんた?」
イェ・ホウはいきなり変わった知り合いの態度と、この唐突に自分の前に現れた謎の人物とを見比べ、顔を歪める。何なんだ一体。
「…まさか、最初から」
がし、とマオはイェ・ホウの頭をはたく。
「違うんだよ! …けどお前がなあ」
「はあ?」
意味も判らず困惑した表情のイェ・ホウを見て、くす、とGは口の端で笑う。なるほど、彼らは俺がこの子を知ってるということがどういう意味か知ってるのか。
「今の俺には判らない部分が多いんだけど、なるほど、この街にも俺が居ても構わない場所があるんだな」
「はい」
マオは大きくうなづいた。
自分が言葉をきちんと交わしたのは、あの老人くらいしかない。関わっているのは間違いないだろう。
「ではあの裏布のことも、聞いてるんだろう?」
「はい。いずれにせよ、ああいうものは、我々の勢力範囲内では排除してきました。…ちょうど良い、口実となります」
「そうだな」
Gはにやりと笑う。
「あれ」
何が何だか判らない、とまた泣きそうな顔になっていたナーイが、イェ・ホウの腰のあたりをじっと見る。
「鳴ってるよ、ホウ」
「鳴って?」
イェ・ホウは腰のポケットに手をやる。何処で手に入れたのか、小型の端末がその手の中にはあった。ちら、と小窓をのぞくと、表情が変わった。
「…ねーちゃん!」
少年は思わず叫んでいた。
「どうした?」
「ねーちゃんが、俺を呼んでる」
「何かあったのか?」
「ちょっと待って下さい」
マオもまた、前掛けのポケットから、やや形の違う端末を取り出す。耳に当て、誰かを呼びだしている様だった。
「…そう、…何?」
太めの眉がぐっと寄せられる。
「…大変だ、お前のねーさんが、連れ去られた」
「俺のせいだ!」
その結論に瞬間的に行き着いたのは見事だ、とGは思う。
「一応こっちも、メィランの周囲に人をやっていたのですが」
「メィラン?」
「ホウの姉です」
「どうしよう… ねーちゃん、逃げることはできないんだ…」
普段から寝たり起きたりだったら、確かにそんな荒事には対処できないだろう。
「こんなことが起きちゃ困るから、と端末を渡しておいたのに…」
「こんなこと、が起きちまったよな」
Gはぐい、とイェ・ホウの肩を掴み、自分の方を向かせる。
「お説教はごめんだよ」
それでもまたそれだけ言う気力はあるか。Gはふん、と鼻を鳴らすと、真正面に引き寄せる。
「説教じゃないさ。これは事実だ」
びく、とイェ・ホウはGの迫力に震える。
「お前のねーさんがお前のせいで捕まった、ってのはどうしようもない事実なんだ。だから、どうすればいい?」
「ど、どうすればって」
「一つ一つ、考えろ。それが真っ当だと思ったら、俺はお前に手助けする。そうだな?」
そう言ってGはマオの方を見る。もちろんです、とマオはうなづいた。
「何をしたい? 何よりも一番に」
「…ねーちゃんを… 助けたい」
「よし、それじゃそのためにどうすればいい?」
「居場所を… 調べなくちゃ」
Gはマオの方に合図をする。マオは端末に何やら話しかける。
「場所は、突き止め次第連絡するそうです。自分の配下、十人程に今散らばらせてます」
「ありがとう。さて、居場所は何とかなる。じゃあお前はどうするべきだ?」
「…俺は…」
イェ・ホウは口ごもる。頭の中で、どうしようどうしよう、という思いがぐるぐると渦巻いて、どうにもならない様だ。こんな時の答えは、自分で見つけなくてはならない。人にどんな良いことを言われたとしても、納得はできないのだ。
「…俺が軽はずみだったんだ…」
ぼそぼそ、とそんなつぶやきがGの耳に飛び込む。あえて
Gは言葉をかけない。掛けるにしても、タイミングが必要なのだ。それを逃すと、受け入れられるものも、受け入れられない、ということもある。
「ねーちゃん…」
ナーイがそんなホウを心配そうに見ている。だが見られている当人は、その視線にも気付かない様だった。
―――と、びく、とその身体が跳ねた。
マオの持っていた端末が、コール音を立てたのだ。はい、とすぐにマオは向こう側の相手に声を送る。
「…なるほど。判った」
ぴ、と再び電子音がして、会話が切れる。
「判りました。…ホウお前、ねーさんが通っていたのって、大海総合病院か?」
少年は黙ってうなづく。
「その近くに、十三番倉庫ってあるだろう?」
「十三番… レンガの倉庫は知ってるけど、あれ?」
「昔は十三あったんだ。どんどん取り壊されて、最後の十三番だけ残ったから、十三番倉庫、って親父さんは言っていた。そこに連れていかれたらしい」
「その十三番倉庫、を管理しているのは?」
Gは問いかける。
「九合社、ですね」
「げ」
イェ・ホウは思わず指で口を押さえた。
「この通りに本社があります。近くの星系への輸出入を取り扱う商社です」
「ふうん。歴史は長い?」
「長い、と言えば長いです。が、植民当初、からではない」
「戦争が関係している?」
マオはうなづく。
「戦争の時には、ここは多少の空襲がありましたが、基本的には街そのものは残りました」
崩れたレンガもある。だがそれは一部分に過ぎない。基本的にビルは建ったまま残っている。
「その時に、入ったか…」
何のことだろう、という顔でイェ・ホウは彼の顔をのぞきこんでいる。
「すぐにどうこう、という問題ではない訳だな」
「長いです」
短いマオの言葉は、状況を正確に物語っていた。
長い戦争の時代の、アンジェラスの軍隊が侵攻を続ける途中、それは入ってきたに違いない。当初は実験。テロワニュはそれで壊滅した。そして開拓。だがアンジェラスの軍も一枚板ではない。
自分やあの旧友の様に、戦線離脱した者も居る。そんな者の中には、あの軍だけのものだった亜熟果香を持ち出した者も居るかもしれない。
開拓の民として使われている者が、それを持ち出したまま脱走したかもしれない。
アンジェラス軍自体が、それを一つの資金源としたという可能性もある。
いずれにせよ、広まるルートは幾らでもあっただろう。
「…戦争が終わってから、かなり経っているはずだよな」
イェ・ホウがこの年齢なのだ。彼が伯爵によって飛ばされてから、十年程度昔に過ぎないだろう。
「あなたは、どうなさりたいのですか?」
マオは問いかける。
「亜熟果香を、か?」
「はい」
無論、そんなものがあるのは好ましくはない、と彼は思う。
正直、それを精製している工場を爆破してやりたい、とも思う。
だがその行動によるデメリットは。
幾らでもある。そもそもそれを生産していることでかろうじて生きている、という人々が居ることも確かなのだ。
かと言って、放っておけば、中毒になる人間が増えていくことも確かである。ただ救いは、習慣性は強くとも、身体に表だった影響が無い、ということである。その習慣性さえ、後で抜くことができれば、問題は…少ない。
「長期戦な訳だな」
「この街にも、精製工場で働いてる者が多いのです」
「…だけど」
イェ・ホウが口をはさむ。
「それでも、あって困るものには違いないじゃないか」
「そうだね」
くしゃ、とGは少年の髪に手を差し入れる。止せよ、とイェ・ホウはその手を払う。が、やはり顔が赤らんでいる。子供扱いするなよ、とその目が語っている。
「…だから俺としても、必ずこの地から、それを消し去ってもらいたい。時間はいくらかかってもいい。ただ、絶対、だ」
「はい」
マオは大きくうなづく。
「皆にその旨、伝えましょう」
無期限。自分はその結果を見ることができる。あの老人や、この青年が居なくなった時間にも、自分は生き続ける。自分が口に出した命令の結果は見届けなくてはならない。それが自分の義務なのだ。
「…で、ねーちゃんはどうなんだよ?
「ああ、すまんな。…とにかく十三番倉庫に連れていかれたということは」
「いうことは!?」
噛みつきそうな剣幕に、マオは一瞬退く。
「ねーちゃんは俺のたった一人の身内なんだ! …何かあったら俺は…」
一瞬詰まる。そして思い切ったように言い放つ。
「俺は、嫌だ!」
くっ、とGはその言葉が胸に刺さるのを感じた。
悲しいとか辛いとか、そういうのではない。そんなものを全てひっくるめて、そんなことが起こるであろう未来そのものに、少年は一言で否定の意志を投げつけているのだ。
「判ってる、イェ・ホウ。マオ、助けに行こう。それは構わないのだろう? 君等は見張っていたのだから」
「はい。…ですから今のところ、命に別状は無いですが」
「だけどねーちゃんは身体が弱いんだ」
「判ってるよ」
「判ってねーよ、あんた等は…」
うつむいて、少年は今にも泣きそうな声になる。握られた拳が震えている。
「俺がどれだけねーちゃんを大事にしてたか判るかよ! ふた親逃げてから、ずーっと俺にはねーちゃんしか居なかったんだ! 働けないのを、いつも気にして気にして、でもどうしようもなくて、そんなのねーちゃんのせいじゃねえのに…」
言葉を無くす。
「それは判ってる」
「判ってねーよ!」
「けどな!」
Gはイェ・ホウの肩をぐい、と自分の方に向ける。
「ここでくだくだ言ってる分には、お前の姉さんは助からないんだぞ? さっきも聞いた。まずどうすればいい? そんな繰り言を考えてる間があったら、姉さんをどうすれば助けられるか、具体的に考えろ。でも今のお前に何ができる?」
「…」
「だったら、どうすればいい?」
「…マオさん」
「何だ?」
「お願いだ、ねーちゃんを助けてくれ! 助けて下さい! 俺ももちろん一緒に行きたいけど…」
マオは軽く首を傾ける。
「もしそれで足手まといだ、というなら、俺は待ってる。信じて待ってる。だから、お願いだ。ねーちゃんを…助けてほしい」
ぽん、とマオはイェ・ホウの肩を叩く。
「それは、元からしようと思っていたことさ」
ちら、と青年はGの方を見る。Gもまた大きくうなづいた。
「お前も来い。…お前の仲間ももしかしたら、捕まってるかもしれないしな」
「あ!」
その時このキッズ・ギャングのリーダーは、ようやく自分の部下も捕まってることを思い出したのだった。