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第27話 GはMに別れを告げ、過去へと飛ぶ

「見えたんだ」


 Gは離れた唇でつぶやいた。自分の頬に当てられた手に、手を重ねる。


「あなたには、もう、それが、見えてるんだな。未来の記憶として。俺が、どうするのか、判ってるんだな。判っていて俺を」


 Mはじっと彼の顔を見つめる。


「俺が、あなたの敵になれる者だから。いやそうじゃない。俺しか、それにはなれないから。伯爵はあなたを崇拝しているから、敵にはなれない。でも俺は違う。俺はあなたを」


 言葉が止まる。


「俺は、あなたを」


 手を握る力が、ぐっと強くなる。何と言い表せばいいんだろう。この気持ちを。

 側にいてずっとこのひとのために何かをしたい。伯爵はそうだろう。あの連絡員もそうだ。近くで、このひとの望むことを、察知して、その通りに動く。彼らはこのひとをとても敬愛しているからだ。崇拝しているからだ。


 けど俺はそうじゃない。


 Gは思う。


 このひとが自分に望むのは、そんなことじゃない。本当にこのひとが何よりも強く望むのは、そんなことじゃない。


 崇拝者など、どの時代の誰でもできる。たとえばあのくだもの患者達の様に。

 あれがどの時代にそういうことになったのか、まだ今の彼には判らない。だが一つ選択を間違えるとどんどん違う道を指してしまう迷路の中で、亜熟果香の患者が存在する。

 このひとを崇拝する者達。実際にこのひとの手が動かされたかどうかは判らない。それは大した問題ではない。

 そんなものは、放っておいても、手に入る。望むと望まずに関わらず。


「…俺しか、あなたの敵にはなれないのだろう? あなたの望む、永遠の敵には。俺だけだ」

「そうだ」


 掴まれていた手をするりと外し、MはGの髪をかき上げる。


「あなたは生きなくてはならないんだ」


 それが誰のためなのか、今のGにはもう判っていた。ずるいよ、と彼は心中つぶやく。死んでしまったひとには、決して叶わない。

 色あせた金髪。やせこけた身体。それなのに、子供の様な笑顔で。

 骨ばかりになった指が、このひとの手を握る。最期の願いだと。

 ずるいよ。

 どんなことをしても、死んでしまった人の位置には座ることができない。

 そこが無理なら。Gは思う。


「…そして生きるためには、永遠に、敵が必要なんだろう?」


 皮肉気な笑顔を、自分が作っているだろうことが、判る。


「生きていくだけなら、味方が身内が居ればいいだろうけれど、生き続けていくには、それだけでは足りないんだ。味方なんてあなたには、幾らでも手に入る。どんな手をも、あなたには使うことができる。でもあなたの敵で居続けることはできない。だって、あなたの敵は、身を翻してあなたの味方になるか、あなたに殺されるしかないのだから」


 彼はじっとMの目を見据える。


「だけど俺は」


 視線を外さない。


「俺は、決してあなたに殺されない。何があろうが。そういう身体だ。『人間ではない』あなたと同じ種族の」

「…」

「人間じゃない。俺も、あなたも。俺の身体は、俺が死なないためにだったら、時空を飛び越える。俺はあなたがどんなことをしようが、あなたからどんな攻撃を受けようが、死なない。生き続ける。あなた自身が死を選ぶまで。そうだろう?」

「そうだ」

「俺達は、永遠に、戦い続けることができる。そうだろう?」

「そうだ」


 Mは大きくうなづく。


「だから私は、お前を待っていたのだ」


 Gもまた、うなづく。


「悲劇だよね、それは」


 そして笑う。


「それとも、喜劇かな?」


 どんな顔になっているか、判らない。だけど、彼は笑っていた。笑うしかない。笑うしかないじゃないか。


「泣くな」

「泣いていない」


 冷たい唇が、頬に触れる。その手が、背に回される。見かけによらない強い力が、自分を抱きしめるのを、彼は感じる。

 強い目眩が、彼を襲う。腕を伸ばす。


「俺は、あなたを―――」


 言葉が飲み込まれる。

 そのまま彼は床へ崩れ落ちる。長い黒い髪が、首筋に絡みつく。まるで生き物の様だ。

 目を閉じる。冷たい唇が、重ねられるのが判る。背筋が凍る。

 刻み込んで、おきたかった。この冷たさを。

 他の誰でも、自分は熱くなることはできる。そんな身体なのだ。自分を強く蹂躙してくれる、誰かに、熱くなることはできる。

 だけどこの冷たさは、誰も持っていない。

 その手が、その胸が、その指が、その唇が。

 身体の芯を貫き通す、背筋から脳天まで突き抜ける、凍えてしまえ程の、冷たさが。

 だから、もう誰にも求めない。

 誰に熱くされても、本当に欲しいものは、決して。



 行くのか、とMは問いかけた。行くんだ、とGはうなづいた。


「何処へ?」

「あなたがそれは一番知ってるだろう?」


 そうだな、とMはうなづいた。


「さよなら」


 Gはそう口にした。

 微かに唇が、その後に動く。


 Mが軽く目を伏せると、既に彼の姿はそこには無かった。


   *


 彼は自分の中のものに命ずる。行くんだ。

 何処へ? とそれは問いかける。


「俺を待つ場所へ」


 他の誰でもない、自分を待つ誰かが、呼ぶ場所へ。

 彼は自分の中の何かに命ずる。


「行くんだ」


 もう後戻りは、できない。


   *


 ファンファン、とサイレンの音が、通り過ぎると、いきなり音の調子を変える。


「ドップラー効果って言うんだぜ」


 黒い髪の少年は声をひそめてつぶやく。へえ、と連れの少年は、感心する。


「ホウは何でも良く知ってるよなー」


 そんなでも無いよ、と言いながらも、まんざらではない。この間調べたばかりのことなのだが。


「お前ももうちょっと本読んでおいたほうがいいよ」 

「そんな暇、無いこと、ホウだって知ってるくせに!」


 暇というもんは作るもんだよ。ホウと呼ばれた少年は思う。

 フランス積みのレンガの壁に背をつけ、指につばをつけ、先刻すれ違った男からすり取った財布の中身を数える。

 そんな彼を、手ぶらの少年は、うらやましそうに眺める。


「相変わらず腕がいいよなあ…」

「そういうお前、どうなんだよ、シューリン」

「俺?」


 シューリンと呼ばれた少年は押し黙る。


「仕方ねえなあ」


 ホウは数えていた札の中から、二枚ほどを抜き取ると、シューレンに押しつける。


「…いつもごめんよ」

「ホントにお前どんくさいんだからよ。いいか絶対、お前は使うなよ。ねーちゃんに渡すんだぞ」

「わ、判ったよ」

「ホントかあ? またこないだの様に、途中のサイダースタンドで呑んでたら、ぶち殴るぞ」


 親切でそんなことをしている訳ではないのだ。シューリンの姉には、もっと小さい頃から色々世話になっている。彼女は今病気だ。だったら。


「ぶち殴るだけじゃ済まねえぞ」

「…怖いよホウ」

「俺はもともと温厚だぜ。怒らせるのはお前が悪いんだろ」


 ぺっ、とガム入りの唾を道に吐く。ホウは札をポケットに突っ込むと、他に何か入っていないか、と確かめる。「Q」の路地ではそれが常識だった。

 財布の縫い目まで綺麗に切り開き、裏を返し表にし、財布の革地に何か書かれていないか確かめる。そうしてからやっと、その財布はゴミ箱行きとなるのだ。

 その財布の表面生地が新しい時や、有名ブランドのものだったら、それだけを引き取る裏業者へ持っていく。それで偽物を作る専門が居るのだ。無論売る時には「本物」とつける。

 しかしまあ、そんな綺麗なものでも、有名どころのブランドの模様もついていなかったから、ホウはあっさりその布片になった財布をゴミ箱へと投げ捨てる。

 ブリキの缶でできたゴミ箱は、レンガ作りのビルの中にある安レストランの生ゴミがいつもあふれている。玉ねぎや鶏肉の皮の腐った臭いが、路地には平気で漂っている。

 惑星「Q」では、当たり前の光景である。



 ふうん、とGはその子供達のやりとりを眺めながら思う。今度はここか。

 長くなりかけた前髪をかき上げると、ホウと呼ばれた子供の放り投げた財布をつまみ上げる。全くもって綺麗に切り開いたものだ。普段からナイフを常備してるのだろう。

 ホウ。その名前には覚えがある。反「MM」組織seraphの幹部の一人は、イェ・ホウと名乗った。

 それが本名かどうなのか、本人に聞いたことは無い。どうでも良かった。相手はいつも、自分と会う時には自信たっぶりで、それでいて、自分を熱くさせてくれた。

 そして、かつて自分と会ったことがあるのだと。

 ふうん、とGは再び口にしてみる。だけどまだ子供だよな、と。

 捨てられていた財布の裏地を、Gはびり、とはぎ取る。そして繊維の一本を抜いて、指で揉み潰す。甘い、南国の果物の香りが、指の摩擦熱で立ち上る。

 降り立った時、Gはこの街が、またあのユエメイの居たクーロンのコロニー群ではないか、と思った。そのくらい雰囲気が、この街は酷似している。

 にょきにょきと背ばかり高い、古い建物達。きっと植民以来、建て直すということはしていないのだろう。戦火にあったらしい所を直すこともしていない。

 所々に崩れたままのレンガ、欠けてぼろぼろと崩れる石垣、鉄筋がはみ出たコンクリートの壁が見られる。崩れたままの壁の中で、人々は平気で暮らしている。

 昔はそれこそあの「教会」と似た使われ方をしていたのだろう、淡い色の美しい塔の窓からは、野菜炒めのにおいが漂ってくる。

 そんな、壊れかけた高い建物が建ち並ぶ街の中で、人々は忙しげに立ち動いていた。

 黄昏の時間。

 何の素材だろう、そのまま触ると皮膚がつんつんとかゆくなる様な繊維を編んで作った様な手提げ袋を持った女達が、市場へと道をせかせかと歩く。裸足の足にはサンダルを履き、長い黒い髪を無造作に結っては上げている。

 同じ色の太い眉と、濃いまつげを持った彼女達は、大声で市場の店の主達と、時には笑いながら、時にはケンカにも聞こえるくらいの調子で物のやりとりをしている。

 Gはそんな通りの間を、ふらふらとすり抜ける。時には人にぶつかりもするが、そこで財布をすられる様な真似はしない。そもそも、今の彼には何も無いのだ。

 肌にまといつく熱気は、ミントのものとは違って、ひたすら湿気を含んでいる。彼はシャツの腕をまくって、できるだけ汗を発散させる。

 キュッ、と音がしたので、振り向くと、色も鮮やかな羽根を持った鳥がこちらを見ていた。近づくと、キュイ、ともう一度声を立てた。


「好かれてる様だね、お兄ちゃん」


 かごを店先に吊していたのは、小型移動式の本棚を横に置いた老人だった。ずいぶんと年季の入った丸椅子に座る彼の足には、鼠色の、何度か穴を繕った様な作業ズボン。上には白のランニングシャツ。

 そんな気候に合った恰好をしているというのに、真っ白になった髭は、ずるずると長く、胸の辺りまで伸びていた。


「そぉかな」

「どうかね、昨日の新聞でも。安くしておくよ」

「いいよ。今何も持ってないんだ」

「嘘だろう」

「いや、本当。綺麗さっぱり。俺にはこの身体だけなんだよね」


 彼はにっこりと笑う。


「それはいい度胸だ」


 老人は感心したように、髭を撫でた。


「知り合いでも居るのかね?」

「や、全然。でも何とかなるだろうさ」

「ほぉ。それはいい心がけじゃ」

「それに、いつまでここに居れるか判らないし。…ああ、おじいさん、ここいらで、ホウって子を知ってる?」

「ホウ? さて。そういう名の子供はそう珍しくは無いからな」

「珍しく、無い?」

「ありふれた名じゃて」


 Gはそうだな、と首を傾げる。彼らの会話を思い出す。


「…本好きなホウ君は?」

「本好き、かどうか知らないが、わしの店の一昨日の新聞を必ず立ち読みしている小僧なら、よぉく知ってるがね」

「ふうん。じゃあたぶんそれだろうな。でもおじいさん、そんなにそれはありふれた名前なのかな?」


 ああ、と老人はうなづき、脇に置いてあった細かい模様の入った木箱から煙管を取り出す。老人はその中から、糸状のものを取り出すと、煙管の中に詰めた。Gは目を微かに細める。


「テェン・ホウ、ミン・ホウ、レン・ホウとかそういう名はその辺に転がってるものさね。お前さん旅行者かい?」

「判ります?」

「当たり前じゃ。何年ここで人を見てきていると思う」


 Gは黙って片眉だけ上げる。

 老人は煙管に火を点ける。途端に甘い香りが広がった。ふうん、とGはうなづく。


「じゃあさ、おじいさん、一つ聞きたいんだけど」

「何じゃい」

「これは何処の奴?」


 先ほどの「裏地」を彼は差し出す。老人は眉間にしわを寄せ、彼の手の上のものをのぞき込んだ。


「…ふうん? 何でお前さん、そんなもの持ってるんだね?」

「拾ったんだ」


 老人は眉を寄せたまま、その回答だけでは納得がいかない、と言った表情をする。キュイ、と鳥が鳴く。


「その、ね。たぶんその新聞好きのホウ君が、拾って捨てたんだ」

「…あの馬鹿者が!」


 ちっ、と老人は舌打ちをする。


「お前さんはそれで、奴を追ってるとでも言うのかね? いやそんな風には見えんが」

「見えないかな?」

「お前さんは、そこまで馬鹿な顔はしとらん」

「伊達に何年もここで人を見てる訳ではないと」

「そうだ」


 ふっ、と彼は笑う。


「馬鹿だよ、俺は」


 本当に。心底正直に彼はそう口にする。まあ何でもいいが、と老人はぽん、と今現在煙管に入ってる香を足元に落とすと、Gの手から一本を引き抜き、先ほどの様に、指で丸めて煙管に入れた。


「…ふむ、かなりの上物じゃな」

「判りますかね」


 こんな風に、亜熟果香が取引されている、Gはその現場を未だ見たことは無かった。彼が知っているのは、もう少し大きな塊の類だった。

 未精製物、というものだった。

 大本は、ある惑星が原産地である植物である。それを精製して、アンプルに入った液体であったり、固形の錠剤にしたり、これまた本当に「香」の形として、一見普通に売られている無害のものと見分けのつかないものもある。

 ミントの隠れ家で見たものは、その「香」の形をしていたはずである。香壷も転がっていた。おそらくユエメイが居た娼館に漂っていたのもその類だろう。

 煙草の形をしているものもある、と聞いてはいた。ただ、見るのは初めてだったし、繊維の形に隠してあるものときては、尚更だった。


「こいつは量さえ誤らなければ、いいものじゃて。量を誤るから、皆とりつかれてしまう」

「じゃあおじいさんは」

「わしは今日今からでも、吸うなと言えば吸わずに居られる。嗜好物とはそういうものじゃ。口にして、心地よい、楽しい。しかし、それに溺れるものではない。そうなった瞬間、それは『嗜好』では無くなるのじゃ」

「では何ですか?」

「判らぬかね?」


 彼は首を横に振る。


「もっとも、苦痛を快楽と思う者にとっては、それもまた、嗜好と言うのだろうが」


 軽く、心臓が飛び跳ねるのをGは感じる。


「…まあ何でもいいが。…と言うことは、あの小僧は、下手な相手の者に手をつけてしまったということじゃな。…どうする気だね、お前さんは」

「え?」

「何が『え?』じゃ。あの子供を知ってるんじゃろ?」

「ええまあ」

「じれったいのお。まあ別にどんな性癖を持っていようが人の勝手とは良く言ったものだが」


 …何処まで知ってこの老人は、こんな言葉を発しているのだろう? それとも自分にはそんな雰囲気が放っておいても漂っているというのだろうか。

 まあいい、と彼は自分自身に言い聞かせる。


「…俺は以前、彼に助けられたことがあるから。だからもし今度彼が危険な目に遭いそうだったら、助けてやりたい。それだけじゃいけないのかな?」

「あんたのほうが助けられた、のかね!」


 老人はふう、と口に含んだ香を吐き出す。香りが抜けていない。


「こうやっての、口の中で香りだけ楽しんで吐き出す。そうすると、習慣性のある成分は体内に蓄積されない」


 なるほど、とGはうなづく。


「で、お前さん一体あの坊主の何を知りたいのかね?」

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